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余命3ヶ月の恩師に、ビブリオバトル優勝を届けたい。

――ここまでしてビブリオバトルにこだわる理由が僕にはあります。全国制覇の夢を届けたい人がいるからです。


人生は物語。
どうも横山黎です。

大学生作家として本を書いたり、本を届けたり、本を届けるためにイベントを開催したりしています。

毎月最終日には、誰の目も気にせず、自分の過去のことをつらつらと綴っています。今月も最終日を迎えたので、記憶の旅に出かけてみます。とっても個人的なことになるし、長くなるかもしれませんが、是非お付き合いください。


今回は「余命3ヶ月の恩師に、ビブリオバトル優勝を届けたい」というテーマで話していこうと思います。


📚優勝を届けたい人がいる

最近の僕といえば、本にまつわる投稿をしたり、本屋さんやブックカフェに行ったり、本のイベントを開催したりしています。

全国大学ビブリオバトル2023で優勝するために「種まき」をしているんです。

ビブリオバトルとは、自分のお気に入りの本を5分間で紹介するプレゼンイベントのこと。リスナーはバトラーの発表を聴いていちばん読みたくなった本に票を入れます。最も票を集めた本がチャンプ本になるというわけです。

高校時代から公式戦に参加してきた僕は、今までに2度、全国大会に出場することができました。1度目は高校2年のとき、2度目は去年、大学3年生のときです。しかし、どちらの大会でも途中で敗退という惜しい結果に。全国制覇の夢を叶えることはできませんでした。

僕は大学4年ですから、全国大学ビブリオバトルに参加できるのは今年が最後。ラストイヤーを有終の美で飾りたいという気持ちが強くあります。そんな情熱を手に挑んだ大学大会、地区大会では無事に優勝することができました。

3度目の全国大会出場が決まったのです。



泣いても笑っても次が本当のラストステージ。後悔はしたくありません。発表内容を磨き上げることはもちろんのこと、僕個人でもちゃんと集客して仲間をつくることにも力を注ぐことにしました。

そんなこんなで最近は「どうしたら全国大学ビブリオバトルに人が集まるのか」という課題に向き合っています。

東京綾瀬のあやセンターで開催された本のイベントに参加してきたり、「FAVORITE!!」という本を紹介するイベントを開催したり、母校の中学校で開催されたビブリオバトルに乱入してきたり(笑) このnoteの記事も本にまつわる投稿が多くを占めますし、数日前からはインスタでも毎日投稿をするようになりました。

参加申し込み期限がちょうど1週間後の12月6日(水)なので、今日からの1週間は特に積極的に行動していこうと考えています。いろんな人に会いにいくつもりだし、本のイベントにも参加するし、本のイベントを企画運営していきます。



ここまでしてビブリオバトルにこだわる理由が僕にはあります。

全国制覇の夢を届けたい人がいるからです。

それは、高校時代にお世話になった鹿目先生。僕と同じ高校の卒業生でもあり、母校の教壇に立たれた先生でもあり、現在は高校の理事会の理事でもあり、僕のビブリオバトルの挑戦を支えてくれた恩師……そして、今は膵臓癌を患っており、今年9月に余命3ヶ月と宣告された方です。


📚ビブリオバトルの恩師

鹿目先生と出会ったのは、高校1年生のときでした。

僕は文芸部に所属していて、図書室とも関わりがあったので、そのときに見かけたのが初めてだったと思います。深く関わるようになったのは、ビブリオバトルに参加することになってからでした。

当時僕の学年の国語教師が文芸部の顧問だったんですが、その先生が「文芸部の活動としてビブリオバトルをやろう」と切り出したんです。3カ月に1度の部誌を出すことが主たる目的で、そのために原稿を書くのが日々の活動にあたるわけですが、結局締め切り前日に焦って書く人ばかりで、部活動としてちゃと機能していたわけではないんですよね。

そこで、顧問の先生がみんなでビブリオバトルをやろうと提案したのです。

その後、文芸部の部員だけに限らず、図書委員や本好きの生徒を集めて、ビブリオバトルが行われました。目的は、全国高校生ビブリオバトルに出場する生徒を決めるためです。学校としてエントリーするとき、最大5人までしか参加できないんですね。校内予選での発表を受け、先生に選ばれた5人が公式戦に参加するという流れでした。

無事にその5人の中に選ばれることになって、僕のビブリオバトルへの挑戦が始まるわけですが、その一部始終に関わっていたのが、鹿目先生でした。校内予選のときから講評してくださったり、公式戦に参加するバトラーたちにアドバイスをしてくださったり。



なかでも僕が印象に残っているのは、高校1年生のとき、僕が1回戦敗退を果たした公式戦終わりのこと。確か、学校の図書室で振り返りのような会が設けられたんだと思いますが、そこで鹿目先生が次のような言葉を口にしたんです。

「やっぱりビブリオバトルはどんな本を選ぶかによって勝負が8割決まってくるんですよね。選書の段階から勝負が始まっているんです」

僕ははっとしました。

そのとき初めて分かったのです。ビブリオバトルは自分が好きな本を紹介するイベントでも、上手なプレゼンをするイベントでもなく、聴き手に読みたいと思ってもらえるように紹介するイベントなんだから、それ自体に大きな魅力がある本が圧倒的に有利なんですよね。

鹿目先生のアドバイスを忠実に守り、翌年選書したのは『54字の物語』。収録されている作品すべてが54字でできている本です。それ自体に大きな魅力がある本を選んだのです。この本を相棒に挑んだ結果、東京都大会では優勝を果たすことができました。

どの本を選び、紹介するのか。選書の意識が変わっていなければ、絶対に成し遂げられなかった優勝です。鹿目先生の言葉が、優勝を連れてきてくれたのです。


📚母校に根付いたビブリオバトル

ビブリオバトルをきっかけに、僕と鹿目先生は深い関係になりました。高校卒業の日、2時間も一緒にいるくらいに。そのときはお世話になった鹿目先生に挨拶をしようと図書室を訪れたんです。そしたら、鹿目先生の蔵書を何冊かいただき、さらに新たに始まっていく大学での生活のこと、鹿目先生自身の学校での経験から伝えたいことを、僕に話してくれました。

ちょうどコロナが猛威を振るい始めた頃で、卒業式も簡素化してしまい、卒業という感覚を覚えぬままクラスメイトたちに別れを告げた僕でしたが、最後の鹿目先生との時間が、僕にとっては本当の卒業式のようで、今でも有難い出来事だったと振り返ります。



大学2年のとき、僕は小説『Message』を出版しました。成人の日を舞台にしたヒューマンミステリーで、僕の人生を下地にした物語が展開されます。Amazonのサービスを使って出版したんですが、まだ無名の大学生作家の本が売れるわけがないと思っていたので、自分で手売りすることを決めていました。

したがって、いろんな人に会いにいくようになったんですが、出版してからしばらくして、母校の高校に行くことにしました。そのときは学年主任の先生から「来いよ」と言ってくださったので伺うことにしたんですが、せっかくの機会だし鹿目先生にも会えたらいいなという期待を秘めていました。

小説『Message』を受け取ってくれたし、その頃続けて出版したエッセイ『伝えたいことが20年分ある』も買ってくれたし、お菓子をふるまってくれたし、あの頃のように語り合う時間をつくってくれました。

そのときに聴いて嬉しかったのが、僕の代が卒業した後も、文芸部や図書委員をはじめ、本好きの生徒たちがビブリオバトルへの出場を続けているということ。母校にビブリオバトルの文化が根付いていたんです。僕の代からビブリオバトル公式戦への参加を始めたわけですから、パイオニアになれたことを誇らしく思いました。

なかには、僕のことを知っているバトラーもいました。その子は中学生のときに、僕が東京都大会で優勝したことを知って、高校生になってからビブリオバトルに挑戦をしているとのこと。自分の知らないところで、少なからず影響を与えることができていることを知り、この上ないしあわせを覚えたものです。

鹿目先生は本当に優しい方で、今紹介したようなエピソードを紹介しながら、僕のことをすごく持ち上げてくれる人なんです。でも、僕が結果を出せたのは、鹿目先生の支えがあってのこと。感謝しかありません。


📚「私、もう長くないんです」

1年前に母校に訪れたとき、高校の理事会の方と知り合うことができました。というのも、そのときちょうど将棋の佐々木勇気八段が講演会にいらっしゃっていたんですが、それを企画したのが理事会の方々だったのです。ちなみに佐々木八段は、当時快進撃を続けていたあの藤井聡太竜王の連勝を止めた人であり、僕の母校の卒業生でもあります。つまり、僕の先輩ってこと。

そのとき鹿目先生が他の理事の方に僕のことを紹介してくださったんです。連絡先を交換して、その後もたまに連絡を取り合っていたんですが、先月、理事会の懇親会への参加のお誘いをされました。母校の卒業生たちが一堂に会する場なんですが、せっかくの機会だと思い、参加することにしました。

当日、会場に行ってみたら、ご年配の方々ばかりで、僕みたいな青二才が来てもいいのだろうかと不安に思っていたんですが、まわりからとても良くされて、ついには大先輩の方々の前で自分の本と活動のことをプレゼンすることになりました。おかげで『Message』は何冊か売れたし、ビブリオバトルの告知もすることができました。



懇親会の終わり際、「今度の文化祭ではサイン会をやりましょう」とか「講演会を企画してみますね」とか、これからにつながる話もいただけて嬉しく思ったわけですが、その一方、悲しい出来事もありました。

懇親会には鹿目先生もいらっしゃっていました。佐々木八段の講演会のとき以来ですから、1年ぶりの再会でした。そのときに衝撃の事実を告げられたんです。

「私、膵臓癌にかかってしまいまして、この前の9月に余命3ヶ月と宣告されてしまったのです」


📚優勝を届けることが恩返し

お世話になった人がもうすぐいなくなってしまう。最近は身近に不幸なことはありませんでしたから「癌」だの「余命」だの、そんな言葉の重みに耐えられるだけの強度を、この心は持ち合わせていませんでした。

懇親会は華やかで楽しいものでしたし、その後は妹の成人式の前撮りに立ち合っていたので、気を紛らわすことはできましたが、時間が経つにつれ、もう長くない恩師の命に思いを馳せる瞬間が増え、たまなくなってしまいました。

その度に込み上げるものをぐっとこらえ、その感情を希望や勇気に置換して、ビブリオバトルに向けるようにしてきました。

人はいつかその命を閉ざすものですから、終わることを止めることはできません。どんなに抵抗を続けても変えられない定めなのです。僕らには何もできないけれど、何もできないからこそ何かしたいと、少しでも残りの時間を尊くしたいと思うもの。特にまわりの人は手を差し伸べたくなるものです。

そんな思いから、先日、鹿目先生の自宅にお邪魔してきました。懇親会のときに「今度うちに来ませんか?」とお誘いを受けたので、是非お伺いしたい旨を伝えました。それが叶ったのが、二週間前のことでした。

鹿目先生は少しでも長く生きたいから抗癌剤治療を受けています。ただ、その副作用のせいもあり、食欲が湧かなかったり、髪の毛が抜けてしまったり、微熱が続いたりするそうです。懇親会から1カ月しか経っていないのに、明らかに体調が優れずにいる様子でした。

鹿目先生のご自宅では、全国大会に向けての作戦会議をしました。どんな風に人を集めていくのか、僕の発表する予定の本をどう紹介していくのか、熱く語り合っていました。

年が五十も離れた僕らは、同じ青春のなかにいました。



鹿目先生のご自宅を後にして、乗車した帰りのバスで、車窓に流れる景色を眺めながら、とある誓いを立てました。

ビブリオバトルで優勝して、鹿目先生に届ける。

それがこれまでお世話になった恩返しであり、もう長くない命を抱える鹿目先生に僕だけができることだと思いました。鹿目先生に夢物語を届けるために、これからも幸運を呼び寄せるための種まきを続けていきます。最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

20231130 横山黎



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