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連歌とフリーソウル




若い世代にとって音楽ジャンルなど有って無きが如く、もはや ”なんでもアリ” が当たり前・・・・



ただ、”なんでもアリ” とは言っても自ずとそこには最小限のルールは存在する。

つまりただ闇雲に曲をどんどん聴けばいいというものではなく、『何で●●という曲の次が△△なんだ?』という疑問に対してのある程度の回答は用意されてなければダメなのである。



それは『ただカッコよさそう』とか『なんとなくfeelingで』という感覚的な答えでもいいし、『同じプロデューサー/同じレーベル・・・』とかいったデータ/ディスコグラフィー的な答えでもいいだろう。


ここで唐突だが “フリーソウル” である。




フリーソウル、というと90年代に話題になった ”渋谷系” とか ”カフェミュージック” 等のキーワードでくくられる一部特定された ”オシャレ系”音楽を連想されるかもしれないがここでは 『ダンスミュージックを共通分母とはするが決して一つのジャンルには収まりきらない似通った感覚を持っている音楽』・・・とでも定義しようか。


レコード屋がどのジャンルに入れたらよいか分からないので ”しかたなく” その他のコーナーに仕分けた・・・・・というような消極的な事ではなく、『これらのセレクトからある共通の個性を感じ取って欲しい』・・・という積極的な行為としての選別作業。これがフリーソウルという行為、である。




具体例をあげようか。


一部の ”よく分かっている” レコ屋はこうした考えから フリーソウル というエサ箱に独自のセレクションを展開していて、それはまるでその店のポリシーをアピールしているかのようであった。

以下は今は亡き高円寺の名店のフリーソウル箱から僕が実際に抜いたブツ(100枚近く買ったかなあ?)の一部である。


"JB" The Jamaica Boys (warner)




"LOVE WILL FIND A WAY" Pharoah Sanders (arista)




"MWANDISHI" Herbie Hancock (warner)




"LOVE OH LOVE" Leroy Hutson (buddah)




"FOR THOSE WHO CHANT" Luis Gasca (blue thumb)




腕(耳)の良いDJがclubでこうした ”繋ぎ” を聴かせたり、『いいセンスしてるじゃん』と思えるようなコンピレイションCDに出会った時、聴き手の我々は一曲一曲を単独で楽しんではおらず、実はこうした一見異質な楽曲の ”一連の流れ” を楽しんでいるのである。

さらに、あるコンピに対しての ”元ネタ” と呼ばれるオリジナルヴァージョン(原曲)を探す楽しみ・・・・よく中古レコ屋で異常な高値が付いている・・・・とか考えてみると 『○○というレコードから※※というレコードに辿り着く楽しみ』も大きい。




・・・・・ここまで考えてきてふと思い付いた。


『これって いにしえの連歌と一緒ではないか?』




複数の作者が連作する詩形式、とか和歌の上の句(五七五)と下の句(七七)をそれぞれ別人が詠むという遊戯的な試み、連歌は原則として複数の作者による連作によって展開する、前後の流れに合致するように作品を作らなければならない・・・これらはすべて連歌の特長を述べているのだが(Wikipedia)、上記でのフリーソウル的選曲手法と見事に合致する!!



いつの時代にも粋で風流な連中はいたものだ。




DJ=連歌師、なんて考えただけでも愉快ではないか。

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