緘黙(かんもく)の人の思い出について
自分の思い出の整理をしたくて、『かんもくの声』(入江沙代著)を読みました。
私の知人が、緘黙(かんもく=人前でしゃべらない人)でした。ただそれだけではなく、遊ぶのは私とでないといけないという人でした。
近くに同じ年頃の子供はいたのですが、いつも私と遊ぶんです。
息苦しいなぁと思っていました。
途中、私が「別々に行動しよう」と言ったら、その人は学校に行けなくなりました。そのことでは親から「お前が悪い」と何度も言われました。
一緒に行動すること、それが18歳まで続いたのです。
なので、私は今もその人のことでは(つきまとわれる、怖い)という思い出が蘇ります。
その人に何かあったのか。そもそも緘黙(かんもく)って何?
どうして私につきまとっていたのか。
知ることができたら、積年の疑問が解けると思いました。
今回本を読んで、知りたいことは解決しませんでした。
・他の人と遊びたいのに、緘黙(かんもく)の人と遊ぶしかなく、
・心の中でうっとうしいと思っているのに笑顔で近寄ってくるその人を見ていつも罪悪感を覚え、
・誰かから聞かれれば「この子はしゃべれないわけじゃないんだけど、人前で話さないんだ」と説明し続けて来た
私の役割を説明する文はありませんでした。(その代わり、著者は躁状態経験者でした。激しい躁状態になった様子が書いてありました。)
私は自分の時間をまるまる使えてもよかったのに、と思うのです。
親からも地域の人からも、私はその子と遊ぶのが当然と思われていました。
でも、私が面倒を見てもらってもよかったはずなのです。
なんで2歳から私がそんな役割を負わなければいけなかったのか…。
私が「つきまとわれているように」感じたこと、は、まだ解決していない問題です。ごく幼いころからずっとそういう状態だったので、言葉にするのは難しいです。もう少しこれも言葉を探してみようと思います。
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