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【シーズンテーマ・日常】劇的な出来事とは別の日々とは何かを、あえてビデオゲームで体験することで見えるもの

ビデオゲームでは何らかの劇的な体験をさせるために、劇的な状況や世界観を設定していることがほとんどだが、あえて真逆の日常そのものを描いて見せるケースも多々ある。

シーズンテーマ「日常」で取り上げるタイトルでは、あえてゲームとして生きる内容また、今後はこのテーマによるコラムやインタビューも予定。


●日常のなかの、ある瞬間

ここでは、普通は鑑みられることの少ない普段の生活のなかでの行為や感情を、あえて見直してみるアプローチのビデオゲームを特集。いずれも、身に覚えがある日々の一瞬を切り取って見せている。

『Commute』ーサンフランシスコ地下鉄の日々

シンプルなピクセルアートとテキストでゲームを作れるエンジン「Bisty」で、作者が過ごしただろうサンフランシスコ地下鉄の日々を、まるで日記か、あるいは詩を書くみたいに描いた一作。数分でクリアできる、ある日常の一瞬。しかし永遠にも感じられる一瞬を体験する。

『Gradually|じょじょに』ー生き急ぐ日常、立ち止まって見える日常

目標へ向かって急ぐことに焦りや不安を感じる人たちに「立ち止まってもいいんだよ」と温かく寄り添う短編ゲーム。

『TET』ベトナムをアイデンティティに持つ作者による、ルーツの旧正月に向けた料理アクション

『TET』とは、ベトナムの新年を表す言葉だ。本作は新年を祝う食事を、友達が集まる前に作るゲームなのである。ゲーム自体は無料でプレイ可能。プレイ時間は5分くらい。だがゲームオーバー(らしきもの)もあり、それなりに(料理を作り直すみたいに)リトライしながら新年の準備をしていくわけである。

●見えていない日常

『気のせいだ』 原因のわからない身体の痛みを抱えながら、医者を探すライフシム

フリーランスとして生活する主人公が、ある日、原因のわからない身体の痛みにさらされ、病院に向かうも医者たちはまっとうな診断を下さない。痛み止めの薬をもらいながら、また日々を過ごしていくことになる……。クリエイターのnpckcさんが、実際に指定難病の診断を受けるまでの日常を、ゲームを通してプレイヤーは体験する。

『ADHDventure』ADHD当事者が生きる世界を、ゲームプレイすることで体験する

発達障害の一種であるADHD(注意欠如・多動症)の当事者が生きる日常を、生活や仕事のミニゲームを通して理解していく。仕事に集中できなかったり、眠りに付こうとしたりしても、頭を渦巻く苦労がある。

●日常を手軽に描くためのゲームエンジン

itch.ioなどで広まっている、ゲームエンジン「bitsy」で開発されたゲームの特集。PCやスマートフォンのブラウザ上でもゲームを開発できる特徴から、まるで日記や詩、あるいはスケッチを描くかのようなビデオゲーム開発ができる。
こちらでは、開発者のAdam Le DouxがいかにBitsyを作ろうとしたか。そしてこのエンジンで「日常」をうまく描いたタイトルがどんなものなのかを特集している。
Bitsyはもちろん多様な表現が可能なゲームエンジンだが、本稿では特にゲームになりにくいはずのテーマをフォローアップするエンジンとゲーム開発シーンであることをとりあげている。

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