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世界平和を考える #1

お久しぶりです。じゅんやです。

今日から、俺が世界平和を考えた理由を書いていこうと思います。
大枠の流れとしては、「世界平和を考えた理由⇨世界平和像・構想⇨ToDoステップ」の順番で書いていこうと思います。数十記事に跨いで書いていきますので、気長にお付き合いください。

そういえば最近、人生7割という持論を持ち始めました。お母さんのご飯の様に、コンビニの様に、あって当たり前だけど、ささやかな幸せが身を包む感覚を大事に生きていくという意味です。もともとあった、「旅するように生きる」に続き追加された、2つ目の生き方です。

前書き

簡単な思考過程は、自己紹介記事で書いていますが、もっと細かく、これから書いていこうと思っています。

俺がこうして、世界平和を考えた理由を書いていくのは、何か、そうしなければいけない感覚が俺の中にあるからです。俺にできることはこれだ!とでも思っているのかもしれません。ただ、そんな心の直観に動かされて、文字を書くのが好きな俺は書いていきます。

世界平和を考えた理由

俺が、世界平和を考えた、きっかけというきっかけは、単純に死にたいと思ったからです。よくある事です。絶望を感じて、生きる意味を見出せなくて、なんで生きなきゃいけないんだろう。そんな被害妄想から、負の感情から、自分を救うために、生きる意味を見つけるために、考えたのが、世界平和です。

でも、そんなきっかけがある前から、俺は世界平和を考えていました。

きっと始まりは、ずっとです。物心がついてからずっとです。

一番幼い記憶は、幼稚園の時に、4月生まれで、年少~年長がみんな一緒の環境で育っていた中で、「お兄ちゃんなんだから、面倒見てあげて!」と言われた時です。左には先生、右には泣いている子。俺が泣かせたのか、困ってる子を任されたのかは覚えていませんが、その映像を覚えています。

俺は、それから、ずっとお兄ちゃんなんです。困っている人がいたら助ける。泣いている人がいたら、泣かせた奴を懲らしめる。俺が泣かせたら、謝る。次は、泣かせないように頑張る。

だから幼稚園から、俺はずっとリーダーです。こうしようよ!と言って、意見をはっきり言って、みんなが付いてくる。合わない意見が出たときはグループを分けて、他のグループのリーダーにみんなを任せる。ことが終わったら、またリーダー同士でも集まる。そうしてみんなで仲良くしていく。

大人になるにつれて、みんなで仲良くするということは、難しいことを知っていきました。科学によれば、「みんなで仲良くする事」は、200人が限界数らしいです。たしかに、高校生の時198人で、名前を忘れたりする人がぎりいるいないぐらいのラインだったことを覚えています。リーダーの俺ですらそうなので、他人に興味のない人は、「え、誰その人」ってことが良くあります。

幼稚園という小さな世界で、俺は世界を守っていました。


これは、小学生になっても同じです。ただ、リーダーが増えて、喧嘩をするようになりました。俺が正しい。俺が正しい。そう考えるガキ同士が、うまく表現できない事に苛立って、殴り合ったり、罵ったり。そういうことをするのは、いつだってほとんど男子です。たまに、女子も手を出してきましたが、やはりこういうのは男です。でも、女子同士でも、派閥を創り、人を省いて、排他的にやっていたので、戦い方が違うだけなんだなと思ったことを覚えています。

それでも俺は、6年間、自分のクラスを守ることをしてきました。クラスで一番目を引く人と仲良くなって、その人を中心に、クラスをまとめていく。俺は、みんなに声をかけて、1人1人と関係を創っていく。そうして、目立つ人と一緒にクラスの中心に立って、仲良くする。でも、小学生は、男女の力の差も、趣味の違いも色濃く出てきて、みんなで遊ぶことは難しかったです。

だから、俺はいう事を聞かない人や、こちらに関心を向けない人が嫌いでした。俺は、そういう人を悪く言っていました。また、臭い人や、同じ服を着ている人を、揶揄していました。そうやって、人を下に見ることを、誰かに触発されてやっていました。俺はこの時の自分を振り返ると、その時の俺は、リーダーでは無かったと思います。だから、記憶がありません。

理由は、小学1年生の時に、幼稚園の時に行っていた愛知から、地元横浜に、帰ってきて、俺は訛っていて、外の人だったからでしょう。小学1年生から5年生までは、俺はみんなに合わせていたんだと思います。そこの人たちの様に、合わせるように、環境に馴染めるように、あわせていたのだと思います。だから、自我が無かった。だから、俺は覚えていないんだと思います。

そして、5年生の時の俺は、先ほど言った、人を揶揄する人になっていました。そして、なぜここから記憶があるかというと、怒られて、意識して、変わり始めたからです。恩師との出会いです。

仲間をいじめるな。守れ。クラスの一員だろ!と怒られました。そして、当時、クラスには、自殺してやる!とハサミを持って、笑いながら、注目を集めようとするクラスメイトが居ました。

たぶん、怒られる前の俺なら、放置していたかもしれません。でも、幼稚園の時の俺を思い出し始めていた俺は、先生に習って、真剣に考え、真剣に向き合って、ガチギレしながら止めてました。あいつが笑ってたのは、よく覚えています。どう考えても家庭環境が悪かったんだと思います。そうするしか、注目の集め方が分からなかった。そんな感じの人でした。だから、俺は、真剣に向き合っていました。よく話しかけていました。そうすると、彼を、色目に見ていた人も、少し変わるんです。そうすると、彼も変わるんです。

俺は、その景色を見て、俺が動けば、俺が率先してやれば、何かを変えられることを実感しました。

そこから、俺は、先生に誘われて入った、生徒会の様な、児童運営委員会に入り、クラスの議会、学校の議会を運営する立場になります。そして、はまります。

そこには、学校に居る、各クラスのリーダーが集まります。意見はバラバラです。それを、黒板を背に、みんなと向き合って、中心に立ち、整理整頓して、1つに進めていくのが、俺たちの仕事でした。

その時に学んだことは、こだわりが強ければ強いほど揉めるけど、こだわりが強いほど、良い意見が最後に残るということでした。

適当に、興味を持たずに、みんなが「いいんじゃない~」となるものは、絶対に問題が起き、真剣に意見をぶつけたものは、興味を持っていなかった人も巻き込み、思っていたよりもいい結果を起こしました。学年行事、学校行事は、まさにそれです。終わった後の笑顔の数が変わるんです。

その中で、俺が気に入っている企画が、「挨拶キャンペーン」です。これはイベントですが、みんなが熱狂するようなイベントではありません。当たり前にあって、ただ、朝、校門で何人かが立って挨拶しているだけです。でも、これが笑顔の連鎖を創るんです。

なぜなら、全校生徒がそこを通るので、みんな顔を認識してくれるんです。そして、学校の中で挨拶が習慣になる。挨拶の中で、仲良くなったり、困っている人を見つけられる。その挨拶を中心に、学校の文化と、中心となる顔が出来上がっていくので、学校好循環になりやすいです。

こうして、俺は小学校では、嫌な奴を身に付けつつ、それと向き合いながら、変わろうとして、いや、戻ろうとして、より良い生き方を考えるようになりました。俺は、どうあるべきなのか?と、自分と戦うようになりました。

次は、中学からです。


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