明日はきっと青空だって 2023年12月5日の日記
2023年12月5日(火)
朝、雨が降るなか駅に着くと、改札のまわりに人があふれていた。すぐに電車が止まっていると察した。構内に入ってみると、案の定人身事故のアナウンスが流れている。運転再開の見込みはまだ立っていないらしい。
駅でひたすら運転再開を待つか、家に戻って在宅勤務を願い出るか……一瞬迷ったが、火曜日は特許庁の発送書類があるため在宅では不便なので、二つ隣の駅まで歩いて、別の路線で大阪市内へ向かうことにした。
傘をさして、カート・ヴォネガット『Slaughterhouse-Five』を聴きながら歩く。主人公のビリー・ピルグリムが、みにくいフラミンゴのような風体で第二次世界大戦の戦場でさまよっている。銃撃され、塹壕に身を隠し、そのうちに時間のなかに解き放たれ、あらゆる年代を行き来しているうちに、時空の歪みによってトラルファマドール星人と遭遇する。
二駅分歩いてようやく電車に乗り、少し遅れる旨のメールを同僚のAさんに送る。すると、いつもすぐに返信があるのに、今日は返ってこない。忙しいのかなと思って、同僚のBさんにも送る。すぐに返信が届いたので、息をついてゆっくり座り直す。
それにしても、ここ最近は毎日のように人身事故が発生する。これだけ多くの人が電車に身を投げているのも恐ろしいし、事故自体にはもうなにも感じず、ただ、電車止まったら困るとしか思えなくなりつつある自分も恐ろしい。〝そういうものだ〟と考えるしかないのだろうか。
30分ほど遅れて会社に着くと、Aさんの姿がない。どうしたのだろうと思いつつPCを立ちあげると、Aさんからのメールが届いている。昨日急に父親が亡くなったので、今週いっぱい休むと書かれている。ここにも死がやってきている……
だが感慨にふける間もなく、期限の迫った仕事をBさんとともに片づけていくと、昼休みになったのでとりあえず休憩する。
そこでX(Twitter)を開くと、トレンドにチバユウスケが入っていて肝が冷える。いや、前もトレンドにあがっていてぎょっとしたが、誕生日やアラバキやライジング絡みだったじゃないか……今回もきっとそうにちがいない、と祈りながらトレンドを見てみると、死去を伝える公式のアカウントがいちばん上に挙がっていた。
「世界の終わり」をはじめてラジオで耳にしたとき、世間の多くの人と同様に、学生だった私も、なんとかっこいいバンドが出てきたのかと驚いた。それからあっという間に彼らは日本を代表するロックバンドになるのだが、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTがどれだけかっこよかったかについては、いまさらもうなにも言う必要はなく、というか正直なところ、個人的にはかっこよすぎて距離を感じるところもあった。
ところがミッシェルが解散してThe Birthdayになると、チバの書く詞がメルヘンチックとも言えるほどリリカルになった。いや、ミッシェル時代の詞も詩情にあふれているのだけれど、詩情の種類が乾いた白黒写真のようなものからカラフルで色鮮やかなものに変わった、と言った方が適切かもしれない。
The Birthdayのライブで定番だった代表曲のひとつ「涙がこぼれそう」では、こんな歌詞がある。
最初にこのくだりを聴いたとき、唐突に出てくるキツネとモグラにちょっと笑ってしまった記憶があるが、絵本のような多幸感あふれる光景と純粋を追い求める激しさが渾然一体となった、チバの詩情がもっともよくあらわれているフレーズのひとつだと思う。
その日はX(Twitter)にあふれる追悼ポストを見ながら呆然とし、でも仕事をこなさないといけないので、いつもどおり無の心で(チバの死にかかわらず、仕事のときは心を無にしている)作業を進めた。なんだか実感がわかなかった。
先の『スローターハウス5』では、「人が死ぬとき、その人は死んだように見えるにすぎない」と書いてある。「過去では、その人はまだ生きているのだから」と。時間というものは、通常私たちが思っているように直線的に進んでいるわけではなく、あらゆる瞬間は常に存在しているのだと。
たしかに、過去に聴いていた曲をいま再び聴くと、過去が現在になり、かつての自分、かつてのチバと再会できるような気がする。
それでも、未来の曲も聴きたかったと思うと、やっぱり悲しい。なんで死んだんやーと胸ぐらをつかんで問いつめたくなる。でも、チバはこんなふうに歌っている。
(The BirthdayのライブはZeppなどで観るのももちろん楽しかったけど、奈良のネバーランドや滋賀のU★STONEなどの狭いところだと、いっそう幸せな気持ちになれた。旅行先の金沢のエイトホールで観たときは、怒髪天の増子さんが客として来ていたことも懐かしい……)
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