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旅先で美味いものに出会うとき(香川県高松市の旅)

 まさに半信半疑だった。

 伊丹十三の愛したサラダ菜と苺ジャムのサンドウィッチ 500円

 と、その話をする前に、今朝からの僕の行動を記そうと思う。

 今日僕は、友人の展覧会を観ようと、事務所の目の前にある港から、朝6時に出航するフェリーに乗り、身一つで高松入りした。2年前にデビューしたという新船にようやく巡り合った僕は、真新しい船内を、新店オープンを前にやってきたチェーンストアの本社役員のような心地で巡回した。航路にある小豆島や高松の食材が使われたフードコーナーに、以前は見かけなかった「レモンうどん」なるメニューを発見。朝食は食べない気でいた心が一変した。なにせ僕には、新メニューの味を確認する義務がある(そういうプレイだ)。

 書店POPのごとし手書きの推しテキストを読むに、使われているのは太陽のまち仁尾町の「健康レモン」だという。健康レモンもなかなかだが、太陽のまちとは大きくでたものだ。こういう、言ったもんがちなキャッチフレーズや、ネーミングはさまざまあるが、これらに大事なのは、潔さなのだろう。躊躇なく大胆不敵なほどよい。ナガオカケンメイさんの「d」なんてものも象徴的で、僕はあの人の一番のデザインがD&DEPARTMENTをもって「d」を獲得したことだと思う。docomoの「d」とはわけが違う。なにせdesignの「d」なのだから。言ったもん勝ちにクオリティを加えて編集すれば、designの頭文字の「d」まで我が物に出来るとはすごいものだ。先輩に対してずいぶん失礼な言い方かもしれないけれど、後輩の穿ったリスペクトなので許して欲しい。

 さて、太陽のまちとはなにゆえか? いやいや、うちの街にも陽はさすし、なんだったら沖縄とか宮崎みたいな南国感溢れるところの方が太陽イメージ強いし、ガチの日照時間ランキングで言えば、山梨や静岡あたりがランキング上位を占めるのが常だ。暖かい気候の瀬戸内の町なので、太陽のまちと言われて、大きな違和感があるほどではないにしろ、そこまで思い切ることの背中を押したものはなんだったのか? あんまり気になって仁尾町と検索してみたところ、1981年8月、仁尾町の電源開発会社仁尾太陽熱試験発電所で、世界で初めて、1000キロワット級の本格的な太陽熱発電に成功したとある。おそらくこれに起因するに違いない。

 太陽熱発電。いまや至る所でみられる太陽光パネル発電かと思ったが、よく見て欲しい。太陽光ではなく太陽熱。太陽光発電はパネルから光を直接電力に変換するが、太陽熱発電は鏡で反射した光で油を熱し、その熱せられた油を1箇所に集め水を沸騰させることで、火力発電などと同様、タービンを回して電気を起こすのだという。電力よりも熱の方が溜めやすいという特質から、夜でも発電ができるのが利点だ。なるほど。40年以上前の、この実験の成功をもって、日本がソーラー発電界のトップに躍り出たと、当時大いに盛り上がったようだが、1989年、「太陽熱発電は大規模な施設が必要、且つ、広い乾燥地域をもつ国にしか向かない」とたった数年で国は実用化を断念。太陽熱バブルはいっときの夢と消えた。

 そもそも、仁尾町は雨量が全国平均の約半分で、日照時間も1日平均6時間と、まあ、平均より上なことは事実。太陽をもって盛り上がりかけた町の機運を、なんとか再燃させようと、国が太陽熱発電の実験をしたという過去をもって、国内トップクラスに太陽光が降り注ぐ町であり、すなわちここは「太陽のまち」なのだ! と言い切った。そこから、きっと主要産業であろう農業のイメージ向上につなげていったのだと推察。これもまた編集。一枚だと薄く儚いトピックを重ねたミルフィーユを土台に、まさに太陽まで届かんと大きくジャンプするのが、キャッチコピーの定石なのかもしれぬ。

 さらには「健康レモン」という名の腕白さ。レモンそのものに健康なイメージを持つほど、呑気ではいられなくなったこの時代にあって、防腐剤やワックス不使用で、皮ごと食べても安心なレモンは貴重だ。僕の得意料理の一つ、レモンパスタなどは、石見焼、元重製陶所のおろし器(あれは本当によい)でレモンの皮を削ったものを、バターと塩で軽く炒め、茹でたてアルデンテなパスタに絡めるというシンプルレシピゆえ、瀬戸内の無農薬レモンあってこその一品。レモンうどんも、皮ごとレモンの輪切りが並ぶ。このレモンの皮は安全なのか? と不安に思う人も少なくないはず。けれどここに浮かぶは健康レモン。お客様自ら、きっと大丈夫にだと、その不安を自ら解消してくれるはず。うむ、よい素材セレクトじゃないか(再びプレイ始動)。

 そんな仁尾町の健康レモンを敢えて一度凍らすことで、食感はやわらかく、味もしみやすくなる。冷凍することで繊維が壊れて味がしみやすくなるというのは、スーパーマリオの無限1UPのごとし有名テクの一つ。裏技が表の技になっていくYouTube時代の料理のコツの伝播には、よいもわるいもサイエンスが掛け算される。「レシピは動画で」が主流な現在、巷に溢れる無限ピーマン、無限もやしと、次から次へと無限レシピが溢れる状況がまさに無限だなと、大きな鼻の下に立派な髭をたくわえた陽気なイタリア人シェフが脳内で無限増殖する。

 しっかり出汁をまとったレモンの輪切りを、コシの強い讃岐うどんと共にすすれば、目覚めの一杯としてこれ以上のものはないんじゃないかと心のなかでボーノ!と唸った。レモンの酸味が出汁に中和され、透明なつゆに浮かぶオリーブオイルの輝きのなか、添えられたオリーブとミントの香りに、まさに太陽を感じた。よし、合格だ(これをもってプレイ終了)。

 しかし朝から、こんな美味しいうどんを食べちゃったから今日の高松はうどん以外にするかと考えた。

 高松港からバスに乗り、庵治という石のまちで、無事に友人の写真展を観ることができた僕は、再び高松市内へとバスで戻ることに。撮影者である母娘と、近くの山で偶然出会った一人のおじいさんとの関係が丁寧に紡がれた展示に、こんなにも愛溢れる写真展があるのかと、その余韻に浸るまま、ふわふわと乗車。考えもなく高松駅まで戻ろうとしていたが、繁華街の瓦町あたりで降りた方がよいと急に思い立ち、慌てて降車ボタンを押す。

 12時を過ぎてはいるものの、レモンうどんのおかげかそんなにお腹も空いておらず、最近、高松に行けば必ず立ち寄っている本屋、ヌルン……ルヌンガヌンガ……ルンヌガン……と、とにかく検索しないとちゃんと名前が思い出せない本屋さんに寄ることにした。来るたびに刺激をいただくとてもよい本屋さんで、店主の方が、ひっきりなしに訪れるお客さんのほとんどと挨拶を交わされていて、街の本屋さんとして愛されていることを強く感じる。旅人の僕は、買い逃していた青山ゆみこさんの新著を手に取り、さらに店内を物色していたのだが、伊丹十三の「ヨーロッパ退屈日記」や「女たちよ!」の文庫が平積みされてることに、さすが四国の書店さんだなあと選書に風土を感じて嬉しくなる。

 伊丹十三は愛媛県の松山市で育ったことから松山に伊丹十三記念館もある。先月、松山入りした僕は久しぶりに記念館にも立ち寄って、あらためて伊丹十三のエッセイを読み直していたので、そう言えば、まさにここに平積みされている「女たちよ!」のなかで言及されている、キューカンバー・サンドウィッチが食べられるカフェが近くにあったじゃないかと思い出した。本好きの友人たちの間ではとても有名なお店なのだが、僕はまだ一度も訪れたことがなかった。「半空」(nakazora)という名のそのカフェは、ここから10分とかからない。本屋を出たその足で向かうことにした。

 ちなみにキューカンバー・サンドウィッチ。つまりは、胡瓜のサンドウィッチなのだが、伊丹十三はこのキューカンバー・サンドウィッチについて、こう書いている。

 胡瓜のサンドウィッチというと、みなさん、胡瓜を薄く切って、マヨネーズをつけてパンにはさむとお考えだろう。違うんだなあ、これが。マヨネーズなんか使うのはイギリス的じゃないんだよ。
 マヨネーズじゃなくて、バターと塩、こうこなくちゃいけない。パンは食パン、このサンドウィッチに限り、パンが美味しい必要は少しもない。イギリスや日本の、あのオートメーションで作られた、味もそっけもない食パンというやつ、あれでよろしい。この食パンをうんと薄く切り、耳は落としてしまう。これにバターを塗りつけ、薄く切った胡瓜を並べ、塩を軽く振って、いま一枚のパンで蓋をする。これを一口で食べやすい大きさに切って出す。

『女たちよ!』伊丹十三(新潮文庫)

 実はこのキューカンバー・サンドウィッチは、僕にとって、ある意味でお袋の味だった。僕は中学高校くらいの育ち盛りのときに、このキューカンバー・サンドウィッチを毎朝のように食べていた。厳密に言うとこの通りではないのだが、まさにうちの母親がつくってくれたキューカンバー・サンドウィッチの大切なところは、マヨネーズではなくて、味付けはバターと塩のみであることだった。大人になってもたまに食べたくなって自分でもつくる藤本家のキューカンバー・サンドウィッチは、食パンそのままではなくトーストするところと、きゅうりの上に安物のハムを乗せるという2点をもって、さらに俗物さが増したものにはなるのだが、ここにマヨネーズなどというものをいれないことに、そのこだわりがあるゆえ、僕は伊丹十三のいう、イギリス式のキューカンバー・サンドウィッチの良さがとてもよくわかる気がしたし、何より、いまの腹の具合にちょうどよい気がした。

 思わず一度通り過ぎてしまった雑居ビルの細い階段を上がると、壁一面に並ぶ本、それと並行してカウンターが奥へと伸びる小さなカフェが現れた。後客を気にして、すでにカウンターに座っている若い女性から一席だけ空けたところに詰めて座り、メニューを拝見する。目当てのキューカンバー・サンドウィッチはすぐに見つかった。しかし、数量限定メニューとして、そこにあったのが、

 伊丹十三の愛したサラダ菜と苺ジャムのサンドウィッチ 500円 だった。

 僕はまったくいまのいままで、キューカンバー・サンドウィッチを求めていた。にもかかわらず、サラダ菜と苺ジャムのサンドウィッチという想定外のメニューを前に狼狽えた。どう考えてもキューカンバー・サンドウィッチは美味い。なにせ僕にとっても思い出の味で、そこにフィットするのは間違いないはずだった。それでも僕はこの、字面だけではおよそ美味しそうに思えないサンドウィッチに惹かれまくっていた。結論僕は冒険した。ホットコーヒーとともに、キューカンバーではなく、サラダ菜と苺ジャムのサンドウィッチを頼んだ。

 しばらく本棚の本を眺め、やけに充実している殿山泰司さんの文庫を手に取って、日に日に薄れていく昭和の空気を、久しぶりにインストールする。ほどなく、サンドウィッチがやってきた。マスターが、サラダ菜と苺ジャムのサンドウィッチについて書かれた、『女たちよ!』(新潮文庫)の「ダッグウッドの悦び」という項を開いて渡してくれた。

 五つか六つの頃、私は一つの食べ物を発明した。すなわちサラダ菜のサンドウィッチである。うちの庭の小さな菜園からサラダ菜の葉っぱをちぎってきて、苺ジャムを塗りたくったパンにはさんで食べる。ただ、それだけのものであるが、このサンドウィッチがいかにうまいか。どう説明しても、みなさん半信半疑という顔でしか聞いてくださらないが、私は子供心にもサラダ菜と苺ジャムという取り合わせは絶妙であると思った。この考えはいまも変らない。

『女たちよ!』伊丹十三(新潮文庫)

 まさに半信半疑だった。しかしもちろん、食べないなどという選択肢はない。食べやすく一口サイズにカットされたそれを、おもむろに口に運んでみる。……うん?

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