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ええ愛の日記と世界の終わり 2023年10月中旬の記録 

2023年10月10日(火)

一気に朝晩が寒くなった。目が覚めるとマークが布団に入っている。
連休明けの出勤はつらい。マークも会社に行くなと怒る。
でもお姉ちゃんが会社に行かなければマークのごはんも買えないんだよと、いつものようになだめすかして家を出る。

お姉ちゃんの膝の上から離れないひと

会社に着く頃にはすでにグッタリしているが、特許事務所勤務の宿命として、火曜日は発送書類の処理をしないといけない。
発送書類とはなんぞや? というと、特許庁から毎週発送される拒絶理由などの書類、特許翻訳ではおなじみの〝中間書類〟であり、これらの書類をガン無視していたら特許出願が却下される。

さらに出願案件などあれこれ発生して、あっという間に昼休みに。いつものコーヨーに行き、まずは2階のペットフードコーナーでマークのパウチ(ウェットフード)を探す。すると、関西スーパーで売っているパウチはどれも値上げしているのに、トップバリューのパウチは値下げしている。

いや、たとえ自分は100円以下のおにぎりや二割引きの総菜を食べようとも、マークには安物を食べさせてはいけない。
そう心に刻みこんでいるが……でも、安全安心のトップバリューブランドだし、前に買ったときも食いつきよかったし、と思って買い物かごに複数投入する。そのあと、自分の昼ごはん用に30円のコロッケを買う。もちろんトップバリューのパウチより安い。

結局薬局、この日は一日中ばたばたしたので、疲れ果てて帰宅。マークと一緒に布団に入る……が、寝る寸前に「あそこに(登録商標)って入れたっけ?」と気になりはじめる。

特許出願の明細書においては、なるだけ登録商標を使用しない、やむを得ず使用するときは、(登録商標)と入れる、というルールがある。「セロテープ(登録商標)」のように。

この日、明細書を出願前にチェックしたところ、(登録商標)と入っていない箇所があって、弁理士さんに「こちらで入れておきますね」と言った記憶はあるが……提出前にちゃんと修正しただろうか? 別に入れてなかったからといって重大な誤りではないが……気になって眠ることもできず、というのはもちろん嘘で、ちゃんと寝たけれど、なんとなく気が重い夜になった。

2023年10月12日(水)

そんなこんなで、疲れが抜けないまま電車に乗っていると、ふと、今日はたしかユニコーンのEP「ええ愛のメモリ」の配信開始日だったはず、と思い出す。
さっそくイヤホンを耳に入れて、1曲目の「ネイビーオレンジ」(聞いたことあるようなタイトル)を聴いてみると……なんじゃこりゃ?? と頭のなかで疑問符が舞う。誰が歌ってるの?? 本人? いや、なんかちがう。

よく見たら(AI VOCAL)と書いてある。そう、このEPは昔の曲の歌声をAIに入力して、AIに歌わせているのだ。「歌わす」という表現が正しいのかどうかわからないが。

ふたつの相反する感想がわきあがる。AIでもここまで本人に似せて歌えるんだなと驚く気持ちと、一方で、どれだけ似せても本人の歌ではないとはっきりわかる、人間の歌とはなにかが決定的にちがうという感慨を抱く。ボカロなどを聞き慣れている人なら別の感想を持つのかもしれないが、私としては、AIの歌は歌のようで歌ではないと感じた。

そんなことに気を取られていたら、いつものグッタリも忘れてしまい、いつの間にやら会社に到着。
まず昨日出願したファイルを見直す。ちゃんと然るべきところに(登録商標)と入っていた。自分でも知らないうちに修正していたらしい。あるいは修正したとたんに忘れたのか。それはそれで脳が心配だが……

一安心して、隣の席のOさんと雑談を交わす。Oさんの実家は猫を五匹飼っているのだが、そのうちの年長の子が最近亡くなったとのこと。

猫が死んだ話を聴くと、いつも世界の終わりのような気分になる。

少し前に、伊坂幸太郎『死神の浮力』を読んだ。ヒット作『死神の精度』に続いて、死神の「千葉さん」が登場する。

作家である山野辺が娘を殺され、犯人への復讐心を燃やしているところに「千葉さん」があらわれるというストーリーであり、『死神の精度』と同様に、音楽を愛し渋滞を憎む死神のキャラクターを楽しんだ。

しかし正直なところ、山野辺&「千葉さん」VS 犯人の戦い自体は、『マリアビートル』のように伏線が効いたスリリングなものではなく、また犯人像も書き割りのようで少し物足りなく感じた。
といっても、この小説がつまらなかったわけではない。これは死についての思索が綴られた小説であり、「死ぬことは怖いか?」という根源的な問いをめぐって、山野辺が死期の迫った父親と交わす対話に心が魅かれた。

「死ぬことは怖いか?」と考えるとよくわからない。いや、もちろん怖いのだけれど、自分が死ねばなにもかもなくなってしまうのだから、怖いもなにもないのでは、という気もする。

でもこれだけは言える。マークが死ぬのは想像を絶する恐ろしさがある。それから自分が生きていけるだろうか? といくら考えてもわからない。というか考えられない。まさに私にとっての世界が終わる。

薄目をあけて油断なくこちらを観察

でもいつかマークも私も死ぬ。そうなったら、たとえば、寝ているマークを見て私が感じている愛情はどこへ行くのだろう? と不思議な気がする。自分たちが消えてなくなると、愛情も消えてなくなるのだろうか? いまこんなに確固として存在しているのに。

あるいは、マークが死んだら、それこそAIマークが登場するかもしれない。さっきのAI VOCALと同じように、こんなの本人(本猫)とはちがう! と思うだろう。でもそれしかなければ、なにもないよりマシと受け容れたり、これはこれで可愛いと思ったりするかもしれない。

もちろん私が先になる可能性もある(なんとしても避けたい事態だが)。その場合、AI私が登場したら……マークはすぐになついたりして。

(吉井さんの病気のニュースも驚いたけれど、寛解とのことでよかった)


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