見出し画像

安心して過ごせる社会とは?

前回のNOTE投稿は多くの方から

「見たよ!」
「かっこいい!」(これを言われるのが一番うれしいです!ぜひ覚えておいてください!笑)
「見直した!」(今までどう見てたの?笑)
「応援したい!」

と様々な声をいただきました!

今回は
「子どもから高齢者まで障害の有無に関わらず安心して過ごせる社会をつくる」
というビジョンの
「安心して過ごせる社会」って何??
ということについて書きたいと思います。


①人生は選択の連続

みなさんは朝起きてから寝るまでに何を選択しましたか?

起きる、起きない
服を着替える、着替えない
水を飲む、飲まない
歯を磨く、磨かない
会社に行く、行かない
ご飯を食べる、食べない
          などなど

挙げればキリがありません。
人は1日に意識無意識問わず、35,000回選択してると言われています。

人生も同じで
勉強する、しない
高校に行く、行かない
働く、働かない

もちろん選択は2択ではなく、複数の中から選択することも多々あります。
人は自らが選択することによって人生を豊かにしていきます。

もし、皆さんの人生が決められたものだとしたら楽しいでしょうか?

この飲み物しか飲めない
この食べ物しか食べられない
この場所しか行けない

自分に選択権のない人生だったとしたらどうでしょうか?

私の息子は中学2年生で進路を考える時期ですが、
親の私が進路に口出すことを極端に嫌います。

「自分の進路は自分で決める!」
とはっきりと言います。

親としては全力でサポートしますが、
塾も自分で勝手に行きますし、
勉強は目標に向かって勝手にやっています。

子どもながらに自分で選択して、日々行動しています。

もし彼が志望の高校に行ったとしても、
行けなかったとしても、
全て自分の責任ということが分かっているのだと思います。

親としては最大限サポートしますが、
最終的には自分の選択の責任は自分にあるわけです。

人は自分の意志で様々な選択することで人生を豊かにし、
幸せになっていくのだと思います。

②障害とは選択肢を制限するもの

障害とは辞書には
「正常な進行や活動の妨げとなるもの。」
と書いてあります。

例えば、障害を持ち車いすになったとします。

今までエレベーターなしの2階に住んでいましたが、
その建物なら1階にしか住めなくなります。

障害を持つ前は、1階でも2階でも3階でも選べました。
家賃や間取り、景色、隣人など様々な状況を鑑み、
自分で選ぶことができます。

でも障害を持つと、様々な状況を踏まえずに、1階に住むことしかできなくなります。

障害は身体的な不便さはもちろんですが、
選択肢が極めて制限されます。

これは本人だけではなく、同居する人にも影響が出てきます。

③障害を持つお子様の親御様への影響とは

障害を持ちたくて持つ人は誰もいないのと同じように、
子どもを産む時に子どもが障害を持つということを
考える人は少ないと思います。

誰しもが元気で生まれてほしいと願っているはずです。

しかし、生まれながらにして障害を持つ子や
生まれてから障害を持つ人はいます。

障害を持つと年齢関係なく
公的なサービスを利用することで
生活をしていくことも多くあります。

サービスを利用すると選択肢が広がります。

できなかったこと、難しいことが
支援を受けることでできるようになります。

まだまだ完全ではないかもしれないですが、
高齢者の受け皿は整ってきていると思います。

親が介護状態になったら、
施設に預ける、預けない
介護サービスを使う、使わない
という選択をすることが出来る社会になりました。

介護保険がない時代は、家族が看るというのが当たり前の時代があったわけです。

では子どもの場合はどうでしょうか?

障害が重ければ重いほど、預ける場所がありません。
なので、親が看るしかないという状況に陥ることが多いです。

自分の子どもということになると
「親としての責任感」から
いろんなことを背負ってしまうことも多いです。

となると、どうなるか?

親御さんは
「子どもが生まれたら、1年間は育休を取って、その後は時短復帰していこう」
「家族でディズニーランドに行って写真を取ろう」
「天気の良い日は近くの公園でお弁当を食べよう」
など、色んな期待を持って子どもの誕生を待っています。

でも、子どもが障害を持つと簡単に実現できなくなります。
「子どもが生まれたら、1年間は育休を取って、その後は時短復帰していこう」に絞って話すと、これは預かり先があるという前提の上に成り立っています。

保育園の数も増え、子どもの選び先がなくて困るということは、以前に比べて減りました。

なので、働く、働かないという選択をできます。
共働き、専業主婦を選べるわけです。(今回は経済的な理由などは加味しません)

でも預け先がないとなると、「働かない(正確には働けない)」という選択肢しかなくなります。

私の家族も兄が途中で障害を持つことになり、
父親はキャリアを諦め、母親は仕事を辞めました。
兄を看るためにそうせざるを得なかったのです。

となるとどうなるか?
経済的にも厳しくなり、私や妹にも影響が出ました。

妹はお兄ちゃん子だったので、優しく接していましたが、私は「兄がこうだから」とひねくれた考え方になっていきました。

話を元に戻します。

障害が軽度の場合の預け先は整ってきて、
保育園や幼稚園でも受け入れてくれるようになりました。

しかし、医療的ケアがあるとそうはいきません。

その時点で親御さん(特に母親)は
仕事を辞めるという選択肢しかなくなります。

ディズニーランドだって行くためには、色んな制約が出てきます。
天気が良くても気軽に公園に行けなくなります。
選択肢が極端に狭まるわけです。

自分で選択できない状況が増えていけばいくほど、
人は不幸感を感じる可能性が高くなります。

父親も母親も人です。
いろんな感情があるに決まっています。

④私たちの事業は「選択肢」を増やすこと

私たちの施設を使った方が良いということではなく、
使っても使わなくても良いのです。

それを親御さんが選択できる社会にしていくことが私たちが目指している社会です。

選択肢がある社会=安心して過ごせる社会
と考えています。

選択肢があるということは安心できます。
最初は自分で看てたけど、やっぱり預ける。
預けたけど、やっぱり自分で看る

障害が有っても無くても、
選択肢があることは安心感に繋がります。

これしかないってなると不安ですよね。

本人の努力不足は本人の責任です。
私の息子が勉強できずにテストで点を取れない、志望校に合格できない。
本人がコントロールできることは本人の責任です。

本人は頑張って志望校に合格できる学力があるにも関わらず、私に経済力がなく、学校にいけない。
これは息子本人ではどうすることもできないわけです。
そうならないために私も頑張っています。

本人がどうすることもできない場合は社会や周りが助ける。
奨学金、特待生など、これが社会のあるべき姿であり、公助や共助に当たります。

本人がコントロールできないことが起きたことは社会が救っていく必要があるわけです。

障害を持つということはコントロールできないことなのです。

本人がコントロールできないことで選択肢が制限されているのであれば、
社会が選択肢を提供していくことが平等なのではないでしょうか?

⑤仕事に復帰できた!

退院後、仕事に復帰したかったが、預け先がなく、仕事を辞めようと思っていた。
ただリハテーラーの児童発達支援があって、仕事に復帰することができました。
仕事もがんばりたいと思っていたので、うれしいです。

そんな声を聞くと自分たちが作り出したい社会に少しでも近づいていることがうれしくなります。

障害が有っても選択肢が減ることなく、
人として当たり前の選択を当たり前のようにできる社会

これが安心して過ごせる社会だと私たちは考えています。

是非、ご興味がある方は会社の見学にも来てください!

施設HP
https://www.reha-tailor.co.jp/

採用サイト
https://www.reha-tailor.co.jp/recruit/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?