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味わい語れ四天王 増長天⑥

リーディングマスター・まさみちです。自分にとって、“好きなこと”を探していた時期がありました。それはどうやら「教えること」だとわかり、教育者の道へと進まなかった自分を後悔したことがあります。12年前のことでした。その時、受験勉強には興味が無いので大学に行く気も持てないので、学校の先生になる夢は即刻潰えました。当時、関心の高い精神世界の道に進もうと思って臨床心理士の資格の道へと進もうと思いました。しかし、国家資格でないことや、学費の捻出が出来ないと断念し、何か無いかとサラリーマンしながら探していました。ある時、キネシオロジー(筋肉反射反応)に触れ、「これならわかる!」と閃き、世界が変わりました。(23/88)

全力で打ち込むことを見つける事が出来なかった自分に、没頭出来るものが見つかったことは嬉しいことでした。しかし、物理的な作業では無い、“見えないもの”を扱う上で、不安もあれば、経済的な問題も山積しており、順風とはとても言えない自営の世界の産みの苦しみを味わい尽くしました。

サラリーマンの有り難さを思い知る日々でした。

苦節十年といえば、早いかも知れません。まだ楽になったとも言える感覚もないものの、恐れる気持ちが錯覚でしか無いという悟りも開いている以上、ネガティブな思いの構造を解析出来るようになると、「解決するか?」「放置するか?」という二択になり、性格上放置することはないので、「解決するのみ!」という一択の人生になりました。

悟った側からの表現ですが、「人生に“選択”などない」という感覚で生きています。

もちろん、断ることもあれば、考えて間を持つ瞬間もあるので、“選択している”という印象を与えてしまうこともありますが、瞬時に解答出来ぬ問題が訪れるだけですから、その根本を紐解いて悟れば、取り入れていくものばかりになります。

四天王について解説しています。

前回は、⑤持国天を紹介しました。四天王という表現は、様々なシーンで登場するようになり、なんとも格好いいネーミングです。仏像は自身の心の姿を具象化して、言葉で説明出来ないニュアンスを感じ取ってもらう為のものです。ですので、心の中に四天王というような働きが存在しており、無意識でも使っている訳です。それを意識化出来ると、より強化できるもので、「ああ、そういうニュアンスなのか!」とわかってくると、どのように鍛えなければならないのか見えてくるものです。

私はかつて悟りとは無縁で、ゲームとマンガが好きな東京コミックマーケットにも参加した経験がある、オタクです。いやオタクと言うほどでもないものの、物欲大好き人間であった私が、「悟りました!(かなり高いレベルで!(大日如来がわかるから)」と言えるように変化したので、悟る過程を知っているわけですけれど、悟るほど自分の道のりを「言えないなぁ」という感覚が募るばかりだったりするものと、告白しておきます(でも、いずれ言います)。

四天王の話に戻します。

北方に鎮座する③多聞天は、「目的に到達する過程で倒れた犠牲者や、不遇の身になった者たちの声を聞き入れつつ、無視する力を有し耐えること」として、倒れぬ心を作り上げていくものです。「現状で充分だと訴え、変革を望まぬ声に耳を傾けつつ、納得させられる答えを与えること」を諦めることなく提供することで、不退転の姿を見せるものです。

西方に鎮座する④広目天は、「目的を達成させるには、様々な方法や協力体制が不可欠であり、状況は変化している為、柔軟に方向転換も必要と心得るもの」として、とっさの判断にも適応できる連携の強さを作り上げていくものです。「現状のままでは不充分だと訴え、変革を望む者たちの言うに云えぬ姿を見て、納得させられる答えを与えること」を諦めることなく提供することで、不退転の姿を見せるものです。

東方に鎮座する⑤持国天は、「目的を持たせるには、現状に対して不足や不満を見つけ出し、聞き出さなければならず、声を上げることは対立を生むものと心得、身を捧げる思いで取り組むこと」として、よりよいものの為には、創造的破壊と言えば聞こえはいいものの、あるべきものを不要だと捨て去る流れを生み出す存在が人との関わりの中で必要だとわかるように育て行くものです。「現状を全く見ないことで、想像を超える創造性を呼び込み、未知なる世界に全身全霊を賭けることで、今の幸せを生み出し続けること」を諦めることなく提供することで、誠実さの限りを尽くしていくものです。

南方に鎮座する⑥増長天は、「目的を見失った者には、暇を与えて充分に休ませて、楽をさせ、労い、感謝し、どこまででも愛し抜いて“必要としているよ”と感じること」として、回復した時の為に、声をかけ続け、見守りってやり、身ぎれいに手を貸し続けるものです。「現状のままでは、“良くない”と自分自身で見失った目的を再度見つけることが出来た時、過去の憂いを生産し、大切だったものを取り戻し、不死鳥のごとく蘇る者のこと」を信じて諦めることなく呼びかけることで、共に夢を見た世界を現実のものにしていくのです。

⑥増長天
好きなことを好きなだけ没頭し、尽くし捧げることで、高い能力を育て上げ専門性を築き上げ、並ぶ者がないほど立派だと誉れるように努め、鍛錬も研鑽も怠らず真摯に打ち込むことで、未だ到達する者がないハイレベルまで諦めることなく歩み続ける者のことです。一人で行く道より、友と共に行くこと、友がいなくても愛する人と行く道があり、友とも伴侶とも共に行く世界ほど素晴らしいものはないと、協力し合うから見える境地があると信じることです。より多くの友、より深く愛する伴侶と共に、越えられない壁はないと無限の可能性へと飛躍する働きがあります。不可能を可能に変え出来なかったことを出来るようにして見せ、誰もが諦めた道でも、絶対に諦めないとして一人でも行こうとすることでしか出会えぬ友や伴侶がいると知ることです。真剣に打ち込む姿は、自分だけでなく、伴侶や友の心を一つにし、強大な難関さえ突破する力となって目的を成し遂げるものです。それには、自分をどこまででも信じ、関わる人を信じ、友を信じ、愛する伴侶を信じることで、信じられる者として今ある環境と状況下から始めるものと気づき、心が折れることなどない存在です。

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足下の天邪久(あまのじゃく)は、邪鬼と違い、邪久と書きます。増長天に取り憑く天邪久は、自分を納得行くレベルまで愛し抜いてもらえない“嘆きの姿”として存在する為、満足行くまで愛され、失っていた思いやりなどを思い返せた時、治り消え去るものです。愛されないことでの不平不満を永遠に垂れ流して、自分に味方する人に媚びへつらい厳しくする人をコケにしたり貶めるなどして、身の保身しかしないような存在です。三下のような台詞を言ってしまったり、思いついてしまう為、自覚したくないものです。

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「言いつけてやる」「懲らしめてやって欲しい」「イタズラしてやる」「困らせてやる」「信じてやるものか」「謝っても許してやらない」「絶対謝るものか」「嫌いだ」といった思いなど抱いて、本心をさらけ出すことはなく、優しくしてくれる人や、愛してくれる人の気持ちを独り占めにする為なら、どんな手も使おうとするものです。

物語上では、天邪久は愛されている事実に気づき、反省し、改心し、協力姿勢をするものですが、現実の天邪久は、不貞腐れ、不満にまみれ、憎悪を募らせ、悲劇を人のせいにしている為、反省も出来ないものですし、改心する切っ掛けを与えてもらえない為、チャンスもありません。第一に、天邪久に呑まれて言いたい気持ちと反対側の言葉を放つ為、愛する人、愛してくれる人を“嫌いだ!”と否定する言葉を使うので、周りの人たちは愛する人と天邪久を引き離してしまいます(父と子、母と子、師と弟子などがよくあるパターン)。もしくは、愛する人から突き放され、失った愛を見つけることもなく、生きて行くしかなくなります。

増長天は、自身の能力を楽しさと共に磨き上げて、どこまでも高みを目指す心ですが、転生の中で傷つき倒され立ち直れない悲劇に見舞われると、今世で天邪久となってイタズラや困らせる物欲の塊として徘徊するような人生を送ってしまいます。自分の物欲の強さを感じることがあれば、増長天の天邪久が潜んでいるかも知れないと、「愛されている感覚がない」寂しさ、虚しさ、悲しさ、切なさなどを見つけたら、癒やしに取り組んだ方が、高い専門性の能力の回復に直結するものなので、心理カウンセリングをオススメします。

繋がり方
増長天最高に格好良く素晴らしく才能に溢れ優秀であり人格が出来ており優しくて賢くて礼節もわきまえていておごらず偉ぶらず親しみ深く和やかで自分の痛みの全てを受容してくれつつ、癒やしてくれる存在として扱い、それが鏡の中に居て自分に向かって話しかけてくるイメージを持ちます。

増長天との対話は、最高のパフォーマンス能力を持つ仏の心が、鏡の中に閉じ込められているイメージです。実際にある「鏡」と向き合って、対話するのも有効です。

事例を紹介します。現実に生きる自分の方が苦しく、鏡の中の増長天は最高の仏なので、鏡の中にいる方が自分であり、現実に生きる方が増長天と仮説したイメージを持つ方が取り組みやすいかも知れません。

自分「ここから出して」
増長天「助けに来たぞ」

自分「ここから出して」
増長天「頑張れ」

自分「ここから出して」
増長天「負けるな」

自分「ここから出して」
増長天「諦めるな」

自分「ここから出して」
増長天「もうすぐだ」

自分「ここから出して」
増長天「耐えろ」

自分「ここから出して」
増長天「信じ抜け」

自分「ここから出して」
増長天「応援を呼んでくる」

自分「ここから出して」
増長天「みんなを呼んできたぞ」

自分「ここから出して」
増長天「もう何もしなくていい」

自分「ここから出して」
増長天「もう大丈夫だ」

自分「ここから出して」
増長天「よく頑張ったな」

自分「ここから出して」
増長天「ここが外の世界だ」

自分「もう終わりでいいの」
増長天「全部押しつけて済まなかった。辛さしか与えなかったな。ごめんよ。許してくれ」

自分「全部許しているよ」
増長天「うん、この世界を終わらそう」

自分「もう嘘はつかないでね」
増長天「つかせないよ。何もかもありがとう」

自分「救ってくれてありがとう」
増長天(微笑んでいる)

このようなやり取りが出てくることがあります。自分なりに「ここから出して」「こんな目に遭うとは思わなかったんだ」「誰がこんな風にしたの?」「何か言ってよ」と鏡の中の増長天に呼びかけることで、様々な心が救済される可能性が高いので、取り組んでみてください。

クリエイティブな制作作業をしている方など、能力の限界にぶち当たったり、可能性を見出せない壁に行き詰まるなども、増長天との対話は有効です。増長天のイメージがスーパーマンのような超越的存在であればあるほど、救済する力が高まります。ここが想像力の強さ次第となります。

ただ、こうした対話も、「何も浮かばない」「返事がない」「無言」「よくわからない」という感覚に陥ることがあります。

この状態においても、上手く行っている最中だと諦めないでください。

仏との対話は、雑念など負の想念が浄化され、祓い清められていく過程もあります。瞑想している方など、脳内が雑念だらけで落ち着かない体験から、だんだんと落ち着いていける脳内を感じた体験があるなら、やり続けることで得られる先があると信じて続けてください。

自分と向き合おうとする姿勢そのものがポジティブでいようとするもので、五感に意識を集中させることで、「感じること」を重視するほど、鏡との対話は成立し易くなるものです。無欲のような感覚です。

特に「遠い音を聴こうとする」「一点だけ集中して固定して見る(眼球を動かさない)」「血流や心臓の鼓動に触れていくこと」「体の細部に渡って脈動する感じや、気持ちを舐めて味わうこと」という部分を重視していきます。五感を同時に研ぎ澄ますことで「いい状態かどうか?」と自分の体に問いかけることで、「いいや」や「いい状態だ」と体感覚での返事が来ることを「嗅ぎ分けられる」と、様々なことが「嗅げる」と感じられるようになります。


いかがでしたでしょうか?

では、また。

リーディングマスター・まさみち。



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