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人世を深く味わう。そして昇華、香りだけの存在感、これがいい。

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たくさんの困難を持ち前の明るさと少しの知恵を頼りに生き抜いてきた。こんな風に解決したらうまくいくんだという見本になれば嬉しいです。30年近くデパートで働きながら人生の変転を乗り越… もっと読む
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エピソードだらけの人生

不思議が教えてくれる 少しづつ少しづつ夫婦の気持ちが離れていき会話が無くなっていきました。 子供たちは雰囲気を感じ取りオロオロとしていました。 二人で話し合い別れを決めました。結婚生活11年目のことです。  娘が4歳、息子は7歳と8歳です。 親の精で親子がバラバラにならざるをえない境遇にさせてしまった重みを しっかり受け止め、これからは子供たちの為に生きようと心に誓いました。 続く

新しい出発

新しい家に新しい学校、そして名前も変わりました。 子供たちは不安でいっぱいだったと思います。時が 経つにつれて少しづつ慣れていきました。近所に同じ 年頃の兄弟がいましたので、すぐに仲良しになり一緒 に遊ぶようになりました。  一番下の娘は保育園に預けます。私が仕事の都合で 迎えにいけないので園長先生にお願いして迎えには七歳 と八歳のお兄ちゃんが行きますのでと、了承してもらい ました。最初のころは二人で迎えに行ってましたが慣れるに つれて交代ごうたいに迎えに行ってました。 続く

他人の優しさ

 そんなある日、事件がおきました。八歳の兄は自転車で 妹を迎えに行っていました。その自転車の車輪に妹の足が 入って抜けなくなったのです。慌てたお兄ちゃんは近くに いた人に助けを求めました。女性の方が病院に連れてくだ さったのです。お兄ちゃんから話を聞き、助けて頂いた女性の 方にお礼をいいに行きました。その方が「娘さんは泣きもせず じっと我慢していましたよ、本当に強い子供さんですね」と 「お兄ちゃんは必死で助けを求めて来たので」可哀そうに思い 病院に連れてくださったのです。私は

子供を信じる

 私だけの子育てが始まりました。一番最初に考えたことは 自分でものを考える子供になって欲しい。そして自分の考えを ちゃんと言える子供になって欲しいと思いました。その為には 私は何をするべきか考えました。私は考えるということが大好き でとてもワクワクするのです。そして私の最大の特徴は考えた事 をすぐに行動に移す、それは今の年齢になっても変わらず生きる 原動力になっているのです。  子供たちそれぞれの個性を見ながら、まず最初に家事手伝いの 役割を決めることから始めました。一番大変

子供たちと遊ぶ

 日頃はあまり子供たちと遊べなかったが遊ぶときは徹底的に遊び 手を抜きませんでした。遊ぶときは戦利品が必要です。戦利品があ るのと無いのとでは子供たちの気合が違います。チョコレートや クッキー、ゼリーといった菓子類や5円玉、10円玉をかけて遊びま した。ほとんどがトランプ遊びです。ページワン、7ならべ、ババぬ き、神経衰弱、ドボンなどです。娘はもの覚えが良く神経衰弱は独壇場 でした。次男は相手の顔色を見るのが得意でしたのでドボンは彼の十八 番でした。お兄ちゃんは一歩も二歩も先

子供たちだけで

 一人親の場合子供たちの長い夏休みは頭を悩ませます。家に じっとさせているのも不憫だし、どうしたらいいのか考えました。 福知山に友達がいましたのでお願いして2泊3日の子供たちだけの プチ旅行を計画しました。それぞれのリュックサックに必要なもの を入れ、勉強道具は無しです。思い切り遊んで欲しいからです。 京都駅から福知山駅までの子供たちだけの旅です。福知山駅には友達が 待ってくれています。私は家で待機です。その当時は今のように携帯 電話が無かったので家で電話を待っていました。友

長男の給食参観日&引っ越し

 お兄ちゃんが初めての給食参観日のことです。 その日、息子は朝から体調が悪く給食を心配していました。 案の定息子は給食を吐いてしまいました。そして私の所へ来ました。 あわてて手当をして席に戻しました。その時、担任の言葉にびっくり しました。息子を気遣う言葉はなく「無理をして食べるからこんな事 になるのですよ」と、決めつけられました。私は咄嗟に言い返しました。 「息子は無理して食べてないです。朝から体調が悪かったからです」と。 私の隣にいる保護者の方も「まぁ、ひどい言い方ね」と

家庭教師

 子供たちは恙なく成長しています。お兄ちゃんが中学3年生のとき 三者懇談がありました。先生は言いました。お母さんは知っていましたか? 何でしょうか?制服です。首回りが小さくて制服が合わないのでお母さんに お願いして新しく制服を買ってもらいなさいと。息子が家にはお金が無いので母には言えないのですと。私は先生に言われるまでまったく気づいていな かったのです。そして申し訳なさで胸がいっぱいになりました。先生は成績のことも言いました。お母さん今のままでしたら公立高校も難しいですよと。

声優 

長男が高校2年生のとき、声優の勉強をしたいといいました。彼が希望を だすのは初めてでしたので何とか叶えてあげたいと思いました。声優の 勉強をするのには入会金が20万円かかるそうです。家には20万円の お金はありません。別れた主人は子供たちとの交流がありましたので相談 することにしました。「お兄ちゃんが声優の勉強をしたいと言っていてお金 がかかるのよ」あなたお願い出来ないかしら?彼はなんぼいるんや?30万 かかるみたい。30万か大きいなぁ。まぁとりあえず申込書をFAXで送ってく

娘の就職

 お兄ちゃんたちは大学に行くのをやめました。勉強は好きでないから と言いましたが私に負担がかかると思い諦めたのだと思います。娘は勉強 が好きで私は娘に勉強をしなさいと言った覚えがありません。勉強をしなか ったらどうなるか娘には見えていたのだと思います。ですから学校推薦で 大学に入りました。入学金には頭を悩ませましたが、娘はアルバイトして いて入学金の半分をだしてくれました。大学に入ってからも授業料も相当 掛かりましたので先生にお願いして分割で支払いました。  少しでも私の負担

第二章 仕事

 別れた当初は二つの仕事をしました。隣の駅近くの高級ブティックで働き ました。午後二時まででしたので、ブティックの近くのスーパーに電話して 仕事を募集していないかどうか聞きました。空いて居るのは鮮魚か天ぷらを あげるかのどちらかと言われかっぱを着て天ぷらを揚げる仕事を選びました 夕方六時まででした。二つ仕事をしても親子三人食べていくのがやっとでし たので、夜スナックの仕事を増やしました。こんな生活が五年続き大阪に 引っ越しをしました。大阪ではアクセサリーを扱う会社の社員になり

お局さん二人

派遣会社の最初の仕事は阿倍野にある○○百貨店のハンドバッグ売り場です そこで働けたら給料も安定するし休みもローテーションでありますのでいい 仕事に出会えたと喜びました。ところがそこにはお局さんが二人いてその職場を牛耳っているように感じられました。一人のお局さんは私の売り場から少し遠い所にあるから、そんなに気にしなくてもいいかもと思いました。問題はもう一人のお局さんは私の隣の売り場です。平場ですので間仕切りはなく、お客様が来られたら先に声をかけなければなりません。来たとこ勝負感

宝石販売

 ありとあらゆる仕事が入ってきましたので何でも引き受けました。 京都○○店での話しです。その時は宝石の販売でした。宝石も見ることが 大事です。見て違いを覚え、値段を見比べてと経験することで解ってきます ダイヤモンドは4C(国際基準)があります。マスター石に照らし合わせながらランクを決めていきます。カラット、カラー、カット、クラリティです 色石は基準はありません。なめらかで濁りが少なく色も濃くもなく薄くもなく飴玉のようにつやつやと輝き大きな石は高級品ですが、仕入れの値段がありま

燃え尽き症候群になり桜島で大根を作る

 娘が働きだして落ち着いたころ私は病気になりました。病気のなり始めは自分が病気になったのだという自覚はありませんでした。でもちょっとしたことでも涙が出て止まらなくなるのです。テレビを見ていて自然な風景だったり年寄りの方を見たら涙がでるのです。私は燃え尽き症候群になってしまったのです。子供たちの為に命をかけて生きていくと決めて、下の娘が二十歳になるまで、何が何でも生きていく、その決意が完結してしまったからです。目的を失った心は大きな穴があき力が湧いてこないのです。こんな状態の私