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女の子と赤ペン

4年生の春休み、ぼくは故郷の島で恋をした。それがたとえ両思いだったとしても、しょせん叶わぬ恋だった。なぜなら、ぼくの住む家と、その女の子の住む島は千キロ以上も離れ、今でもフェリーで半日、飛行機で3時間もかかり、大人でさえ簡単に行き来できる距離ではなかったからだ。まだインターネットもない時代だった。結局、ぼくは失恋したのだった。

少し長めの春休みを終えたぼくは、一週間遅れで五年生としての新学年をスタートした。新担任は岩井先生だった。丸い眼鏡をかけ、少し出っ歯でよくしゃべる、いつもクラスを笑わせているひょうきんな女の先生だった。クラスで推し(当時はそういう言葉はなかったが)の歌手の話をよくしていて、コンサートに行くだとか嬉しそうにしていた記憶がある。

新しいクラスの教室に入ると、黒板の前で、岩井先生がぼくをクラスのみんなに紹介してくれた。ぼくは、まるで転校生になったような気分だった。
その時、ぼくは少し大きめの段ボール箱を抱えていた。恥ずかしいから嫌だと言ったのに、父がどうしても持って行けと言った。中身は島から持ち帰ったサトウキビで、クラスのみんなへのお土産だった。父なりに、ぼくがいじめられたりしないよう心配してくれたのだと思う。すぐにみんなと仲良くなれたし、効果があったことは間違いない。父には今でも感謝している。

自己紹介が終わり、お土産のサトウキビを配り終えると、岩井先生は、「澤君の席は、先生と同じ名前の岩井さんの隣です。ちなみに、先生は岩井さんの妹でも、お姉さんでも、お母さんでもありません、親戚でも何でありません」と笑いを取ろうとしてスベった後、「岩井さん、澤君はまだ教科書がないので、しばらく岩井さんの教科書を見せてあげてね」と言った。
先生が声をかけた方を見ると、一つ空いた席の隣の女の子が「はい」と言った。シュッとした顔立ちで鼻筋が通り、薄ピンク色の肌をした女の子だった。透明感のあるきれいな子だった。岩井先生が「じゃあ、澤くん、席について」と促したので、ぼくは少し緊張して自分の席へ向かった。

一時間目の授業が始まり、ぼくが自分の机と岩井さんの机をくっ付けると、岩井さんが教科書を開き、机と机の間に置いてくれた。ぼくが「ありがとう」と言うと、岩井さんはちょっと恥ずかしそうに下を向いて「うん」と答えた。初対面ということもあって、お互いに気を使いながらも、ぼくと岩井さんまあまあ打ち解けることができたように思う。岩井さんは間違いなくクラスで一番かわいかった。昨日まで失恋で落ち込んでいたのに、もう別の気になる子が現れてしまった。

初登校日から一週間後には教科書もすべて揃い、もう岩井さんと机をくっ付けることもないと思っていた。しかしぼくには、重大な欠陥があった。今ならそれなりの病名がつくが、それは、ぼくは忘れ物が非常に多いということだった。教科書、筆箱、消しゴム、赤ペン、給食費、ありとあらゆるものを頻繁に忘れた。その度に岩井さんに借りることになる(給食費以外)。最初は、親切に貸してくれていた岩井さんも、そのうちぼくが声をかけるだけで睨んでくるようになった。怒った顔がかわいいので、ついついぼくの顔はゆるんでしまい、ヘラヘラお願いすることになり、岩井さんがさらに怒るという悪循環に陥った。岩井さんとしては傍迷惑な奴だったかもしれないけど、ぼくにはそのやりとりも楽しくて仕方がなかった。

ある日、ぼくが例のごとく消しゴムを忘れ、恐る恐る岩井さんに「ごめん、消しゴム貸して」と言うと、「嫌」とあっさり言われた。「お願いだから」と、手を合わせても無視された。ぼくがすごく困っていると、「もう、これで最後」と言ってようやく貸してくれた。「次忘れ物しても、絶対に貸さないし、もう口も聞きません」と言った。ぼくは神妙に「ありがとう」とだけ答えた。なんだかんだ言いながらも、いつも最後には貸してくれるのが、岩井さんのいいところだった。

滅多にないことだったが、たまに岩井さんが忘れ物をした時は、ちょっと恥ずかしそうにぼくに「貸して」と頼んできた。顔の薄ピンク色の肌がぱっと紅く染まって、誇張抜きで本当にきれいだった。そして、ぼくがちょっと偉そうに「どうしようかな」などと言おううものなら、「もういい」と言ってぷいと横を向いてしまう。そうなると「貸して上げる」と言っても、一切相手をしてくれなかった。

岩井さんには、特徴的な癖があった。それは赤ペンのプラスチック製キャップを奥歯で甘噛みすることだった。ドリルを解く時、先生の話しを聞いている時、漢字の書き方の練習で一息ついている時、よく左肘を机について、手に頬をのせ、右手で握った赤ペンの、そのお尻に着けた真っ赤なキャップをいつも奥歯で甘噛みしてた。なぜ甘噛みかわかるかというと、そのキャップの先っちょには歯型が一切着いていなかったからだ。
岩井さんが薄ピンク色の小顔を少しかしげ、赤ペンの赤キャップを噛む姿は、どことなくかっこよかった。特にピンク系の服を着ている時は、いっそう様になっていた。僕の記憶の中の岩井さんは、いつも赤ペンのキャップを噛んでいる。
ぼくは岩井さんが噛んだキャップの付いた赤ペンを、時々、借りることがあった。でも汚いとか気持ち悪いとか思ったりしたことは一度もなかった。その赤ペンを僕の脳はただの物体としか認識せず、特別な感情を引き起こすこともなかった。岩井さんも、その赤ペンを何の躊躇もなくぼくに貸してくれた。

毎日学校に行くのが楽しみでしかたなかった。いつの間にかぼくは、岩井さんが隣にいるのが当たり前と思うようになっていた。一学期は岩井さんに迷惑をかけ通しで、それで却って親密になれたつもりでいた。考えてみたら、ぼくは妹からも頼りないと言われるくらいだから、岩井さんもぼくのことを手のかかる面倒な弟くらいの存在にしか見ていなかったかもしれないのだけど。

二学期になり、席替えがあった。岩井さんが隣りにいる当たり前の日常があっさり終わった。離れてしまって初めて、ぼくは岩井さんのことが好きだったと自覚した。二学期からは、姉御肌のリーダ的存在の村下さんという女の子と親しくなった。恋愛感情は一切なかったけど、すごく気が合い、村下さんをいつも笑わせていた。いつの間にかぼくは村下さんのお気に入りのような存在になった。同じクラスにいるのに、岩井さんとは話すことはほとんどなくなってしまった。

三学期の席替えの時、班で固まって席を作ることになり、一緒の班になりたい人を指名できるシステムになった。ぼくはなんとか岩井さんと同じ班に入りたかったけど、村下さんから同じ班になりたいと指名されて断れず、岩井さんと一緒の班にはなれなかった。村下さんと一緒の班はそれでそれで楽しかったけど、やっぱり、物足りなかった。

六年生への進級時にはクラス替えがなかったけど、その頃には、同じクラスにいても、岩井さんはもう遠い存在になってしまっていたた。

岩井さんはぼくとは同じ中学校へは進まず、小学校卒業と同時に隣の市へ引っ越して行ってしまった。ぼくは岩井さんのことが本当に好きだったけど、やっぱりこの恋も、失恋で終わってしまった。

そう言えば、よくつるんでた石崎くんと誰が好きかという話になり、ぼくが岩井さんの名前を出すと、ああやっぱりという反応だった。石崎くんによると、クラスで岩井さんに思いを寄せている男子は他にも何人もいたらしい。ところで、石崎くんはぼくには答えさせておいて、自分の好きな子の名前は一向に教えてくれず、最後に絶対笑わないという条件でようやく聞き出したのが「峰不二子」で、大爆笑してしまい、あやうく親友を失いそうになった。

その後、高校生になり陸上部に所属していた僕は、中距離走競技に参加するため、隣市の競技場へ出向いた。競技場のトラックでスタートの合図を待っている時、ふとコースの内側を見ると、体育座りをする岩井さんがいた。岩井さんは短距離走が得意で、小学校でもクラス代表に選ばれるくらいだったから、陸上部に所属していても不思議ではない。おそらく地元選手として競技監視員をやっていたのだと思う。岩井さんは高校生になって一層綺麗になっていた。僕は心臓の鼓動が強くなり、そして速まるのを感じた。中距離走は心拍数の勝負でもある。にも関わらず、スタート前に心拍数を極限まで上げてしまった僕のその日の成績が散々だったことは言うまでもない。


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