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8月5日(金)これからの体育の集団思考場面について考える〜体育の論文より〜#176

みなさん、おはようございます。(こんにちは。)(こんばんは。)

最近は、めがね旦那さん(Twitterのフォロワーさん)がwatcha!で『論文を読むといい!』と言っていたので、少しずつ論文を読むことを始めました。

しかし、ただ読むだけでは、そこで終わりになってしまいがちなので、こちらのnoteでも少しはアウトプットしようと思って、今日の記事を書き始めています。

論文を読むと決めてから考えたのは、やっぱり論文という未知なものに手を伸ばすには、ある程度はそこに既知の要素が必要だということです。

どうせやるならプラスを生み出したいし、そのためには継続が必要で、それを実現するためには全くわからない分野に手を出すのは無謀というか、リタイアの可能性も高まってしまいますからね。

(ただでさえ論文はわからない領域)

というわけで、論文は論文でも、自分の好きな教科である体育の論文、そして小学校体育の論文というふうに縛り?枠?をつけました。

このあたりは、さまざまなことを継続してきて導き出した自分なりのステップになります。

さて、前置きが長くなりましたが、一番目に読んだ論文がこちらです。

論文のタイトルが

体育科授業の今日的課題における「集団思考場面」の意義

になります。

徳永隆治さんの論文です。(2018年)

『集団思考場面』が少しばかり難しそうに聞こえるので、自分なりに簡単にして説明しますね。(詳細が気になる人は論文読んでください)

体育授業における集団思考場面とは、要するに授業の中に設ける、『課題などに対して、その課題をどう解決したらよいか、みんなで考える時間』のことです。

体育の研究授業などで、掲示物などの前にみんなが集合して、先生と子どもたちが技のポイントなどについてやりとりしているイメージをもってもらえれば分かりやすいかな。

さて、この論文の結論をいきなり言っちゃうと、

技能一辺倒にならず、思考力・判断力・表現力を高めるためにも、子どもたちが自己の課題を明確にするためにも、この集団思考場面を学習過程に構成することが大きな意義を持つ

ということです。

要するに、当たり前だけど、ただやらせっぱなしにするのではなくて、体育も単元を通してや、それぞれの1時間の授業の中などで、みんなで課題について考える時間を設けましょうになります。

↑ただ、これは手段です。

ただ、何も考えずに取り入れるだけでは、結局は手段の目的化になってしまいます。

ちゃんと目的をもってこそ、その手段が生きてくるのは言わずもがなでしょう。

目的の例としては、自分の課題を明確にするためや、さらに抽象的にすると、技能を高めるため、思考力・判断力・表現力を高めるため、などがそれに当たります。

だからこそ、その「集団思考場面の進め方」が大切であり、その一つに教師の発問の在り方が課題になります。

さて、ここまで書いてきて思ったのが、ただこの記事で論文の内容を難しく書くならば、そもそも論文を直で読んでもらえればいい話です。

だから、自分の考えも入れながら少し噛み砕いて味付けもしています。

その辺りを理解して、この記事は読んでもらえたらと思います。

この論文でも紹介されてますが、みんなで考える場面では、考える対象や課題を絞ることが大切です。

例えば、跳び箱の台上前転ならば、どんな踏切がよいか?どんな手のつき方がよいか?などです。

こうやって課題を絞って先生や子どもがやりとりをすることで、それぞれの子どもたちの課題が明確になります。

またそこには観察も伴わせることでイメージを湧かせながら、思考を働かせながら、取り組むことができます。

ちなみに、一人一台の端末がある時代ですので、実際の試技だけにこだわらず、動画を提示してそこからやりとりするのもよいかもしれません。

↑ここまでは今までの授業スタイル(技能を高める面の要素が高い)での集団思考場面ですね。

実はこの授業スタイルでの限界も自分は感じています。

(限界と言いつつも大事な面があるのは大前提です)

では、

どこを対象に集団思考場面をもっていくか?


まだ自分自身も解像度を高く持てていないのですが、技能を高めるところではなくて、

表現力を高めるための集団思考場面


などはどうでしょうか?

よく調べてないですが、これをやっている方は確実にいると思います。

(ただ技能を高めるための方が圧倒的に多そう)

ただ跳び箱の技でやるのではなくて、

台上前転の技能を高めるためにではなくて、

『今ある跳び箱の技能を使って、どんな魅せ方ができるか?』


そのようなことを集団思考場面のテーマとして設定します。

美しく魅せる、迫力があるように魅せる、面白おかしく魅せる、統一感があるように魅せる

そのために必要なのは?

場の作り方なのか?

跳ぶ順番なのか?

技のセレクトなのか?

パフォーマンスなのか?


そこが決まったら具体的には何をするか?

跳び箱を二つ並べてシンクロさせる

技を一人ずつ変化させる

着地の際のパフォーマンスポーズを揃える

このようなやりとりをします。

なるべくならば、抽象から具体におろしていけるといいですね。

挙げたのは例でして、実態にもよると思いますが、技能差を超えていける分、ただ技能を高めるための集団思考場面を設定するよりも、自分ごとになる可能性があります。

技能面にこだわることでの体育嫌いが生まれてる事実もやはりあると考えたら、このようなシフトチェンジも一つの手段としてありだと自分は考えます。

楽しめる要素を創り出していくことも必要ですし、楽しめるからこその相乗効果の中に技能向上面もあると思ってます。

(一応、書いておきますが、決して技能向上を否定はしてません。技能向上も大切ですので技能が高まるような感覚づくり・仕掛け、また単元の前半では技能向上を目指した構成を取り入れるような学習過程の工夫も必要です。)

さらにクラス間での共有や、保護者に発表など、さらに何かしらの目的を併せもたせることで、さらに加速させられるかもしれません。

さる先生が言っていた

『授業の行事化』ですね。


はい、話がどんどん逸れた感がありますが、そろそろまとめます。

論文にあるような集団思考場面の意義があるのを分かった上で、『技能だけにとらわれない、これからの体育』にどう生かしていくかを、拙いながらも考えたことが、この記事を書いた自分の大きなプラスになったと思います。

頻繁にはできないと思いますが、今後もこういう記事も書いていけたらなと。

というわけで、今日の記事はここまで!

お読みいただき、ありがとうございます💪

さて、こちらのnoteですが、本日で連続176日更新中です。

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では、今日も一日ご機嫌で✨











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