小説

コンビニ店員(仮)

明日葉 陽子(31)夢破れて地元に帰ってきた。実家にいる。深夜帯のコンビニバイトに入り、佐倉と出会う。
佐倉 唯人(34)コンビニ店員。深夜帯でよくシフトが明日葉と一緒になる。人が考えていることを読み取る能力(エンパス)がある。

「…ばさん、明日葉さん」
優しい声が私を呼ぶ。
そうだ、思えば、こんな風に優しく呼びかけられたことは最近あったろうか。
仕事先やそっけなく名前を呼ばれ、機械的に返事をし、自分が「明日葉」という名前のついた社会という歯車のひとつにでもなったかのように感じていて、そんな風に慣れていたらいつしか感情すらもなくしていた。
だけどその声は、私を私として、私を求めて呼びかけてくれているような感じがした。
振り返ると、呼びかけていたのはーーー。

「明日葉さん!」
明るい電光灯の中、私は目を覚ました。
目の前には新商品のでかチキン、それを片手にトングで店のショーケースに納めようとしている私の手、そして私のそばには佐倉さんがいた。
ここは職場のコンビニで、ショーケースの中に空になった商品を補充しようとしていて、私はその最中に今日に立ったまま寝落ちして、それに気づいた佐倉さんが呼びかけていた、、ということを、目を開けて見えた状況から察したのであった。
「明日葉さん、起きましたか」
佐倉さんが問いかけた。
「はい、すみません」
佐倉さんはよくシフトが一緒になるアルバイト先の人で、わりかし寡黙でそんなに世間話とかもするような雰囲気でなくて、一緒になっても淡々と仕事をすることが多い。
そして、この時間帯。深夜シフトはお客がいないことも多く、うっかり寝落ちしてしまったのである。
「しかし、器用に寝ますね。寝ながらチキンを補充されてました」
佐倉さんが言う。
どうやら、商品を落としたりはしていなかったようだ。少しほっとしつつ、自分のやらかしたことが急に恥ずかしくなった。
「すみません」
「いえ」
佐倉さんは顔を伏せ、もともとやっていた雑誌の補充作業に戻った。
ここのコンビニでアルバイトを始めて1ヶ月。深夜帯にしたのはなるべく知人や人に会いたくなかったということと、深夜という時間に落ち着きを覚えるようになったという理由からである。
それまで、私は役者を目指して東京で暮らしていた。両親の反対を押し切り、知人にも多くを語らず身一つで出ていった。
右も左もわからない世間知らずの人間だったが色々調べて演劇のワークショップに通い、アルバイトを掛け持ちしながら役者仲間からの紹介で舞台の出演やドラマのエキストラをこなし、次第にちょっとした役をもらえるようになった。
とにかく動いた。何もわからない私は使い物にならず、舞台やドラマの監督から「こんなに使えない奴は初めてだ」とかなんとか言われながら、それでもなんとか食いしばって動いた。
そんな生活を2年続け、私はついに地上波の連続ドラマ出演が決まった。
メインの役所ではないけれど、ちゃんと役名があり毎回レギュラー出演の予定であった。
その頃、舞台役者としても次第にオファーをもらうようになり、舞台を2つとドラマを掛け持ち、もちろんそちらでの収入だけではとてもやっていけないので他の時間はアルバイトをフルで詰め込んだ。
とにかく前だけ見て、見て、ドラマ出演で次の扉が開かれることだけを考えた。
そして、ドラマ撮影が始まった1週間後、私は撮影現場で倒れた。
過労で数日休養してすぐに戻るつもりであったが、休養後、その現場に私の居場所はなかった。
私の役は他の役者に渡されることになり、私は実質降板扱いになったのだ。
ドラマの撮影はめまぐるしく早い。私のような無名役者の休養を待ってくれるほど、この世界は甘くなかった。
とりあえず、残りの舞台の稽古の現場に戻った。久しぶりに現場に立った私はいつも通り稽古の台詞通しで声を出そうとすると、なぜか声が出なくなった。
それは、焦れば焦るほど喉にブロックがかかったかのようになり、無理やり声を出すと何度も噛んでしまい、吃音のような状態になってしまう。
そんな私を見て役者の1人がため息をついた。
何度も、立て直そうと練習した。だけど家では問題なくできていた台詞通しも、稽古場になるととたんにできなくなった。そんなことが続いていると最初は休養明けで多めに見てくれていた他の役者仲間の視線も次第に冷ややかなものとなり、どことなく私の居場所はこの場所にはないように感じられるようになった。病院に行くと、しっかり休養する期間が必要だと言われた。睡眠薬や機械の羅列みたいな慣れない名前の安定剤とやらを処方され、私は家路についた。
いつも舞台の仕事とアルバイトでギリギリのところで食い繋いでいた。休むことはそのまま死を意味する。だけど今の私は芝居の道に戻ることも、仕事をすることも難しく、残された選択肢はひとつだった。

2ヶ月前、私は実家に戻った。
役者としてやっていくから、と大口を叩いて成功する姿を見せるまではもう帰らないくらいの啖呵を切って出て行った場所。それが、こんな情けない姿になって帰るはめになってしまったことが情けなく、気まずく、だけどそこを感じる力も失せていたのでとりあえずの間は何も言わずに住まわせてもらうことにした。
実家に戻って1ヶ月の間は無の期間であった。
感情の起伏がなく、悲しいも嬉しいもなく、ただ淡々と食事を食べて寝て、というルーティンを機械的にこなした。
そのうち感情も時間の経過とともに戻ってくるものなのかと思っといたが、その気配は一向にやってこなかった。
このままでは永遠にこの無感情の無のループから抜けられそうもないので、とりあえずバイトでもなんでもいいから働こうと思った。だけど、私は人が怖かった。
役を介してであれば人と繋がれ、役者になるという目標があればそのために他者と関わるということもできたけど、丸腰の私になってしまった今、ただ1人のなにもない自分として他者とまた関わり合うことが怖くなってしまった。
私の地元はかなりの田舎で、働く場所自体そうそう限られている。そして田舎というのは噂が耳に入るのも早いから、私がどこで働いている、帰っている、ということもすぐに伝わるだろう。それがまた私は怖く、面倒臭かった。
なるべく人目につかない仕事にしようと思った。
コンビニに買い物に出かけた時ふと求人のポスターが目に留まった。
『深夜帯アルバイト募集!時給1200円 1〜5時』
残念なことに私の地元はなかなかの田舎で、仕事自体さして選べるような環境ではない。昼間の仕事でフルタイムで入る自信は今の自分にはなく、そして田舎ならではの人目が気になるということもあり、気が引けていた。
深夜帯というのは大変そうだけど、どちらにしろ昼夜逆転のような生活をしているし、きっとこの時間帯なら客足も少ないだろう。とりあえずアルバイトでも「働いている」ということで今のなにもしていない罪悪感からも少し解放されたかった。そんな理由で、私は深夜のコンビニバイトを始めた。

それから1ヶ月ーーー。
コンビニバイトは初めてで、思ったより覚えることが多く戸惑ったが予想通りこの時間の客は少ない。そのため、変に焦ったりはせずに、人目もさほど気にせずに仕事ができるのはありがたかった。
この頃、やっと少しずつこの環境にも慣れてきたところだ。
この時間のシフトに入れるアルバイトは少ないため店長にはありがたがられた。
普段は2人で店を回しており、たいてい、佐倉さんと一緒になることが多かった。あと、小沢くんという大学生の男の子が人手不足の時にたまに入り、それでも足りない日は店長が入りどうにかシフトを回していた。まあ、どこのコンビニ店でもありがちな慢性的な人手不足である。

「佐倉さん、補充終わりました」
「ありがとうございます。じゃあ、廃棄のチェックお願いできますか?」
「はい」
佐倉さんは入って2年程経つらしく、たいていのことは覚えているので、まだ入って間もない私は店長よりも佐倉さんから教わることが多い。たいていルーティンは覚えてきたが、一応作業の順番を指示してもらいながら仕事をしている。
「終わりました」
「では少なくなった商品の補充を」
「できました」
「掃除しといてもらえますか?」

暇なのでもうすでにほとんど掃除は終わっていたが、念入りにに普段誰もやってなさそうな四隅とかを綺麗に拭いてみた。それでも時間が余ってしまったので、レジスターの前に立ちしばしぼんやりしていると、佐倉さんも暇を持て余しているらしくその場に佇んでいる。
佐倉さんは寡黙で、仕事のこと以外何かを話すことはとても少ない。
たまに訪れるこの持て余した時間を無理やりどうでもいい世間話とかで埋めるべきなのか、それとも黙っていようかいつも一瞬迷う。大抵の場合、一言くらい寒いとか暑いとか天気のこととかどうでもいいことを話して、佐倉さんもなんとなくそれに乗って返事をして、その後はぼんやり佇む。
なんとなく、お互いそれが暗黙のルールみたいに2人きりになった時の決まりのパターンだった。
「明日、めっちゃ寒くなるみたいですね」
「そうですか」
「そうみたいです」
たぶん、文字にするとかなり気まずい雰囲気のような気がするのだが、なぜかそこまで居心地悪く感じないのは、佐倉さんが空気を読んで世間話をしたりすることを好んでいない人だとわかるから、でもあり、私自身が、その後に続くべきであろう「いやですねえ」とか、「もうそんな時期なんですねえ」とか、適当なことを言えるような感受性を失っていて、寒いことが嫌なのかなんなのかもよくわからなくなっていたら、というのもあるかもしれない。
気まずくなってもまあ、仕事をちゃんと最後までこなして終わらせられたらそれでいいと思っていた。

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