見出し画像

「Recognition-認識」は分断か、統合か?〜オーストラリアの先住民の権利を巡る国民投票〜

こんにちは。オーストラリアにあるメルボルン大学に通うれいです!

昨日、2023年10月14日、オーストラリアは大きな決断に迫られました。1999年の24年ぶりに憲法改正の是非を問う国民投票が行われたのです。

今回議題となったのは、「先住民の権利」について。
オーストラリアは元々先住民族の方々の土地でしたが、残酷な植民地化の歴史を経て今の国が成り立っています。そのためオーストラリアでは先住民族の方々の存在は非常に重要視されており、日頃から敬意を示す文化が根強いです。

そして今、先住民の地位を巡って憲法改正を行うかどうか、国民に問われています。具体的な改正案は以下の通りです。

第9章129条 「アボリジニおよびトレス海峡島しょ民の認識」
①先住民が「最初のオーストラリア人」(ファースト・オーストラリアン)であることを明記すること
②先住民問題に関する意見を議会に反映させる機関「ボイス」(先住民の声)を新設すること

日豪プレス(2023/10/14)https://nichigopress.jp/news-item/81167/ より引用

この憲法改正を実現するには
① 全国で賛成票が過半数を超えること
② 6州のうち4州で賛成票が過半数超えること
が条件でした。

そして既に国民投票は「改正しない」という結果で終わりました。
4州以上で「反対」派が過半数を超えたからです。

そもそもなぜこの改正案が必要だったのか

オーストラリアはなぜ先住民族の方々の権利を巡って議論しているのか。
それは今だに先住民族の方々と非先住民の間に軽視できない深刻な「格差」が存在しているからです。

ここにいくつか格差の例を挙げます。

• 平均寿命が非先住民に比べて8年短い。
• 病気と乳幼児死亡率が高い。
• 自殺率が2倍高い。
• 教育や仕事の機会が少ない。

Australian Government. "Your official referendum booklet". https://www.aec.gov.au/referendums/files/pamphlet/referendum-booklet.pdf より翻訳

以上の例はほんの一部であり、他にもたくさんの格差が存在しています。先住民族の方々は多くの不平等や制限を受けながら生活しているのです。

そこで今回の憲法改正案が生まれました。
先住民族の方々を「最初のオーストラリア人」としてリスペクトし、「Voice」という機関を通じて彼らの声を政治に反映させる。
もし賛成多数であれば、先住民族の方々の地位は確立され、現在の格差を是正するための大きな一歩となる予定でした。

争点は「分断か、統合か」

ここまで読んでいるとなぜ「反対派」が過半数を超えたんだ?オーストラリアは先住民族の方々に対して差別的なのでは?と思うかもしれません。
私もオーストラリアに来て先住民族の方々をリスペクトする文化が強く素敵だな〜と思っていたので、今回の結果にはがっかりさせられました。

私は「反対派」の意見が気になり、オーストラリア政府が発行した「国民投票冊子」を読んでみました。

Your official referendum booklet(英語ですが一読してみてください)
https://www.aec.gov.au/referendums/files/pamphlet/referendum-booklet.pdf

読んでみてわかったのは、
反対派は先住民族の方々の「権利」自体に反対しているわけではなく、憲法改正案という「手段」にNoと言っていることです。

"Recognition" (認識)

賛成派は、先住民族の方々が現在置かれている状況には改革が必要であると訴え、憲法上で先住民族の方々の存在を改めて認識し(Recognition)、意見を政治に取り入れることで(Listening)、良い結果をもたらすこと(Better Results)を主張。

一方反対派も先住民族の方々の生活をより良くする必要性は強調していました。しかし、今回の改正案が不明確であり(Unknown)、危険であり(Risky)、分裂を生む(Divisive)と主張。

つまり、双方は先住民族の方々が直面している課題はオーストラリア全体の課題であり、すぐに解決するべきものと考えているものの、憲法改正による「Recognition - 認識」が国を統合するか、分断するか、で意見が分かれているのです。

先住民族の方々はそもそも人口が少なく(全体の3%)社会的地位も低いため、政治的権力が今まで強くありませんでした。そこで憲法改正によって彼らの声を取り入れ国を1つにしようとした「賛成派」、そして彼らの存在や権利を憲法に明記することで逆に分断を生むと考えた「反対派」。

もちろん反対派の中にはそもそも差別的な意見を持った人もいると思います。しかし、日頃から先住民族の方々へ敬意を示す文化が根強いオーストラリアで過半数以上の人が「No」に投票した背景には単なる過激な差別的理由だけが影響しているとは考えにくいと思います。(敬意を示す文化が強いと感じるのは私が大学にいるからで、バイアスがかった環境にいるからかもしれませんが。)

分断と統合

私にとって今回のオーストラリアの国民投票の話は単なる時事問題ではなく、「分断」と「統合」という議論すべき興味深い二項対立を含んでいました。

マイノリティ(社会的弱者)は平等のために社会との「統合」を訴えますが、注目を集めて社会を変化させる時に「分断」を招きかねないというジレンマを抱えている、と私は考えます。

オーストラリアの憲法改正案はこのジレンマを分かりやすく体現したと思います。賛成派は先住民族の方々の声を取り入れることで社会の「統合」が実現できると考え、反対派は彼らの存在を明言することは国の「分断」につながると危惧したからです。

これは他のトピックにも同じことが言えます。

例えば性の多様性について。
今でこそセクシュアリティの多様性は認識され、セクシュアルマイノリティとマジョリティは「統合」しつつあります。しかし一方で、最近はセクシュアリティのカテゴライズが進みすぎて性的少数者の中でさえ「分断」が起こっている事態。

フェミニズムについても同じことが言えます。
女性は男性と同じような社会的地位を求めて「統合」を望みますが、一方で女性専用車両など女性を守るために「分断」せざるを得ない場合もあります。フェミニストの中には男性の暴力や抑圧を悪として過激に非難し「分断」を悪化させている人もいます(ツイフェミとか)。

最近話題のポリコレ問題もそう。
有色人種の方や障がいのある方を起用することで「統合」を目指す会社や映画作品などが増えている一方、そういった方々をあえて起用することが多様性の押し付けであると「分断」を感じる人も少なくありません。

誰もが排除されず平等な社会を目指すためには「統合」が必要ですが、その統合が「分断」を伴う、、、、。
このジレンマ、厄介です。


「分断」と「統合」は表裏一体関係。

みんなが生きやすい社会を作るには、私たちはどうすればいいのか。

オーストラリアの先住民の権利を巡る国民投票は、現代社会の考えるべき議論を私たちに提示してくれたように思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?