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聖書的な子育てー比べるという事

韓国で暮らし始めて感じた事ですが、韓国では露骨に比べますし、それを実際的に口に出して言います。私自身も比べられる事が多く、心が傷ついたりしてきました。日本も比べられる事はしょっちゅうありますが、韓国よりは少しマイルドかな?と思います。すでにこのように韓国と日本を比べていますが(笑)

では比べるというのがいつから始まったかというと、カインとアベルの時から始まっています。アベルは神様の契約を握って、その契約を信じている印に「血のいけにえ」を捧げました。神様はその信仰を受け取られました。しかしカインは、神様の契約とは関係のない自分勝手な捧げ物(宗教)をしました。なので当然、神様は受け取られませんでした。

カインはなぜアベルのは受け取られて、自分のは受け取られなかったのか?客観的に見れれば良かったのですが、逆にサタンに騙されアベルを殺してしまいました。その背後には原罪があります。原罪によって悪魔に支配され、自分とアベルを比べた時で起こった事件です。

私たちは生活の中で常に比べています。比較して自分の方が優れていたら幸せな気持ちになり、劣っていると感じたらコンプレックスを感じます。

そしてそれは子どもにも伝達します。子どもはなぜ親に素直に感謝し、愛する事が出来ないでしょうか?兄弟姉妹と比べているからです。親は自分より兄弟姉妹をもっと愛しているという、比べたことによって受けた傷によって素直に感謝したり愛する事ができないのです。

私が幸せを感じられないのは比較する事にあるのではないか?とある日、気がつきました。ものすごい祝福を頂いているのに、現実を見ると幸せでないと感じる事がよくありました。それらは無意識の中で比べているからではないか?と感じ、20日黙想する中で神様はこのみことばを下さいました(福音を祈りで味わいきれていない事も原因ですが)。

わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた」エレ1:5

実際、私は誰かと比べる事ができない程、尊い存在です。もちろん子どもたちもそうです。福音の中で私を再発見し、どれほど尊い存在か知る時に比較された事によってできた傷は癒されていきます。そして自分や子どもを他の人と比べる事も癒されていくことを信じます。

ありがとうございます(*ˊ˘ˋ*)献金は新宿キリスト教会を通して一度も福音を聞いた事のない99%の方々に福音を伝え、7000専門指導者を探し、逃れの町の教会を立て、レムナントを育てる働きに用いさせて頂きます。アブラハムの祝福があなたに臨みますように。