小説「明日葉さんの明日」9

※今回からタイトル変えました。

買い出しに出た。
近所にスーパーや買い物ができる場所が少ないその際この近辺の人々はたいてい、ひと町向こうにある商店街へ向かう。
例に倣い私もそちらへ赴いた。恥ずかしい話こちらに戻ってきてから職場のコンビニ以外ほとんど出かけたことがない。そんな私を見かねてか、親が私に買い出しを頼んできた。
ちょっとしたものであればうちのコンビニで賄えるのでPEARCHはこの街のライフラインみたいな役目も果たしていると思う。けど野菜だの肉だのはやっぱりスーパーでないとないので、そういったものやら日用品やらを頼まれた。
自転車で30分かけて商店街に向かう。
調味料やら、肉やら何やら買っていたら結構な量になった。自転車のカゴと後ろ側にはトイレットペーパーを置いて荷物を止める紐でくるくる巻きにした。
自転車を押しながら商店街を歩く。
鮮魚店やらスーパーやら、この商店街は昔ながらの活気ある雰囲気で賑やかだ。
商店街全体が賑やかなひとつの生き物みたいで、人の賑わいがリズムのように感じる。
人混みは嫌いだけど、お店の活気だったり、たわいない話をしている店員と客のやりとりを見ているのは、居心地が悪くなかった。

私はその活気の輪を外側から眺めている。
いつでも、多くの人と関わったり出会ったりする場にいると、そんな気がしていた。
中に入りたいし、もちろん努力して会話をしたりするのだけど、相手もちゃんと迎え入れてくれているけれど、いつまでも私の「外側から1人だけ世界を眺めている異国人」のような感覚はあり続ける。

そんなことを考えながら八百屋を通り過ぎる。

自転車ですれ違った人に、何か覚えがあるような気がして振り返った。

佐倉さんだった。

この街に住む人間であるならば、買い物はたいていこの商店街を利用する。佐倉さんがいても何ら不思議ではないのに、仕事先以外で佐倉さんを見るのはとても変な感じがして、「佐倉さんも普通に買い物をしたり、生活を営むのだ」ということが、なんだか不思議だった。

買い物かごには八百屋とかで買ったであろう食材や日用品なんかが入っている感じで、たぶん佐倉さんもまとめ買いしたのだろう、かごいっぱいに何やら入っている。

今日は仕事休み。
私は暇だった。
暇だったら何をしても許されるのだろうか。
そんなわけはない。
ただ、どういうわけか、買い物をした後に続く佐倉さんの生活がどんなものなのか、普段、そういう話をまったく知らないからこそ、ほんの少しの好奇心が湧いた。

私は佐倉さんの後をちょっとだけついて行ってみた。

客観的に見ればこれはかなり危ない行為である。例のおじさんの事を、これで私は何も文句は言えない立場になってしまった。
否、ほんのちょっと、人懐っこい野良猫とかがいて、その後ゆるりとどこかへ行く様子を覗き見するような、感覚的にはそんな感じだ。言い訳にもならないけれど。
そして、やっぱりなんかわからないけど、佐倉さんならこういうことをしても許されそうな何かぎある気がした。
なぜだろう。仕事に関してはきちんとしている人だけど、いつもどこか掴めない、それこそちょっと人間離れしているというか、地球をこっそり偵察に来た宇宙人かなにかみたいな、そういった佇まいも感じる。人の心をつぶさに感じ取ることができるという能力?も、そう感じさせる一因のような気がする。

佐倉さんは商店街を抜け、近くの河川敷を自転車を押して歩いていた。ゆったりと、周りの草木を眺めながら歩いていた。
鼻歌を歌っていた。何の曲か思い出せないけど20年くらい前に結構巷で流れていた、小学校で流行っていた曲のような気がする。歌声が澄んでいると思った。
彼は河川敷に座り、おもむろにカバンからノートのようなものを取り出して何か書き始めた。鼻歌は知っている曲からぼんやりと聴いたことのないメロディーに変わり、歌いながら何かを書き留めているようだった。
ふと、佐倉さんの足元にキジトラ柄の猫がやってきた。
佐倉さんを歌う事をやめその猫をじっと見つめている。まだ大人になりきっていない、生後数ヶ月くらいに見えた。
しばしの沈黙。ふと、先ほどの買い物袋から佐倉さんは煮干しを取り出して、猫の少し近くに置いた。
佐倉さんはまたノートに視線を落とし、鼻歌を歌い始めた。佐倉さんの様子を伺っていた猫が、彼が自分のことを気に留めていないことを察すると、煮干しをゆっくりと食べ始めた。どうやらお腹がすいていたようだ。
不思議だ。なんだかこの時間が何時間にも、ほんのひと時にも感じられる。

こっそり覗いているのにどういうわけだか、その光景を見ているのが心地いい。なんでだろう?

あ、そっか。

佐倉さんはきっと、周りのものすべてをゆるしている人だからだ。

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