断家の出来事
今回は複雑な記事になります。
世が世なら、我が家の恥なのかもしれません。
本来ならこのようなことを皆さんにお伝えするのも控えるべきなのかもしれませんが、敢えて書きます。
私の整理の為にも。
どなたかの為になれたら幸いです。
精神的に落ち着かれていて、「なんだ?」と思った方は読み進めてみて頂けると幸いです。
「え?」と思われた方、落ち着いた時に気が向いたら読んでください。
長い長いダラダラとした記事になりますよ。
よいですかー?
目次を作った方が良いかと思いましたが、私の「覚え書き」のようなものなので、どうかお許しを・・・。
私は今、49歳です
弟は、47歳です
47歳の弟が統合失調症でグループホームに入ることになりました。
ザックリいえば、同居してる母が音を上げたんですよね。
前々からその話は出ていましたが、母の限界が来たようです。
とはいえ、母の立場や精神的なものから考えて、私もそれがいいと思っています。
ですが、インナーチャイルドの私は「2度も子どもを捨てるのか」です。
当然かと思います。
何故「2度」なのかと言うと、
母は8歳の時に私と弟を残して家を出ました。
弟は6歳でした。
惚れた男の元に家庭を捨てて出ていきました。
当時は珍しい感じでしたねぇ
町でも噂になってました。
当時、宮崎の地でそれはそれは「奥さんが出て行った」となると珍しくもありましたし、好奇の目で見られました。
でも、それは母が「父との約束を守った」だけです。
父は条件として「子供を置いていけ」というものだったと、大人になってから母から知らされました。
父もまさか!子供を捨てるなんて思ってもいなかったんでしょうね。
ですが”あの”人ならやりますっ
逆に「やってやる」と思えたかもしれません。
何処にキッカケが隠れているのか分かりませんね。
母が出ていき、父と私と一緒に暮らしていた弟なんですが、突然に「母の家に行く」と出ていきました。
父は激昂してました。
「自分たちを捨てた女の元に行くのかー」って。
ご想像がつくと思いますが、
父も見事に毒親といわれる種族です。
それは先祖代々の血筋からもそうです。
これはまた別の記事で書く機会があれば書こうと思います。
弟は小さい頃から喜怒哀楽が調整ができない子でした。
現代であれば、発達障害(ADHDやAD、LD)と診断されたでしょう。
事実、弟も私も精神障害者の認定をとっています。
大人になって、弟が脳のCTを撮ってみると「ぐにゃり」と奇形になっていたようです。
もはや「脳自体」がおかしいんですよ。
それはもう生粋の精神障害者です。
母が出て行ってから、弟は小さかったので、叔父の家庭に引き取ってもらいました。
同級生の従弟がいたので、それがいいということで。
その時は祖父も生きていたので、娘の責任を感じていたと思います。
夏休みや冬休みには父と宮崎から熊本の叔父の家までよく会いに行っていました。
(今、思い出しました。書くことって大事ですねぇ!)
その時から弟は感情が制御できず、問題児でした。
多分、いじめもあったでしょう。
弟自体も苦労したんだと思います。
本当に苦労したと思います。
当然ですよね!
脳が変形してるんだからっ
事実そうなっているんですから。
大人になった今でも、まともに就職もできず、車の免許を取りに行っても「教官が怒る」という理由で途中でやめてしまったり、完全に【社会不適合者】となっていました。
バイトすらできない状態でした。
ですが、金遣いは荒く、カードで欲しいものを手に入れないと気が済まない。
でも、決済はするものの支払日には母に泣きつく。
これは何度も何度も繰り返していました。
この問題は最近始まったわけではありません。
母が商売していた時からでした。
でも、母は「金」で全てを解決してきました。
金で解決してきたのか、金で”しか”解決できなかったのか、それは私には分かりません。
解釈は人それぞれですよね。
私も「現実を知って」それからどう感じるのかもわかりません。
そんなことが続いて、母も76歳。
歳をとりました。
商売も辞めております。
商売をやめているので、収入も無く、このままだと老後資金も食い尽くされてしまうと思ったのでしょう。
はいっ
ここで出ました!キーワード
「お金」「金」です。
ここ数年母と連絡も取っておりませんでしたが、昨年末に弟からLINEで「入院した」と連絡があったので母に連絡をとると、やっと現状が分かった次第です。
何度も何度も同じことを繰り返すので、手に負えず、グループホームに入れると決めたということを。
母は昔から私に平気で噓をついたり、ごまかしたりする人でした。
子供が親に・・・ではなく、親が子供に嘘をつくんです。
息を吸うかのように、嘘をつく。
ですが、今回は流石に泣いてましたねぇ。
”あの”母が泣くこともあるんですねぇ。
母は商売人で普通の男性よりもそれはそれは聡明な人でした。
綺麗でカッコいい女でした。
でも、そんな人でも残ったのは「お金」です。
「愛情」ではないですよね。
ここでも「お金」です。
私が弟からLINEをもらって、母が正月に独りだと聞いて、元旦から御節(おせち)を持って旦那と一緒に福岡から宮崎まで向かいました。
私は「母が独りで寂しいだろうから」と思ったんですよ。
ですが、錯乱した母が私に言った言葉は
「金の無心をしに来たのではないかと思った」
って言われましたーーーーっ
そう思う母親なんです。
えーーーーーっ
っと思われた方も居られるかもしれませんが、それが事実です。
でもね。
この事を聞いた私はなんにも感じませんでした。
怒りもありません。
悲しみもありません。
「嗚呼、この人だったらそう捉えるのか」
でした。
一応、血のつながった親子です。
間違いないです。
話が反れてしまいましたね。
元に戻ります。
入院後、家に帰るのではなく、グループホームに入ると認識した途端、弟が病院の方に「もしかしたらまだ借金があるかもしれない」と言い始めたそうです。
最後のあがきです。
私はそう思いました。
自分の「安定した居場所」を求める弟からするとそれはそれは不安だったでしょう。
それで病院のケアワーカーさんから「借金が無いという事を証明してください」と言われたそうです。
それで困った母が私に電話をかけてきました。
私も法テラスへ確認しました。
信用情報会社が3件有り、そこへ確認すると手数料は発生しますが「信用情報証明」は得られるとの事。
私だったら処理できるのですが、母には無理。
今の母には無理なんです。
現実逃避しちゃってるので・・・。
次に母から法テラスへ電話を入れてもらって、司法書士事務所か行政書士事務所かが対応してくれたようです。
(ここは母が対応しているので詳しくは分かりませんでした)
借金のことは実際に請求書も督促状も家には届いていないので、入所したくないから言ってしまった「嘘」とは分かっていたのですが・・・。
実際に病院まで来て下さった司法書士事務所(行政書士事務所?)からの提案で
【生年後見人制度】
を適用するといいとの提案があったようです。
それは昔から私が母に言っていたのですが・・・。
なかなか行動に移さない人なので。
ですが、今回はこの問題をクリアしないと入所できません。
現実と向き合う時ですよね。
その時に母が「2度も子どもを見捨てることになるのか」と取り乱してしまったそうです。
それには私も驚きました。
「親」って感情あるのねぇ・・・と。
其れで一回目の話し合いは次回に繰越となったようです。
一応、娘ですから母には「捨てるんじゃなくて、お母さんの承諾を得ないと契約ができなくなるだけ」と説明したのですが、ちゃんと伝わっているかどうかは分かりません。
冷静な時に話すと分かるのですが、感情的になると「現実逃避」をするようになってしまっている母には負担かもしれないと感じました。
こういう時は面と向かって説明しないと分からないですよね。
4月15日に再度、司法書士事務所(行政書士事務所?)が来られるとの事で、母と何回か電話でやり取りをしました。
母には「私が行った方がいいなら行くけど」とは伝えていたのですが、今日もやりとりをしている時に、再度確認してみると、
やはり
「来て欲しい」と言われました。
2度も子どもを捨てると言いう自責の念からでしょうね。
でも、この【後見人制度】を取っておかないと、弟はまたネットで買い物を続けてしまうでしょう。
母がもし亡くなった場合、私が面倒を見なければいけません。
ですが、私は母と違って「金で解決」する余裕もないし、何よりも「自分」を守るために解決しておかねばならない問題です。
父方の家系は私と弟で途切れます。
私には子供を産むことはできませんでした。
弟も結婚どころの騒ぎではありません。
ここできちんと終わらせないといけない
と思いました。
私で終わらせなければ
と思いました。
なによりも「訳の分からない状況」をはっきりさせたかった。
宮崎まで、車で約5時間。
ケジメを付ける為に。
キチンと終わらせるために、4月14日に宮崎に前入りして、手続きを取ってもらいます。
司法書士事務所(行政書士事務所?)の方とは私が話そうと思っています。
後見人が母が無理なら私がなろうと思っています。
弟も、グループホームに慣れて落ち着いてくれたら・・・と思っています。
この事は父にも話しました。
父も「そっかーー。」以上!でした。
子供である弟の為にも、私自身の為にもキチンと終わらせてきます。
ここまでダラダラとメモ書きのような文章を読んでくださった方がいらっしゃったら・・・ありがとうございます。
そして、もし同じような状況の方がいらっしゃったら、
「あなただけではありませんよ」
そうお伝えしたいです。
先祖代々からDNAという縁をつたって私たちは今、こうして生きています。
考え方もそれぞれ。
親子関係もそれぞれ。
皆さん重荷はそれぞれに持っておられると思います。
ですが、「こういう人間も居る」のだと思っていただければ幸いです。
本当に本当に此処までお付き合いくださり、ありがとうございます。
これは私が生きていく「経験値」となります。
私はそう思っています。
この経験を鑑定に生かしていきたいと思っております。
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