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なぜ自殺を考えたのか?

先週の内容だとなぜ自殺したいと思ったのかよりも、なぜ教会を離れたかという感じだったので、自殺を考えるまでになった経緯についてもう少し述べさせて頂きます。

高校生になりアルバイトを始めました。教会にも行かないと伝え、最初は罪悪感がありましたが、自由と解放を感じてとても嬉しかったです。

家に帰るのは寝る時だけになりました。家族は私がいなくても幸せそうに見えました。母親は抱きしめたり好きというのが苦手だったらしく愛情表現をしてもらったことがなく、父親は厳しい人だったので自分は愛されていないと思っていました。川から流されてきたのを拾って育ててもらっていると本気で思っていました(これは子どもだったので視野が狭くこのような考えしかできなく、実際は母親は教会の開拓と子育てという大変なストレスの中で微熱が続き、しかし毎日ちゃんとご飯を作ってくれました。父親もキャンプに連れて行ったり、サッカーやテニスをしてくれました)

親の前で『仮面』を付けるようになりました。『私は自分で選んだ道を生きているから幸せだよと』

なので学校でクラス中から無視されても親には一言も言いませんでした。なぜなら私は自分で選んだ生き方をしているので幸せでないといけないから…『教会に行くのをやめたからそうなった』とは言われたくなかったのです。教師が親に言った時には悔しくて涙が出てきました。

家に居場所のなかった私は、以前元彼について書いたことがありましたが、元彼と別れて心が粉々になってからは誰も好きな人が出来ませんでした。付き合う前はこの人なら忘れさせてくれるかな?と思うのですが、付き合った瞬間『違った』ことを悟るのです。また彼氏はいなくなってしまいますが、友達は一緒にいてくれると大切にしていましたが、彼氏ができると変わってしまうので私の拠り所にはなりませんでした。

結局毎日バイトに明け暮れ、隙間時間に友達と遊ぶことを繰り返していました。

そんな生活が2~3年続き『何のために生まれて、なんで生きていかないといけないんだろう?』と考えますが答えはありません。またこうなって欲しいなと願うことの反対のことばかりが起こるので、私の運命はこうなんだと諦めていました。

心の中に大きな穴があって、何をしても満たされないのです。

欲しいものを買っても、好きだと思った人と付き合っても…。

高校を卒業し会社に就職しました。会社ではお金を稼いで、メインは毎日違う友達と遊んで、バトミントンサークルにも入って…傍から見たらとても充実した生活をおくっていましたが心は虚しくなっていきました。

友達に「心が苦しい」と言ったことがありますが「いつも笑ってるじゃん。一番幸せそうに見えるよ」と言われました。友達の前でも幸せそうに見える『仮面』を付けていたので、やっとのことで仮面を外して本音を見せましたが、私の苦しみを分かってくれる人は誰もいません。彼にも苦しみを打ち明けていましたが、その時は分かってくれるように見えて、結局別れる時には『あんなに私のことを話したのに、私の何も分かっていなかった』と虚しくなりました。周りにはたくさんの人がいるのに、私を分かってくれる人はいなく一人だと感じていました。

高校生の時から結構無茶なスケジュールで生活していたので、とても疲れ果ててしまうことがありました。その時に車が走っているのを見て『飛び出して車にぶつかったら楽になれるかな?』とよく考えていました。実際にもう限界と、フラフラと車の前に出ていって止められたこともありました。

しかし実際に自殺を食い止めていた『ブレーキ』が私の心の中にはありました。それが『地獄』だったのです。小さい頃から地獄の存在を知っていたので『永遠に硫黄と火で苦しむ地獄』がブレーキになっていました。

また母親が私がどんなに遅く帰ってきても小言を言わず、家の一階が教会だったのですが、そこで祈っていたのです(私を待っていてくれたのかは分かりませんが…母親もその時期は弟の不登校&家庭内暴力で限界の状態でした)

その様な時期に両親が福音に出会い変わり始めるのを見ました。弟や妹も変わりました。家庭で礼拝を捧げるようになりました。しかし私は二度と教会には行きたくないので断固と拒否していました。

しかしある日とうとう限界が来たのです。その時に受け入れのお祈りをしました。正直福音をよく分かっていなかったのですが、それでも神様は私の心に入ってきてくださって平安が与えられ、神様がおられることを知ったのです。

その日、親が韓国で福音についてもっと聞きたがっていることを聞きました。最後の親孝行のつもりで韓国に行くことを決心しました。

福音が私を生かし変えました。生活のレベルは好き放題使えていたレベルからは落ちましたが、心の平安がありました。しかし信仰生活をするなかで、心配になったり葛藤したりということもよくあったので、どんなことがあっても岩のように揺れない信仰になりたい!!という目標ができました。

昔の豆腐のようなメンタルからすると、かなり揺らがなくなってきました(たまに騙されてしまうことがありますが)

とても素敵で笑いながら街を歩いている人は本当に幸せでしょうか?(私も昔は雑誌に載ったこともあります)笑っていても、心は何をしても満たされない闇(穴)があり、むなしさがあるのです。

竹内結子さんのように、周りから見たら綺麗で幸せそうな人がなぜ急に自殺をするのでしょうか?その人たちは『仮面』を付けています。ラッピング(包装)した自分を見せているのです。その心はどれほどの苦しさがあるでしょうか?しかしそれを絶対に見せません。見せても理解してもらえないし、負けたと思ってしまうのです。

サタンの正体は(やみ・むなしさ)です。サタンは心に虚しさを与え、死んだら楽になれると騙します。そして多くの人は騙されて自殺してしまうのです。

救われるためには平安を得るためには教会に行かなければいけないでしょうか?教会は行きたいという心が与えられた時に自然に行くようになります。

まずはこのお祈りをして神様を心に受け入れてください。平安がすぐには与えられなくても大丈夫です。私はたまたま平安がすぐに与えられただけで、平安が与えられたから救われたのではありません。

愛の神様。私の罪とサタンと神様を離れた問題を解決される為に、イエス様がキリストになられ十字架ですべて解決されたことを信じます。今、私の心に入ってきてください。私の主人となってください。イエスキリストの御名でお祈りしました。アーメン

私が週に3回ほど載せているのを読まれれば、救われる以前はどのような状態で、そこからキリストによって救われて、どのように変えられたかを、少しずつ分かるようになり、悟れば悟るほど平安が与えられるようになります。

ありがとうございます(*ˊ˘ˋ*)献金は新宿キリスト教会を通して一度も福音を聞いた事のない99%の方々に福音を伝え、7000専門指導者を探し、逃れの町の教会を立て、レムナントを育てる働きに用いさせて頂きます。アブラハムの祝福があなたに臨みますように。