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「推しが推せる時に来た」と感じた話について


はじめに

「推しは推せるうちに推せ」という言葉がある。

詠み人知らずの唄みたいだけど、定期的に耳にするのは、誰にでも刺さりうる"別離"について触れているからだと私は思う。

いつ、好きな人や大切な人が目の前からいなくなってしまうかなんて、誰にも分からない。
それは何も、推しという存在に限った話ではないだろう。

私も実際、親族とか、大学時代に世話になった先輩とか、プロレスを通じて知り合った人とかとの離別で感じた後悔とかは、少なからずある。


一方で、必ずしも推せるうちに、自分の推したい人が現れるとも限らない。
それはもう、人それぞれのタイミングがあるから、誰が悪いというものでもない。


だから、私はこんな言葉も成立するんじゃないかと最近は考えるようになった。

『推しが推せる時に来た』
(或いは、『推しが推せる時にいた』)


そう考えるキッカケを私に与えてくれたのは、THE YELLOW MONKEYだった。


推しが、推せるうちにいなかった

2024.4.27、東京ドーム。
私は、THE YELLOW MONKEYのライブを見に行った。


私がTHE YELLOW MONKEYのライブを生で観に行くのは、これが2度目である。
1度目は2017.12.10で、その時も東京ドームだった。


私がTHE YELLOW MONKEYというバンドを知ったのは、小学生になる前の頃だった。


バンド名はハッキリ覚えていなかったけれど、NHKとかの教育番組に出てくる曲よりも、CMや音楽番組などで間違いなく耳にしていた存在。
今振り返ると、1996年の『SICKS』以降のシングル曲は耳にしていたかもしれない。


ただ、私が物心ついて音楽を聴くことに興味を持ち始めた中学生~高校生時代には、既にTHE YELLOW MONKEYというバンドそのものが解散していた。

それでも私がTHE YELLOW MONKEYに興味を持ったのは、2010年にリリースされた『COMPLETE SICKS』とか、2009年のトリビュートアルバムの影響が大きい。


解散後にもシングルのリミックスとか映像作品が出ていたので、それを購入してTHE YELLOW MONKEYというバンドの存在を楽しんでいた。
だから、解散中でライブに行ったことのない段階でも、好きなロックバンドの1つだと言い切れる自信が私にはあった。



そして2016年、活動休止から15年の時を経て、THE YELLOW MONKEYが再結成を果たした。

誤解を恐れずに言ってしまえば、幼少期に日常の音楽として聴いていて、物心ついたタイミングにいなかった推しが、ようやく私の目の前に現れたのである。


その頃にはすっかり社会人となっていた私は、2017.12.10に念願のTHE YELLOW MONKEYのライブを鑑賞することが出来た。


再結成前にも、ドキュメンタリー映画とかでメンバー全員が共演したり対談したりしている関係性だったから、正直【再結成するとしたら、一番近い位置にいる著名バンド】だとは思っていた。


でも、実際生で演奏を聴いてみると、解散したバンドメンバーが誰一人欠けることなく再集結したのは当たり前ではなく、ある種の奇跡なんだと実感させられた。


そういう出来事を経て私が感じたのが、『推しが推せる時に来た』という捉え方だった。

もしも、解散後に好きになったバンドやアーティストが復活しなければ、そのバンドのライブに生で行く機会なんて無かった。
おこがましい言い方になるが、推しの方から【再結成】という全力で推せるタイミングに来てくれた感覚がある。


例え、推しが推せるうちに推せなかったとしても、推しが推せるタイミングで現れる事だってある。

THE YELLOW MONKEYが、私に教えてくれたこと。


まとめ

『推しは推せるうちに推せ』は、ある種の真理だと思う。
時間と命は永遠ではないから。

その一方で、推せるうちに推しに巡り合えないことだってある。

前述した私の内容はレアケースかもしれないけれど、推しが推せるうちにいなかったとしても、それは悲しいことでは全くないと私は思う。


私個人の音楽の話になってしまうが、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTとか赤い公園は、主要メンバーが亡くなったタイミングで初めて、バンドも曲も存在を知った。


フジファブリックも志村が亡くなる前から聴いていたけど、ライブに行ったのは2014年の事。
志村正彦の存命中に、ライブに行くことは出来なかった。



でも、知るタイミングを逃したからと言って、そこに対して後悔を覚えることはないと私は思う。
何故ならば、今でも彼らの楽曲を好きで聴いているから。


何なら、推せるうちに推しがいなくても、好きでいることには変わりないでしょ?
その気持ちで良いんじゃないかなって。


そんな私の前に現れた推しは、2024年5月にオリジナルアルバムをリリースする。


私が物心ついた時に不在だったバンドが、こうして新しい作品を紡ぎ出してくれることは決して当たり前ではないし、聴き始めた当時は想像すら出来なかった。


そして、東京ドームのライブでは、ボーカルの吉井和哉は咽頭癌明けにも関わらず20曲以上を歌いきり、メンバーは会場の隅々まで熱狂を伝播させていった。


幼少期に音楽番組に触れさせてくれた両親の存在、解散後にも音源や映像作品を出してくれた人達、再結成後にカッコいい姿を見せ続けてくれるTHE YELLOW MONKEYのメンバーがいたから、こうして好きでいられた気がする。

【推せるうち】が何時、誰の元に訪れるか分からないからこそ、そのキッカケの芽は大事にしていきたい。
そして、そのキッカケに【遅い・早い】は無い。


手前味噌になるが、私が今一番好きなプロレスにしても、好きになり始めたのは新卒社会人になる直前だった。


学生時代からプロレスを好きな人達の、楽しそうなエピソードや光景を見聞きする度に羨望しかないけれど、大学卒業直前というタイミングで好きになったことは必然だったと思える。

この話をすると、他のプロレスファンの方から「(好きになり始めたのが遅かったの)意外ですね!」と言われることもあるけれど、好きでいる気持ちがあれば年数や知識は関係ないことの証左だと私は勝手に思っている。


だから、推しが推せるうちにいないこと・出来なかったことを、気に病んだり後悔したりする必要なんて無い。
自信を持って、「好きだ」と叫ぼう!


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