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神様との信頼関係は、献金に出るよね

 今日は最後まで無料でお読みいただけます、にしようかなと思ったんですけど、結局途中から石投げられそうなことになっちゃったので、無料部分で充分だと思いますが、興味があればその先もどうぞ。(読み返したら無料部分も相当だったわ)

 聖書には、入ったものの10分の1を献げなさいという教えがあり、それを教会では十一献金と呼んでいます。十一献金をね、しなくていいんだとか、税金を引いた分からでいいんだとか、いろいろなことを言う人がいます。それぞれ自分の思うままにしたら良いと思うのですが、どうして自分の意見を承認してもらいたがるんでしょうね、と思いながら眺めています。結局、後ろめたかったり、自信がないから、他の人にそれで良いと認めてもらいたいんでしょうね。赤信号を一緒に渡ってほしいのかな。信号を守るかどうかだって、自分で決めることじゃないですか。私がもし、赤信号で渡っちゃう人を見ても「急いでるのかな」くらいしか思いません。いちいち「赤信号で渡るなんていーけないんだいけないんだ」とか「献金しないといけないんだ」って裁くのは、愛でもないし、神様に忠実でもありません。裁いてはいけませんとのみことばに従っていないのですから。

 さて、そういう私は、税金が引かれる前の額から10分の1を献金しているんですよ。それでね、先日年末調整で、お金が戻ってきました。戻ってきた金額の10分の1を取り分けようとして、はて。と気づきます。そう。税込で10分の1お捧げしているので、年末調整で戻ったお金の分はすでにお献げ済みなのです。でも、戻ってきたし感謝だから、と、10分の1をお捧げすることにしました。

 そしたら昨日。会社の通帳に記帳をしてもらったら、年末調整とほぼ同額のお金が振り込まれており、匿名で「カンシャケンキン」とされていました。わーお。神様って粋なことをなさいます。そして、お振込みくださったどなたかに主の報いがありますように。

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