中村 怜生|Rei Nakamura

千切れた自己の欠片を拾い集めて。

中村 怜生|Rei Nakamura

千切れた自己の欠片を拾い集めて。

マガジン

  • 海と山の往復書簡

    • 5本

    ”海”に住む者と、”山”に住むもの。相反する両者が”言葉”を通じて響き合う。

最近の記事

人生第2ステージの最終年だった2023年。

2023年もあっという間に過ぎていきました。 関わってくださった皆さん、ありがとうございました。 今年ほど「ご縁で生かされているなぁ」「導かれているなぁ」と感じた1年はなかったように思います。これまでもそうだったし、これからもずっとそうなのだろうけれど、今年は人生の大きな節目だったので、なおさら強く感じたのかもしれません。 年末にこれまでの人生を振り返っていた時に、俯瞰すると「9年」でステージが変わっていることに気づきました。 (中村は早生まれなので2024年2月に27

    • 旅行記:2023年8月、岐阜。出会うこと、思い出すこと。

      小旅行の終わりを迎える時、決まって、その旅の意味合いが突如として目の前に降り立ってきて、「この場所に来るべくして来たのだぁ」という安堵感と幸福感に包まれる。 唐突に決まった今回の岐阜旅もまた、いまの自分にとって必要なことを教えてくれた。 まるで「生きていること」を再確認するような旅。2人の案内人に導かれて、こころを開いて、ただその空間に身を浸し、対話に潜っていく。 初めて訪れた岐阜という場所は、なんとも文化的で、美意識がそこかしこに張り巡らされていて、自然と自分の感性も

      • 【第三夜】海と山の往復書簡 2023.01.04

        ゆうさんへ 去年の11月に、ゆうさんが秩父に来てくれてから、はや2ヶ月。2022年はあっという間に急ぎ足で目の前を通り過ぎ、2023年は唐突にやって来ました。年の境目が曖昧になり、実感が軽くなっていくのは、年の功でしょうか。 三国の冬は寒いですか?秩父は盆地らしく寒暖差が激しくて、うっかり年末も発熱してしまいました。僕は海の近くの冬は体験したことがなくて、山の冬を体験するのも、今年が初めてです。 昨年の11月・12月は、うっかり自分の心を置いてきぼりにして、走ってしまっ

        • 温かい言葉を、取り戻すために。

          どうしても、書き残さなきゃならない。 未来の自分に、現在の自分の内側で深まった世界の一部を、贈り届けなければならない。 どんなに言葉に書き残したとしても、言葉は抜け殻のようになってしまうこともある。それでも、身体の感覚は移ろいゆき、心許ない。だから、すべて掬いきれなくても、なんとか言葉に留めておくしかない。 この1週間で、目の前に立ち現れた出来事たちは、その多くが繋がっていた。1ヶ月前には感じ取っていなかったことが、この1週間で確かに感じられるようになった。 それは、

        人生第2ステージの最終年だった2023年。

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        • 海と山の往復書簡
          5本

        記事

          言葉は向こうからやってくる。

          自分の中に漂うこころの揺れ動きを言葉にすることが、日常の豊かな余白になることを、僕は知っている。 その余白にこころを漂わせるたびに、余白を日常に取り込みたいと思う。余白を自由自在に操りたいと思う。 だが、それは叶わぬ願望だ。 余白は、自らつくろうとした瞬間、余白でなくなる。形作られた何かになってしまう。曖昧な豊かさを削り落としてしまう。 僕にとって、余白は言葉だ。そして言葉は、向こうからやってくる。こちらから迎えに行くことはできない。1ヶ月やってこないこともあれば、毎

          言葉は向こうからやってくる。

          【第二夜】海と山の往復書簡 2022.08.29

          僕も日々が溶けていくように過ぎ去っていきます。 環境にまだ慣れていないからか、目まぐるしく変化する一瞬一瞬にしがみついていくことしかできず、ふとした瞬間に訪れる余白に逢着して、なんとか筆を執っています。 そして何よりも、日常に余白をもたらしてくれるものこそが、自然だと痛感しています。 …ゆうさんは、海にさまざまな表情を見出しているんですね。自分には感じられていないことで、海で育ったからこその言葉だと感じます。 僕から見た海は、常に揺れ動いていながらも、全体としては泰然

          【第二夜】海と山の往復書簡 2022.08.29

          人生で初めての「言葉」の展示を終えて。

          「言葉」を展示する人生で初めて、展示なるものをしました。 展示をしたのは「言葉」。 福井に住むゆうさんと始めた「海と山の往復書簡」。その手紙を中心に(まだ2往復しかしていないけれど。笑)、それぞれが書いた小説や詩・エッセイを展示しました。 展示をさせていただいたのは、福井・三国に拠点を置く若い世代が中心となって立ち上げた「集団小商」主催ポップアップイベント「Co-ten」。 「個」であり「Co(一緒に)」なのが素敵。 自分のアイデアを形にできる場所で、何よりみんなが

          人生で初めての「言葉」の展示を終えて。

          【第一夜】海と山の往復書簡 2022.08.10

          日常に余白が生まれたら、歩くことと読むことを、何よりもこころの糧としてしまう。 そんな腰の重い僕に、場所を飛び越えさせるもの。 それは「ひと」でした。 "青" をこよなく愛し、"言葉" に自らを委ねるそのひとを、話す前から僕はどことなく近くに感じていて、話してみると、やはり近くに感じたのでした。 自分の脳内に溢れる混沌をそのまま垂れ流しにできる相手は、そう多くないのです。 そんなあなたと、こうして言葉を交わせることは、無上の喜びです。 相手を見ていながらも、自分を

          【第一夜】海と山の往復書簡 2022.08.10

          2022年夏。秩父に移住しました。

          またひとつ、節目を迎えたので、書き残しておきます。 2022年7月、秩父に移住しました。 リトリートができる自然公園「Mahora稲穂山」の運営と、新しい事業づくりに関わらせていただいています。 いまの率直な気持ち今年の1月末でスモールキッチンズを離れてから、 「次どうしようか…」 と、悶々とした気持ちを抱えていました。 「今回もまた途中で投げ出してしまったなぁ…」という自己嫌悪と「もう今年で26歳だ…」という焦燥感に、押しつぶされてしまいそうで。 スモールキッ

          2022年夏。秩父に移住しました。

          「言葉」の奴隷になっちゃいけない。

          「自分を語る」ということ。 とりわけ、自分語りが「言葉として残る」こと。 その意味を、最近、なぜかよく考える。 かく言う自分はかつて、よく自分のことを語っていた。 だが、ある時を境に「自分を語る」という営みに、底知れぬ恐怖を感じるようになった(noteのアカウントも持っていて、何本もポストしていたのだけれど、アカウントもろとも削除してしまった)。 書いている時は、自分の「真実」が言葉となって現れていると、信じて疑わない。 けれども、時間が確信を徐々に揺さぶり、そして

          「言葉」の奴隷になっちゃいけない。