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脱毛の恐怖(リウマチ日記③)

抗リウマチ薬での内服治療が開始され、悪化することもなく、痛みのない7〜8年が過ぎた頃、徐々にリウマチが暴れ始めた。右手首が腫れ、右手の第3指が腫れ、痛みも半端ない。日常生活に限界がきはじめた。
すぐさま受診。今度はメトトレキサートが開始になった。
しかし、内服することに戸惑いがあった。この薬を内服する際、休薬期間の説明があったのだ。
職業的にもその薬がどんなものなのかを察した。
すぐに調べ、そして職場の医師にも確認した。抗がん剤であった。
頭によぎったのは、骨髄抑制と脱毛。
免疫低下が起こることでの感染の不安。
そして、髪の毛がなくなる恐怖。
この恐怖がなぜ出て来たかというと、抗リウマチ薬を内服し始めてから、抜け毛が1日100本近くあったからだ。それまでほとんど抜け毛のなかった私は、脱毛という言葉に敏感になっていた。
健康な時は髪の毛より身体が優先と思うだろう。しかし、実際に脱毛という問題が少しでも出てくると、そこから逃げたくなるのは、女性ならわかるだろう。
複雑な心境のまま内服せず、1週間後の受診に足を運んだ。
受診では、当然、主治医に何故飲まないのか指摘された。逆に脱毛という副作用がないわけではないことを何故説明しなかったのか、骨髄抑制だけでなく、脱毛が怖いと正直な気持ちを話した。
医師は「僕の患者で脱毛した人はいない、そんなのまれで、今はそんな場合ではないでしょう」といった。そんな場合でないのは自分でもよく分かっている。それでも、髪の毛が抜けることが怖くてたまらなかった。
しかし、主治医の言葉を信じ、ついに内服を開始した。2週間ほど経った頃から、身体が日に日に重くなる。毎日、仕事に行けるか、いや、行かなければという使命感のようなものと葛藤する日々。日常生活に支障をきたし始めていたのは明らかだった。
また身体の中で、何が起こってるんだろう…不安を抱えた状態で、待ちに待った受診日がきた。
案の定、白血球が1010というところまで下がっていた。免疫抑制がきていたのだ。通常は5000〜8000ほどの基準値がわずか1000なのだから身体が悲鳴をあげるのも当然。すぐにメトトレキサートは中止され自宅療養となった。身の置き所がないほど、身体が怠い。母がみかねて背中をさすったり看病してくれるが、触られるのも辛い。身の置き所がない怠さが私を襲っていた。
動けない、そして自分の身体をどうしたらいいのかさえ、コントロールができない。このような経験は生まれて始めてだった。
入院すればいいのにと思う人もいるかもしれないが、白血球が1000を下回らないと、重症とはならないらしく、入院ができないと言われた。私は1010という値だったので自宅療養となったわけだ。
そりゃそうだ、入院しても休薬して様子見るだけだから、病院からすれば点数取れない、お金にならない患者なのだから。まぁ、仕方ない。ひたすら自宅で白血球が上がるのを待った。
子供に何もしてあげれない惨めな思いと、母への感謝に涙する日がしばらく続いた。
母の愛情に感謝しながら、そうこう過ごしているうちに、1ヶ月をかけて、やっと白血球が3000を超えた。しかし、後々振り返ってみると、これでもまだ自分の疾患とは向き合ってなかったのだ。
こんなに苦しい思いをして、向き合っているつもりでも、そうではなかったのだ。
自分の生活を見直すこともなく、深く考えるには至っていなかった。苦しい思いをしてもなお。

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