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『動員』だけで内容を量る違和感について

「観客動員が少ない(少なかった)」

「満員ではなかった」

Twitterの私のタイムライン上で、時折、そんな意見を見かけることがある。

数字というものは、魔性かつストイックだ。

曖昧模糊とした印象を排し、淡々と物事を曝け出す。

例えば、会場に行って、私の体感で「人が多く入っているね」と感じても、満員か否かの尺度は数字が冷静に暴き出す。
時として、残酷なまでに。

一方で、会場の雰囲気や試合の熱量、感想だとかも、【数字に表しづらい要素】として十分すぎるくらいに魔性であると、私は思う。
私の体験の範囲でしか語れない、局所的な要素だという自覚はありますが…。


【少ない観客数】が【つまらない興行】とは限らない

私自身、【観客数】が【興行の期待値】を表す1つの要素になるとは思っているけれど、実際の【興行の面白さ】に必ずしも直結してくるとは思っていない。

思えば、今の私を形作ったのは、「チャンピオンカーニバル優勝決定戦でもガラガラ」という苦境に立たされた、2015年4月25日の全日本プロレス後楽園ホール大会だった。

あの時組まれた『大森隆男vs諏訪魔』を見ていなければ、きっと私は【色々な団体を見に行く楽しみ】に出会う事は無かっただろう。


最近だと、2021年の大晦日に行われた、『佐藤光留デビュー21.8周年記念興行 大晦日変態祭り』もそうだった。

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正直、当日の新宿FACEに集まった観客数だけ見れば、今まで私が見た中でも一番少なかった気がする。

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でも、あの日あの場所に来た人達を、確実に大満足させるだけの面白さと素晴らしさが、この興行には間違いなく詰まっていた。

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自分の思い出なんて、動員数では量れない。


人それぞれ、事情を抱えている

新型コロナウイルスは、我々の生活や常識を一変させてしまった。

あの時を境に、プロレス会場から遠ざかったフォロワー様の存在も認識している。

「行きたくても職業柄行けない・遠征できない」とか、心境の変化だとか、チケット代の高騰とか、理由は諸々考えられるだろう。

かく言う私も、2020年3月末〜7月頭までの約3ヶ月間、プロレスが生観戦できなかった自粛期間を経て、心境や行動に少なからず変化が生じた。

まず、色々な団体に気軽に行けなくなった(行かなくなった)。

コロナ以前は最安値で3,000円〜4,000円がベースだったチケット代が、座席数減少に伴い、5,000円以上が当たり前になってしまった。

(ただ、これは致し方無い事だと思っている。)


そして、コロナ禍を経て充実しだした配信環境も、大きな変化をもたらした。

コロナ前はプロレス団体の有料配信サービスに加入していなかった私も、自粛生活に伴い『WRESTLE UNIVERSE』に加入した。

それにより、「配信あるけど現地まで見に行こう!」だったマインドも、「配信あるから別に良いかな…」にシフトチェンジ…。

生観戦派だった私にとっても、『配信がある』事は立派な選択肢として確立し出したのだ。

それでも今、私が現地まで行く理由は「写真が撮れるから」、「配信サービスに加入していない団体だから」、「フォロワー様に会えるから」くらいなものだ。


逆に言えば、高音質イヤホンなどがあれば、現地と殆ど変わらないレベルまで見れる事を、配信でも実感している。


例え自宅であっても、現地観戦のような『今日はここから!』が言えるようになったのだ。

これは、Πを広げる意味で、非常にポジティブな進化だと私は思う。

生観戦で感じた、『財布の疲弊感』

動員数は確かに大事な要素の1つだ。

でも、団体努力では難しいくらい、大半の団体はコロナ禍で動員を落としている印象がある。

正直、後楽園ホールで7〜8割入っていれば満員で良いんじゃないか、という体感。


現に、コロナ禍でも後楽園ホールを満員にするなど、『今一番チケットを取りづらい団体』になったプロレスリングFREEDOMSにしても、板橋グリーンホールなどの小規模会場は前売完売にしてきた東京女子プロレスにしても、2021年秋頃には、都内興行でも当日券のアナウンスがなされた。


この事は、ファンの財布の疲弊も一因しているのではないか、と私は考えている。


それでも、FREEDOMSや東京女子の動員に陰りが出た訳では無く、現に東京女子は、今年の1.4後楽園ホールを前売完売にしている(恐らく初ではないかと)。

各団体、ビッグマッチ開催増加や、同日同時間帯の興行被りがコロナ前より増えてきた分、ファンのパイを奪い合う状況でもある。

どんなに行きたい興行が複数あったとしても、実際に観に行く為の身体は残念ながら1つしかないのだ。

この事実はとても大きい。


まとめ〜『動員』は複数事象の重なりで成り立っている〜

個人的に、動員というものは、『時間』・『金』・『興味』・『環境』などの事象が、諸々重なって生まれるものだと思っている。

たとえ、行く為の『時間』を有していたとしても、手元に『金』が無ければ動員には繋がりにくいだろうし、『興味』も無ければ行く方向にはならないだろう(逆も然り)。

行きたくても、職場や会場までのルートなどの『環境』で左右されるケースだってある。

私自身、2021年に転職する前までは、どれだけ仕事帰りに観戦したくても、残業残業で観戦に行くことも出来なかった。

だからこそ私は思う。

観戦できる事は、決して当たり前ではないのだ、と。

そして、(コロナ禍の今は特に)安易に『動員』だけで全てを量るのは、少々乱暴ではないか、と。

そういう観戦できる有り難みを噛み締めたい、という自戒にも似た思い…。

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