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芥川龍之介が描く侵略者「桃太郎」


人生は物語。
どうも横山黎です。

今回は「卒業論文『芥川龍之介研究 『桃太郎』を中心に』の第5章『芥川『桃太郎』』の原稿を共有する」というテーマで話していこうと思います。




(一)芥川『桃太郎』

僕は上海のフランス街に章太炎先生を訪問した時、剥製の輪にをぶら下げた書斎に、先生と日支の関係を論じた。その時先生の言った言葉は未だに僕の耳に鳴り渡っている。―「予の最も嫌悪する日本人は、鬼が島を征伐した桃太郎である。桃太郎を愛する日本国民にも多少の反感を抱かざるを得ない』先生はまことに賢人である。僕は度外国人の山県公爵を嘲笑し、葛飾北斎を賞揚し、渋沢子爵を罵倒するのを聞いた。しかしまだ如何なる日本通もわが章太炎先生のやうに、桃から生れた桃太郎へ一矢を加へるのを聞いたことはない。のみならずこの先生の一矢はあらゆる日本通の雄弁よりもはるかに真理を含んでゐる。桃太郎もやはり長命であらう。もし長命であるとすれば、暮色蒼茫たる鬼が島の渚に寂しい鬼の五六匹、隠れ蓑や隠れ笠のあつた祖国の昔を嘆ずるものも、――しかし僕は日本政府の植民政策を論ずる前に岩見重太郎を論じなければならぬ。

芥川龍之介『僻見』

 上に記したのは、1924年四年初出の「偏見」に含まれる文章である。1921年3月下旬から7月中旬にかけて、芥川は中国東部の都市を巡っている。芥川は上海に出向いた際、章炳麟による桃太郎批判を耳にして、後日も「未だに僕の耳に鳴り渡っている」ほど衝撃を受けた。これに関して、関口は「章炳麟の桃太郎批判には、侵略者桃太郎(日本人)というはっきりした指摘がる。日本帝国主義、特に当時の日本政府の植民政策が糾弾されているのである」と指摘しているが、そう受け取って問題はないだろう。桃太郎は侵略者であると気付き、侵略された鬼たちにも大切にしていた祖国があり、生活があったことに想像が及んでいることから、上海での章炳麟とのやりとりをきっかけに、桃太郎を再話するという発想が生まれたのではないか。それを証明するかのように、「僻見」が世に出た数か月後、芥川『桃太郎』が産声を上げた。

 芥川『桃太郎』は1924年(大正13年)7月、「サンデー毎日夏期特別号」に掲載されたのが初出である。

 その頃といえば、前年に関東大震災が起き、その混乱に乗じて様々な事件が起きた。社会主義者たちが以前から労働争議で敵対関係にあった亀戸警察署に捕らえられて刺殺された亀戸事件、行商たちが自警団に死傷させられた福田村事件、アナキストの大杉栄、その妻、甥が、憲兵隊である甘粕正彦らによって殺害された甘粕事件などが名高い。また、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が放火した」などのデマが流れ、それを信じた日本軍や自警団などが朝鮮人を虐殺したという凄惨な事件もあった。

 以上のような自然災害に加え人的災害も勃発したことによって閉塞した時代に書かれたのが、『芥川桃太郎』なのである。また、その頃からプロレタリア文学の隆盛が見られるようになってきた。1921年から1923年まで発行されていた『種蒔く人』は反戦や人道主義思想を基調とした同人雑誌であり、先に述べた関東大震災後の混乱に乗じて勃発した事件を取り上げ、強く抗議する内容を展開した。後に隆盛するプロレタリア文学の先駆けとなる雑誌だった。その後、小林多喜二の『蟹工船』、徳永直の『太陽のない街』など今日においても有名なプロレタリア文学も発表されたが、社会主義、共産主義的思想の弾圧が年々厳格化していき、1930年前半頃にその勢いは収束した。その後、戦色が濃くなっていき、軍国主義的思想が強くなっていくことは言うまでもない。このような時代のさなか綴られた物語であることを念頭に置きつつ、芥川『桃太郎』の物語を丁寧に追っていく。

 芥川『桃太郎』はよく知られた物語とは違い、神話的なエピソードから始まる。深い山の奥に大きな桃の木があり、雲の上にひろがるほど枝を伸ばし、黄泉の国に及ぶほどに根を下ろしているとされる。その桃の木になっている実は生まれたての赤児を孕んでおり、運命の八咫烏がそのひとつを啄んだことで谷川へ落ち、流れたその先でお婆さんに拾われるのだ。

 第一章で指摘したように、『桃太郎』にはその生まれ方にもバリエーションがあると記述したが、芥川『桃太郎』の誕生の仕方は他に類を見ない。誕生の仕方だけを切り取れば桃太郎の出生は「果生型」であるが、川上から流れてくる桃はどこからやってきたのかという疑問に答えるように冒頭のくだりが展開されるのだ。第一節で注目したいのは、古事記の一節にも触れている点である。

この桃の枝は雲の上にひろがり、この桃の根は大地の底の黄泉の国にさえ及んでいた。何でも天地開闢の頃おい、伊弉諾尊は黄最津平阪に八つの雷を却けるため、桃の実を礫に打ったという、――その神代の桃の実はこの木の枝になっていたのである。

芥川龍之介『桃太郎』

 第一章でも触れたが、古代中国から桃には邪気を払う力があると信じられており、日本でも古事記のなかにそれを見て取れる。伊弉諾尊が亡き妻の伊邪那美尊を連れ戻そうと、黄泉の国へ向かうが、それを叶えることができなかった。逆に伊邪那美尊の使者によって追われることになる。その際に使者たちを退治することができたのは、黄泉平坂の麓に生えていた桃の実を投げたからである。

 以上の理由から桃太郎の物語の源流が古事記にあるという見方もあり、芥川はこの文脈から再話の際に触れることを決めたと思われるが、そこにはどのような意図があったのだろうか。

 後に侵略者桃太郎が平和主義の鬼たちを残虐に襲う場面があることからも、戦争批判や、軍国主義の日本を揶揄する意図はあったと読み取れる。それを踏まえると、当時の日本国民の精神を支えていた国家神道を想起させるために、古事記の物語を引っ張ってきたのではないか。国家神道とは、近代天皇制国家が生み出した国家宗教であり、明治から日本が敗戦する時分まで、日本人を精神的に支配し続けたものである。国家神道体制の存在が、日本を帝国と化させ、日本国民を戦争へと駆り立てた。これに関して、『近代国家と仏教』のなかで次のように言及している。

「現人神」としての天皇を中心とした皇国史観が形成されることで、進出にともなって起こった戦争は神聖な価値を帯び、「聖戦」としての意味合いをもった。宗教的観念が、戦争を正当化するために利用されたのである。

末木文美土他『近代国家と仏教』

 天皇の祖先は天照大神であり、特別な血を受け継いでいる日本人は、他の国の人間よりも優れているという優勢思想を持たされていた。芥川は国家神道の基づいた旧天皇制を暗に示し、そこから派生した軍国主義を批判するために、第一章で日本神話に触れたと考えられるのである。


 次に、第二節では、桃から生まれた桃太郎が鬼ヶ島へ征伐しに行くまでを描いている。昔話でよく知られた物語とは真逆で、決して立派とはいえない体たらくな桃太郎の描写が続く。

 桃太郎が鬼ヶ島の征伐しに行く理由は「お爺さんやお婆さんのように、山だの川だの畑だのへ仕事に出るのがいやだった」からである。犬猿雉をお供にするとき、従来であれば吉備団子をひとつずつ与えていたが、『芥川桃太郎』では「一つはやられぬ。半分やろう。」と言っているように半分だけ与えている。「よしよし、では伴をするな。その代り鬼が島を征伐しても宝物は一つも分けてやらないぞ。」と「わざと冷かにいい放し」ている。

 畑仕事に出るのがいやだったから鬼退治の征伐を思い立ち、犬猿雉を吉備団子半分でお供させ、鬼ヶ島を征伐して手に入るであろう宝物を一つも分けずに自分のものにしようとする姿は、従来の桃太郎像とは大きくかけ離れている。心優しく勇ましい桃太郎ではなく、酷く醜い性格の英雄を描いているのだ。英雄と呼べる部分はどこにもなく、強いていうならば、犬猿雉の仲違いを解決したことだろう。語り手も「その猿をとうとう得心させたのは確かに桃太郎の手腕である」とその功績を讃えている。

 第二節で注目しておきたいことは他にもある。それはプロレタリアートに触れていることだ。芥川『桃太郎』は労働者の残酷な現実を描くプロレタリア文学として位置づけされることはないが、その片鱗を見つけることができる。

 第二節の冒頭、労働を毛嫌いして、鬼が島の征伐を思い立つところから始まるが、山や川や畑へ仕事に出る老夫婦は桃太郎に愛想をつかしており、「一刻も早く追い出したさ」を抱えていたくらいである。この桃太郎と老夫婦の二者には資本者と労働者の関係が見られる。それは後の犬猿雉にもいえることだ。先にも紹介した黍団子半分で鬼が島の征伐を強いる桃太郎には、低賃金で労働させる資本者の姿が重なってみえる。また、従者たちが「何でも好きなものの振り出せる打出の小槌」に夢を見て、「一度に何でも手に入」れるために、征伐を果たしたとしても「宝物は一つも分けてやらない」と口にする英雄についていかなければいけない風潮は、労働運動が起こっていた当時の日本のそれと被る。

 『芥川桃太郎』では、桃太郎のお供をする雉のことを「地震学などにも通じた」と紹介している。この特徴が以降の物語に関わってくることはないため、排除しても問題のない要素ではあるが、あえて「地震学などにも通じた雉」を登場させることで、関東大震災を彷彿とさせ、単純に昔話を再話しているのではなく当時を描いていることを秘かに暗示したと考えられる。

 これに関して渡部は「この小説の語り手は、昔話「桃太郎」を語りながら、読者の意識を、きわめて特殊ないまに、明らかに引き寄せているのである」と指摘している。報酬もろく与えず手に入れた財産も与えない悪徳な資本者が「英雄」として上の立場にならざるを得ない「特殊ないま」に引き寄せていたのである。第二節のなかにも「特殊ないま」に言及している箇所がある。

 犬はしばらく強情に、「一つ下さい」を繰り返した。しかし桃太郎は何といっても「半分やろう」を撤回しない。こうなればあらゆる商売のように、所詮持たぬものは持ったものの意志に服従するばかりである。犬もとうとう嘆息しながら、黍団子を半分貰う代りに、桃太郎の伴をすることになった。

芥川龍之介『桃太郎』

 富める者は富み、貧しい者はより貧しくなる資本主義の闇が太字の一文に込められている。第二節の終わりでは、鬼が島に宝物があることに目がくらみ、結局お供をする動物たちの姿が描かれる。きびだんご半分で鬼が島征伐に随行しなければいけない構図は、たとえ貧しくても上の者には従わざるを得ない労働者たちの現実を表しているのと同時に、その言動の良し悪しはさておき他者を巻き込みひとつのことを成し遂げようとする桃太郎の手腕を際立たせている。


 第三節では、従来の『桃太郎』ではあまり見られない鬼が島における鬼たちの生活が描かれる。

 そこは岩山ばかりの恐ろしい孤島ではなく、椰子が聳えていたり、極楽長が囀っていたりする美しい島であった。そこに住む鬼たちは、平和を愛し、琴を弾いたり、踊りを踊ったりして、安穏に暮らしていた。鬼が島には文化があり、鬼たちの生活には平和と幸福があった。

 そんな鬼たちが恐れていたのは、海の向こうにある人間の島、そして、そこに住む人間たちであった。鬼の母は、人間を「気味の悪いもの」「手のつけようのない毛だもの」と表現している。前者の理由としては、鬼のように角が生えておらず、肌も生白いことを挙げている。後者の理由としては、欲深いことや諍いを起こすこと、泥棒や放火などの悪事を働くことを挙げている。

 第一章で紹介したように、江戸時代には鬼の娘が桃太郎に復讐をしにいく物語や、現代で鬼に焦点を置いた物語が少なくない数存在するが、ここまで鬼の視点で人間を見つめる場面が描かれることは斬新であるし、鬼が平和を愛する存在として描かれたことは昔話『桃太郎』をよく知っている者からすれば衝撃以外の何物でもない。第三節で鬼が島の様子、鬼たちの生活、鬼たちの人間の捉え方を知ることによって、続く第四節で桃太郎一行が鬼が島を襲う場面をより残虐に際立たせている。

「進め! 進め! 鬼という鬼は見つけ次第、一匹も残らず殺してしまえ!」
 桃太郎は桃の旗を片手に、日の丸の扇を打ち振り打ち振り、犬猿雉の三匹に号令した。犬猿雉の三匹は仲の好い家来ではなかったかも知れない。が、饑えた動物ほど、忠勇無双の兵卒の資格を具えているものはないはずである。彼等は皆あらしのように、逃げまわる鬼を追いまわした。犬はただ一噛みに鬼の若者を噛み殺した。雉も鋭い嘴に鬼の子供を突き殺した。猿も――猿は我々人間と親類同志の間がらだけに、鬼の娘を絞殺す前に、必ず凌辱を恣にした。……

芥川龍之介『桃太郎』

 太字の言葉はどれも戦争を彷彿とさせるものである。太平洋戦争よりも前に書かれた作品ではあるが、明治以降日本が経験してきた戦争の思い起こされることだろう。老若男女問わず惨殺していく様子は、昔話『桃太郎』に見られるような鬼退治ではなく、現実の戦争で繰り広げられる侵略である。第五節の後半、どうして征伐を受けたのか思い当たる節がないために鬼の酋長は恐る恐る桃太郎に訊くが、その理由は判然としない。下の通りである。

「日本一の桃太郎は犬猿雉の三匹の忠義者を召し抱かかえた故、鬼が島へ征伐に来たのだ。」
「ではそのお三かたをお召し抱えなすったのはどういう訣でございますか?」
「それはもとより鬼が島を征伐したいと志した故、黍団子をやっても召し抱えたのだ。――どうだ? これでもまだわからないといえば、貴様たちも皆殺してしまうぞ。」

芥川龍之介『桃太郎』

 第二節で触れたように、桃太郎が鬼ヶ島征伐を思い立ったのは、畑仕事に出るのがいやだったからである。端から鬼が島征伐に大義のなかった桃太郎は、従者たちを抱えたからこそ征伐に向かったと言い、なぜ抱えることになったかと詰められれば、鬼ヶ島を征伐したいと思ったために従者たちを黍団子を餌に抱えたと答える。まるで答えになっていない答えを口にしており、鬼が島征伐に対する大儀は存在していないことが読み取れる。

 従来の「鬼だから退治する」という一方的な善悪観に由来する動機とは少し異なる。「鬼だから他辞する」という論理すらもないほど、行動の目的は不確定かつ不明瞭であり、戦時下の日本がそうであったように、時代や歴史、宿命といった外的要因が桃太郎を鬼ヶ島征伐に駆り立てたのではないか。先の言葉になぞれば、「桃太郎だから鬼退治をする」ことになったのだ。


 第五節では、鬼退治のその後が描かれる。人質に取った鬼の子どもは成長すると雉を噛み殺し、鬼が島に生き残った鬼たちは何度も復讐を試みる。鬼の娘たちに恋心を抱くこともなく、椰子の実に爆弾を仕込んでいる様子に触れ、第五節は終わっている。鬼が島征伐が終わっても、鬼たちの心には復讐心が残り続けたことによって、桃太郎の従者である猿や雉は殺され、桃太郎や犬も安心できていないという状況に、「戦争は繰り返されるものであり、戦争の被害者も加害者も救われない」という特徴が滲んでいる。

 昔話「桃太郎」を題材に戦争の残虐性や虚しさを表現するのと同時に、弱い従者を巻き込んで戦争に駆り立てようとする当時の日本の軍国主義を批判していると読み取れるのだ。

 しかし、だからといって、芥川『桃太郎』が戦争批判の物語であると結論付けることは早計ではないか。確かに、今までみてきたように、昔話「桃太郎」の物語を借りて、当時の軍国主義の日本の実態と日本人の危うさを描いていることは分かる。だが、『芥川桃太郎』は第五節で終わるわけではない。短い文章のまとまりではあるが、第六節が存在するのである。

 当時の日本の国家神道に基づく軍国首主義的思想を批判、風刺するためならば、第五節で終わらせた方が効果的である。侵略を果たした後も平穏無事な暮らしが待っているわけでもなく、生き残った鬼たちが桃太郎の命を狙いにやってきたり、雉も猿も殺されたりした。鬼ヶ島では復讐に燃え、椰子の実に爆弾を詰めているのである。相手領地を侵略したとて争いの連鎖は止まることがなく、悲劇は繰り返されることを突きつけ、反戦のメッセージを孕んだ再話を実現できるのだ。

 また、先行論文のなかには、震災の混乱に乗じて行われた朝鮮人や中国人の大虐殺事件や甘粕事件を風刺しているのではないかという指摘もみられる。確かに、「朝鮮人」「中国人」「社会主義者」といった肩書きのみで殺されたそれらの事件と、退治するだけの大義のない桃太郎による残虐な鬼が島征伐には重なるところがある。ただ、ここではそれについて検討することはしない。もし仮に芥川にそのような意図があったとしても、それが本意ではないからである。

 芥川『桃太郎』は戦争批判をするだけの作品でもなければ、朝鮮人・中国人大虐殺事件や甘粕事件を批判するだけの作品ではないからである。なぜならば、芥川『桃太郎』には第五節の後に第六節が続くからだ。短いため、第六節を全文引用する。

人間の知らない山の奥に雲きりを破った桃ノ木は今日もなお昔のように、累々と無数の身をつけている。もちろん桃太郎を孕んでいた実だけは谷川を流れ去ってしまった。しかし未来の天才はまだそれらの身の中に何人とも知らず眠っている。あの大きい八咫烏は今度はいつこの機の梢へもう一度姿を露わすであろう? ああ、未来の天才はまだそれらの身の中に何人とも知らず眠っている。……

芥川龍之介『桃太郎』

無数に生っている桃の実には未来の「天才」が何人も眠っていることを嘆き、芥川『桃太郎』は物語を閉じるのだ。読んで分かるように、たった五文のなかには「天才」という言葉が二度登場する。物語の終盤に唐突に登場する「天才」という言葉を看過することはできない。第四節で語り手は桃太郎一行による鬼ヶ島征伐を「あらゆる罪悪」と言い換えている。大した大義もなく無垢な鬼たちを惨殺したのだから罪悪と言い換えることに抵抗はないが、そんな罪人かつ侵略者である桃太郎を「天才」と評したことには違和感を覚える。したがって、芥川『桃太郎』は単なる戦争批判のための再話ではないと疑う必要があるのではないか。芥川『桃太郎』をより深く理解するために、まずは同時期に書かれ、かつ日本の昔話を題材にしたふたつの作品芥川『猿蟹合戦』と芥川『かちかち山』に注目したい。



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