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20230820学習ノート『三つのインタナショナルの歴史』第18章-1 帝国主義列強間の不均衡が紛争を引き起こす

20230820
『三つのインタナショナルの歴史』

【第18章 帝国主義とミルラン ― パリ大会(1900年)】

1900年9月、第2インタナショナル第5回大会がパリで開催された。
この頃には、世界資本主義はますます独占的となり、資本主義の帝国主義時代が始まっていた。これはマルクスが早くから指摘していたことであった。
《独占資本主義に基礎をおく現代帝国主義を、奴隷制に基礎をおくローマ、アテネなどの古代帝国主義と混同してはならない。》

1870年から1900年にかけての時期は、帝国主義への移行期であった。レーニンは、『資本主義の最高の段階としての帝国主義』の中で、帝国主義を「資本主義の独占段階」「金融資本の時代」と呼んだ。その特徴は、次の5つである。
1. 生産と資本の集積は高度の発展段階にたっし、経済生活において決定的な役割を演じている独占をつくりだすまでになったこと。
2. 銀行資本と産業資本との融合と、この『金融資本』を基礎とする金融寡頭制の形成。
3. 資本輸出が商品輸出とはべつにとくに重要な意義をもっていること。
4. 国際的・独占資本家団体が成立して世界を分割していること。
5. 地球の領土的分割が資本主義的最強国により完了されていること。

この時期における独占資本主義、すなわち帝国主義の成長の特徴として、資本主義国で産業および金融の巨大なカルテル、シンジケート、トラストが発達したことが挙げられる。

⚫︎アメリカ
1900年当時には、アメリカはイギリスを産業の発展ではるかに追い越していた。200億ドルの資本を持つ440の産業、公益事業、運輸事業のトラストがあった。
⚫︎ドイツ
1896年当時、250の独占的カルテルがあった。1905年には385に跳ね上がり、なお増え続けた。
⚫︎フランス
3つの大きな銀行は1870年当時64の支店を持ち、4億2700万フランの預金総額を持っていた。1909年には支店数1229、預金総額43億6300万フランとなった。
⚫︎イギリス
アメリカはドイツに比べて発展の速度は遅かったが、産業と銀行業の大規模な拡張、強化が進んだ。

これらの資本主義強大国の大銀行家=産業資本家は、1900年当時にはすでに、産業の主人公であるだけでなく、「政府の真の主人公」となっていた。

帝国主義の基礎は、「主要な資本主義諸国で産業が猛烈に発展し独占すること」、さらに「金融寡頭制の支配が打ち立てられること」である。
そしてそれと同時に、「未開発の後進諸国に対して政治的、経済的に侵入し、征服する」ということが主要な資本主義諸国においてさまざまな形で表れた。この筆頭といってよいのがイギリスであった。イギリスの対外投資総額は1850年に約2億ポンド、1905年には約20億ポンド、1913年には約40億ポンドとなった。

未開発地域では、地元住民が自らを守りきれないという問題があった。帝国主義列強同士は、そのような問題に乗じて未開発地域をお互いに分割し始めた。
アフリカとポリネシアは19世紀最後の四半世紀に、そのほとんどを帝国主義諸国によって奪い取られてしまった。奪い取られた領土は以下の通りである。
⚫︎イギリス 370万平方マイル(人口5700万)
⚫︎フランス 360万平方マイル(人口3650万)
⚫︎ドイツ 100万平方マイル(人口1470万)
⚫︎ベルギー 90万平方マイル(人口3000万)
⚫︎ポルトガル 80万平方マイル(人口900万)

資本主義の発展の速度は、それぞれの国によって不均衡である。以前に先頭を走っていた国でも、他の国が急速に発展すれば容易に追い越される。
例えば、1880年にイギリスの銑鉄生産高は770万トン、ドイツは250万トン、アメリカは380万トンであった。ところが1913年までに、イギリスは1030万トンに上昇したものの、ドイツは1930万トン、アメリカは3100万トンに上昇しイギリスを追い越した。
こうした資本主義発展の不均衡は、帝国主義列強間の紛争を引き起こす根本的な原因であるとして、レーニンは以下のように言っている。
「資本主義とトラストは、世界経済の種々の部分の発達速度の相違を減少させるものではなく、かえってこれを増大させる」
「勢力の相互関係が変化したばあい、それらの矛盾の解決は、資本主義のもとでは、力による以外になににもとめることができようか?」
1898年の米西戦争、1899年のボーア戦争、1900年の中国に対する列強の干渉、1904年の日露戦争、これらは全て資本主義発展の不均衡から起きたものであり、やがて到来する超略奪的な帝国主義戦争の前触れであった。

帝国主義の勃興は、労働運動にとってどのような意味があったのか。それは、熟練労働者と未熟練労働者との賃金の格差である。この格差がますます大きくなることが重要な問題であった。資本主義諸国では実質賃金に緩やかな上昇が見られたが、それは植民地から搾り取った超過利潤の一部を本国の熟練労働者に分配したことによる。資本家の狙いは、この分配によって労働者階級全体の戦闘性と連帯の意識を弱めることであった。
労働貴族の賃金は上がったものの、未熟練労働者の賃金はほとんど上がらなかった。例えばドイツでは、未熟練労働者の賃金は1887年には100だったのが1909年には105まで上がったが、労働貴族の賃金は113になっていた。

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