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子供の心を見られない親(カウンセリングの話題から)

 〈画像ありがとうございました。虹は特別うれしい日の思い出。〉   

 今、子供と話すとき、ときどき思い出して自分を戒めていることがあります。それは「親ー子」という関係上、話している時に私の方が「上」だと無意識に思っているということです。「親ー子」の枠組みを抜け出すのはなかなか難しいと思います。そういうものなんだろうと思います。


 分かりやすい例なのですが、先日、郵便局で職員さん(話の内容から男の子のいる女性)が、
「あいつは、自動車免許なんて取れっこないのよ~」
と、子供をメタメタにこきおろしていました。
 誰かのお子さんならそんな風に言いませんよね。そういうことなんです。


 カウンセラーと話していて、
「レコルトさんのお母さんが、いかに子供の心を見られない人だったか!」
と言われました。
 そうかなとは薄々思っていたのですが、カウンセリングで話す度に「やっぱり」と過去が事実に変化しています

 「心を見られない親」今日もそうだったと思われる過去を思い出していました。
 そのことで私の心は早期に折れてしまっていたのだと思います。私は今まで「そんな小さなことで心が折れなくていいでしょ」と自分に言い聞かせていました。
 でも、折れてもいいのだと、自分が言うなら何も間違いでないと思うようになりました。
 
 そういう親だったことは残念です。そういう親だったことにがっかりします。「残念」と「がっかり」を貯めて、でも自分は少しも損なわれることがないと、親から心の中で離れて行くことが治療なんじゃないかなと最近思っています。


 


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