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卵豆腐のあじ

子供の頃、ぼくは食べ物の好き嫌いが多かった。母の田舎料理も食べられないものが多かった。きのこ類、トマト、鶏肉(ササミ、胸肉)、レバー…
数え上げたらきりがない。

小学生の頃は給食の時間が怖かった。給食にまつわる嫌な思い出はたくさんある。
一年生の時、放課後、六年生が教室を掃除してくれる中、トマトが食べられなくて一人、居残りさせられた。
二年生の時、チキンクリームスープを無理に食べて戻してしまい、その吐瀉物にいじめっ子が唾を吐きかけ、それを見ていた担任の先生がもの凄く怒ってその子に掃除を手伝うよう命じ、その子がわんわん泣きながらぼくと一緒に始末をした。それに凝りたぼくは、毎朝、給食のメニューを入念にチェックするようになった。食べられないものがある時は、給食袋の中にビニール袋を忍ばせておく。そして、給食の時間、みんなが見ていない隙をついて、その嫌いな食べ物をビニール袋に放り込む。残飯の入ったビニール袋は家で処分した。これで証拠を一切残さない完璧な完全犯罪成立だ。たぶん、担任の先生は見て見ぬふりをしていてくれたのだと思う。先生、ありがとう、そして、給食を作ってくれていたみなさん、ごめんなさい。
高学年になるまでには、多くの嫌いなものを克服できた。給食の早食い競争に参加できるまでになったし、人気の残り物を分け合うじゃんけん大会に参加するようにもなった。それでもトマトは苦手だったし、鶏肉はもっと嫌いだった。

大人になった今でも嫌いなものは結構あるが、無理すれば食べられないことはない。
新婚時代に妻が作ってくれた料理を見て、卒倒しそうになったことがある。椎茸ハンバーグと呼ぶのだろうか、裏返しにした巨大な椎茸の傘の上にハンバーグを乗せた料理だ。椎茸が大好物の妻は、私が大好物のハンバーグと一緒なら、椎茸も美味しく食べらると思ったらしい。
作ってくれた妻には平謝りして、椎茸を取り除いてもらった。そこまで嫌いとは思わなかった、と妻は許してくれた。
現在はぼくが主に料理を担当しているが、椎茸を食材として使うのは炊き込みご飯や煮物くらいで、それも小さく切ったものだ。鍋料理には丸ごとの椎茸を使うが、そのほとんどが妻の口に入る。


卵豆腐はぼくにとって特別で、ちょっと苦手な食べ物だ。卵は好きだし、豆腐も嫌いではない。卵豆腐のあの独特の風味が、なぜだか、ぼくの感情をものすごく揺さぶるのだ。


ぼくが二歳のとき、ぼくたち家族は南の島から本州のある町に引っ越した。
それはぼくの病気の入院治療のためだった。病院は隣町の山の上にあった。入院したその日、病室の窓からは、雪で真っ白になった山々が見えていた。二歳の記憶が今でも鮮明に残っているのは、生まれて初めて見た光景だったからではなく、それがあの孤独で過酷な日々の始まりだったからだろうと思う。

ぼくの病室には、同じくらいの年代の子供が十人くらいいたと思う。病室は教室みたいになっていて、窓側と廊下側にそれぞれ一列ずつベッドが並べられ、隣の病室と隣接する一方の壁側には、小さな机が一つぽつんと置かれていた。その机の上には、誰かの手術が行われる朝だけ、牛乳瓶が一本置かれる。手術を受ける子は、朝、その牛乳一本だけを飲む。
これはぼくたちにとっては、死刑執行宣言のようなものだった。机に牛乳が置かれると、病室の空気が一気に重くなる。そして、どうか自分の番ではありませんように、とひたすら神様にお祈りする。なぜ人間は、あんなひどい仕打ちを考え出せるんだろう。

ぼくは、病院で特殊な能力を発達させた。それは、翌日の手術を正確に予知する能力だ。予知をしたその夜、ぼくは必ず熱を出し、翌日の手術は延期になった。困り果てた担当医の先生は、ぼくの手術日を当日まで看護師さんたちに知らせないようにし、ぼくの両親には手術前日には面会に来ないように伝えた。
あまり好ましい能力ではないかもしれないけれど、今でも人の表情から負の感情を敏感に読み取り、悪意を持つ人たちをうまくかわしたりできるのも、この能力のお陰だと思う。ちなみに、他人の好感情のほうはスルーしてしまいがちで、こちらはこちらで厄介である。

ぼくにとって手術室は、無機質な緑色のリノリウムの床、いくつもの電球を蜂の巣のよう円形に配置した天井の照明、そしてぼくの周りを取り囲むマスクと手術着姿の大勢の大人たちのイメージだ。ぼくの口にはプラスチック製マスクがかぶせられ、そして、そこから苦い味と匂いのする気体が出てきて、ぼくは寝ないように必死で努力するけど、結局、それには勝てず、次に目を開けた時には病室のベッドに戻っている。
鼻の奥と喉がからからで、口全体に苦い味がする。ベッドの横のテーブルには、吸い飲みと呼ばれる急須状の透明な容器が置かれ、中には透明な液体が入っている。母か看護師さんが、その甘い液体を吸い飲みから直接飲ませてくれるが、美味しくもないし、喉はまったく潤わないし、気分も一向によくならない。

古い戦隊シリーズやアニメ番組のテーマ曲を聞いた時、大勢の子供がいる娯楽室の後方で、看護師さんに抱かれてテレビを見ている光景がフラッシュバックする。
自分の家がどこにあるかすら知らないし、歩けもしないのに、夜、寂しくて、ベッドの中で、病院を抜け出し、家まで歩いて帰る妄想をする。
食事をちゃんと食べさせてくれない意地悪な看護師さんがいた。
口に入れた体温計を噛み割り大騒ぎになった。
くまのプーさんを読み聞かせしてくれる看護師さんから、ひらがなを一つ一つ教えてもらった。
退院する日、先生や大勢の看護師さんたちが見送りしてくれた。


卵豆腐を病院食として食べた記憶はない。けれど、卵豆腐を食べると、なぜか一口目を口に入れたその瞬間、なぜか一口目にだけ必ず、不安、苦しみ、辛さ、切なさ、寂しさ、悲しさ、懐かしさ、郷愁、嬉しさ、喜び…、あらゆる感情がないまぜになって一気に押し寄せてくる。しかし、二口目にはもう何の感情もわいてこない。

卵豆腐の一口目だけが、ぼくはどうにも苦手なのである。


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