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もしかして、あの人はお釈迦様だった?

ライター:福田房枝

シュウさん(32歳)とは、ホント偶然としか言いようのない出会いだった。毎日通うラジオ体操の公園のベンチに、彼は1人座って本を読んでいた。 

そんな彼の前で、私はふと足を止め、突然声をかけた。『何の本を読んでるの?』何故かは、今でもわからない。本を5〜6冊横に積み上げて、静かに読書していた、その『佇まい』が、珍しかったのか?
いえ、コレは後づけ?で、
振り返って考えても、自分でも説明がつかない〝一瞬の出来事”だった。

「あ、コレですか?」と、読んでる本を私に見せてくれた。

が、読書の時にはメガネが必要な私は、それが、日本語ではない事はわかっても、英語かロシア語かアラビア語かなど、全くのチンプンカンプン。その本が、英語の本だとわかった私は、
続けて「貴方にとって本って、何?広い知識を得たい?それとも何か真実を見つけるため?」唐突な私の質問に、いやな顔も驚きの表情も見せず、一言「歩きますか?」と。

ベンチの本を大事そうに抱き抱え、スクッと立った彼、思わず『高っ!』。

聞くと身長は、193cmらしい。理数系が好きで、本は量子力学関係だとわかった。そんな彼に、理数系に苦手意識を持ち、ずーっと、そう50年以上、心に引っかかっていた質問をぶっつけてみた。

高校生の時、数三で習った微分積分が全く理解不能、何故高校生でこの勉強をしないといけないか、意味不明だった私は、生まれて初めて、教員室まで質問に行った。で、その時の教師の答えが、『まあ、人生をどう生きるか、その解明のため?』みたいな話で、なんか、茶化された感じがしたまま、今に至っているんだけど、みたいな話をした。

と、即座に彼は、「その先生の言った事は間違ってないですよ」と。
教師が言わんとすることは、17歳の私も大まかには分かっていたつもりだった。が、人生をどう生きるかと、微分積分の関連を〝具体的に〟聞きたかったのだ。が、多分、当時の私には、それは理解できないのでは?という事を、教師は見抜いていたのだと、今は、わかる。

その時の疑問を、彼なら答えてくれる!と直感的に思ったのかも知れない。で、1日目のその日、別れる時に時間をみたら、夕方の6時半。
ナント12時間以上も話し続けていた事になる。
それからも、3日間連続で歩いたり座ったりしながら、話は途切れることなく続いた。アインシュタインの相対性理論と仏教の関連、時代の変化をどう捉えるか、学校教育のあり方、メタバースや仮想通貨、人間と自然界、
お互いのこれからの事などなど、興味の赴くままの話は続いた。

彼とは、思ったママ、感じたママの会話で、心地良かった。
2〜3時間の時もあれば、一日中の時もあった。

で、3か月後のある日、突然、この2人の関係に幕が降りた。

その日は、これから約束があるという私を家まで送ってくれ、
「サエさん、お会いできるのは、今日が最後です」と。

事情が飲み込めないまま、私は「これからどうするの?」とだけ聞いた。

「勉強がしたいので、ロスかサンフランシスコの大学に」

以前から、「勉強をしたい、10歳に戻って勉強し直したい」と繰り返し言って、いつも本を読んでたので、勉強したい気持ちは理解できた。
が、多分それだけではないなと、咄嗟に感じた。
で、それは、私に対しての『終わった感』では?と。

彼は私に対し、批判するような言動は一度もなかった。優しい目で、態度はいつも誠実だった。(そう、彼の瞳からは、一つひとつにキチンと向き合おうとする丁寧さと、〝通り一遍の言葉〟や嘘は見透かされるであろう、賢明な洞察力、この2つが入り混じったものが感じられた)

それだけに、正直、私は狼狽えた。「彼の本当の気持ちは?」私は、この間の会話を必死で思いだそうとした。彼の質問の中に、それはあった!?

サエさんはよく、「それはそうだよ」「それは当たり前じゃない?」って言いますよね、「コレって口癖ですか?」と聞かれたことがあった。

真意を聞くと、ある違和感があったと言った。
またまた、彼の言いたかったであろう事を私流に要約してみると、人間が発する言葉には、曖昧で、繊細で、不明瞭なニュアンスがたくさん含まれているハズ。それなのに、私は、私の思考の範疇で、「それはそうだよ⁈」的な返事をしていたらしい。自覚がない自分にもびっくり!何故そんな言葉を?

自分なりに、深掘りしてみた。
先ず思いついたのは、私は72歳で、彼は32歳。
私の中に、『私はこれまでに、いろいろな仕事をし、職種や立場もさまざまな人との出会いを繰り返し、人生経験はそれなりにある。

が、彼は、大学を卒業して、10年、どう生きるかを試行錯誤している最中なのだろう!』との思い込みがあった、ように思う。

いえ、確かにあった。それを、彼は見抜いたのではないだろうか?
私が1番嫌いな、『この人はこんな人だろうと、自分の思い込みだけで、勝手に、他人を判断していまう』ことを、私自身がしていた。
わかったつもり、知ってるつもり、理解しているつもり。
つもり、つもりの三重苦。そして、こうも思っていた。
『今だけ、金だけ、自分だけ』のような人たちとは、私は違う次元にいる!この歳で私は社会的関心もあり、仕事も現役で、イケてる婆さんの部類に入ってる⁈と。

恥ずかしい!!!!!しばらく思考停止、で、
その後、『この3か月は、一体ナンダッタ?』『彼は一体、誰?』との想いが、身体中をグルグル巡った。頭をガーン!というのではなく、気がついたら、低波長で静かにしずかに考えてるみたいな?

そう、思索!この言葉がピッタリかも❣️

話を聞いた友人は言った、「彼は、宇宙人だったりして〜!?」

宇宙人?、唐突な言葉だったが、何かハッとするものが。
でも、納得!とまではいかなかった。

その日は、映画を見ながらも、食事をしながらも、〝思索〟はずっと続いていた。が、翌朝の4時半、寝起きのベッドの中で、突然、その答えは降ってきた!

「彼は、もしかしてお釈迦様だった!?」

その思いに至ったら、何故だか霧が晴れたみたいに、ストンと腑に落ちた。

不思議だった。

そういえば、出会った最初の日、「自己紹介するとしたら、何と答えます?」の私の質問に、ちょっと考えて、「〝仏教徒〟ですかねえ」と応えた事を思い出した。私は、意外な返事に「へぇ、おもしろ〜い」という気持ちと、『えーっ、仏教徒!?本はたくさん読んでるかもしれないけど、修行も得度とかもしてないんでしょう!?、私の母の実家は27代続くお寺なんだよ、仏教徒なんて、そう簡単に言えるものではないし、言ってほしくないな』そう、心で思っている自分もいた。
が、私が出した言葉は、「えーっ、仏教徒〜!?」だけ。
あと、何言ってんだかみたいに、ポンと腕を叩いて、軽く受け流した。

また、こういう事もあった。
コレから何したいですか?と彼の質問に
「自分の心の中にある、要らないものを一つひとつ捨てていきたいかな」と。即座に彼は、「その先には何があると思ってます?」と。

質問が核心に触れた時、突然仕事の電話が。
約束をすっかり忘れていた私は、慌てふためいて、ごめんなさいも言わず、その場を後にした。

後日、珍しく彼からメールが。

「サエさん、あの時の答えはでましたか?」と。

伊勢神宮にお詣りの最中で、メールを見ていなかった私に、コレもまた初めて、彼から再度電話がかかってきた。内容は、メールと同じく、『要らないものを捨て去った後に残るものは?』の質問だった。
息子と一緒で、心も旅先だった私は「あれから何故か、その質問が引っかかってて、考えてはいるんだけど。ごめんなさい、今、伊勢神宮なの〜!」と電話を切った。
「へぇ、こんな事もあるんだあ、珍しいなあー」とその時には思ったが、直ぐに忘れた。
でも、彼がもしお釈迦様だったとしたら、この私へのメールと電話の〝シツコイ〟問いかけは、合点がいく。

もう一つ、思い出した事がある。
『どういう状態の時に幸せを感じるか?』を話しているときだった。
「仏さまの考えや空気感の下?元?にいるというか、一緒に居ると感じられる時ですかねえ」
「お天道様に見られてもいいように!とかは、よく使われますよね、でも、それとはニュアンスが違います」とも。

コレって、まさしくまさしく!では?彼がお釈迦様?かどうかは横に置いて、いえ、この際、本当にお釈迦様からの問いかけだと考えて、思索を続けてみよう!

そう、何故私は、『知ってるつもり、わかったつもり、つもりつもりの〝お花畑思考〟になってしまったのか?だ。私の未熟さが土台にあるが、その原因を私なりに考えてみた。で、思った。人間は、目の前に〝物体〟があると先ず目に映る〝物体〟をみて、認知や判断をしようとする傾向がある。

年齢、性別、出身校に職業、&、顔形や服装などなど。
それも、自分の狭い過去の経験や、社会の常識に影響された枠内で。(シュウさんという名前の物体)身長193㎝、年齢は32歳、仕事をせずにほぼ毎日、公園で本ばかり読んでいる。

洋服は、Tシャツに半ズボン(オシャレっ気はなく、ほとんど黒色)履き物は、靴ではなくゴム草履や下駄。
髪は、少し長い髪を一つに結ぶ。眼鏡をかけているが、外すとなんとも優しげな目が。
本好きで、しかも内容は、量子力学という超専門的分野で、かつ5カ国を読みこなすという。
こうした目に見える表面上のものを、出来るだけスッパリ取り除いて、彼との3ヶ月を思い起こしてみる。

人間と自然、社会や時代の変化に対しての思い、どう生きていきたいか?などに対する『言葉』。

歩きながら出会った学校に行ってなさそうな子どもや、私に対しての車や暑さへの気遣いを含めた、何気ない『振る舞い』。

そして、何より彼の『生き方』。

大学を卒業後、友人たちが就活に励む中、彼の心は、そこには全く向かなかった。卒業後は、ホテル、飲食、道路工事と、いろいろなアルバイトをしながら、底辺?から世の中を見てきた。

田舎暮らしも体験した。彼は、そういう生き方を選択するリスクはもちろん覚悟の上で、現在の修行僧のような生活をしていたのだ、と今は思う。
彼が最後に言った言葉は、「こんな人間として生まれてきた責任を果たしたい」だった。こんな人間?それまでの私は勝手に、彼は、複雑な家族関係や学校教育に悲観した子ども時代を送り、サバイバルな生活を送ってきた人と思っていた。

が、そうではなかった。

最後の日に言った言葉は、「勉強は塾には行かなくても、成績はトップで、スポーツもクラブに行かなくても軽く1番になれた、でも、それがナニ?と、嬉しくも幸せな気持ちにもなれなかった。」と。

で、前の『責任を果たしたい』の言葉だが。
誤解を恐れずに私流に解釈すると、彼は、生まれながらに授かった
○地頭の良さ、
○優れた身体、
○透明感のある魂、
が自覚できているメタ認知の凄い人ではないか?

でも、それらは自分だけの持ち物ではなく、社会に還元するべきもの、考えているのではないか。

それが、『自分が生きている責任を』という言葉に繋がったのではないかと。

私は、「責任?それは使命と言う意味?」と再度聞き返したが、
『責任』だと、その時は珍しくキッパリ。

こうも言った。
エネルギーの開発が出来たらと思っていると。
エネルギー開発など、私には全くわからない世界だが、これまでの話しをズッと思い返して、彼ならやれるのではないかと、根拠なく思った。

目に見える『物体としての彼』を全て取り払って、
『彼は一体何者?』と考えた時に感じたのが、お釈迦様では?ということだった。

彼は、スマホもテレビも見ない修行僧のような生活をしていた。
スマホは一応持ってはいるが、持ち歩かずに、私との時間も丁寧に向き合ってくれていた。何かの本で読んだ事があった!?
お釈迦様の出家行脚。知らない人から見たら見窄らしく、 
一見邪険にされそうな装いをして、出会った人に、説法をしていたという話。
コレらさまざまな事で、シュウさんとお釈迦様がダブって感じられた。

唐突で不思議な話だと自分でもわかってはいるが、
そう考えると、いろいろな出来事に合点がいくのだ。

読んでる人には私の知識不足と表現不足が重なり、
「はあ〜⁇サエさん頭おかしくなった〜⁈」と思われるのは承知の上だ。

でも、どうしても書き留めておきたかった。
で、思った。

出来る事なら、これから何年かわからないが、この肉体を脱ぐまでに、お釈迦様の視点まではいかなくても、

せめて、シュウさんが見ていたであろう、
常時193cmの視点と、
そこから見える風景を観てみたいものだ。

そこが、どんな世界なのか、それを知りたい。

そこは、自分の中の要らないものを取り去った後に見えてくる
〝風景〟なのです。


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