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ペコ

「不二家のペコちゃんに似てるってよく言われるから」

うつむき加減。照れ笑いしながら、女の子はぼそっとつぶやいた。


「なんでペコってあだ名なの?」
呼び方を決めるべく、普段は周りになんて呼ばれているか尋ねていた僕は、彼女の返事を聞いてすぐに納得した。

ぷくっとした輪郭の頬にパッチリと大きな目。150cmあるかないかくらいの身長に華奢な体型。

たしかに不二家のペコちゃんに似てる。ちょっと笑っちゃうくらい似てる。新しい仲間を、僕たちも「ペコ」と呼ぼう。メンバー全員、満場一致での決定だった。


21歳のとき組んでいたバンドの、もう1人のギタリスト。僕より3つ年下で、高校3年生の女の子。

「ポップス系のバンドはツインギターがいいよね」が当時のバンドミーティングの中心的な話題で、そんな中、ネットのメンバー募集掲示板から声をかけてくれたのがペコだった。

うちは女性ボーカルで紅一点のバンドだったから、コーラスをハモれる女性メンバーは大歓迎。



・・・たぶん。

僕は人より記憶力がよくない。「自分が何歳のときあんな出来事があって〜」とか覚えるのが苦手。

友達と会話していて、「去年行ったあそこのカレー屋うまかったよね」みたいな話題を振って、「いや、それもう3年前な」とか「え?俺、そこのカレー屋行ったことないんだけど」そんな言葉が返ってくるなんて茶飯事だ。


だけど、ペコと出会ったときのことはハッキリと覚えてる。

その日が少し曇った日の昼下がりだったことも。7月前半の湿った空気の匂いも。氷がすっかり溶けるまで居座ってミーティングしたファミレスの、ぬるいメロンソーダの味も。



ペコはギター初心者だった。小さな頃から高校に入る直前まではダンスを熱心にやってたんだけど、ちょっとした事情があってやめちゃったんだって。

「今までの自分を変えたい!」
それで新たに、ギターそしてバンドに挑戦することを決めたらしい。


ダンスをやめた理由・・・ちょっとした事情・・・たとえばレッスンの先生と相性が悪かったとか?

少しだけ気になったけど、細かく訊くのは野暮ってもんだ。まあ、何かしらあったんだろう。

何時間かにおよぶミーティングで、彼女にやる気がすごくある様子はビシバシと伝わっていたし、僕たちはペコを歓迎した。



「やる気がすごくある様子」。答え合わせはその日のうちに起こる。

なにしろ初顔合わせ当日の帰り道に楽器店に寄って、10万円近いギターを衝動買いしたんだから。彼女が最近手に入れたばかりと言ってた1万円の初心者用ギターは、さっそく2軍に降格だ。

高校生の10万円って相当デカイ。アルバイトを1.2ヶ月やって、全額つぎ込んでも足りるかどうか。「この子は大物だわ・・・」気合十分なペコの衝動買いを見て、にやにやしてしまった。


とは言うものの、そこはギター初心者。

バンドメンバーどうしで楽器を持ち寄っての、初の音合わせは散々なもの。

みんなで一斉にユニゾンをするところでペコのギターの音だけ聞こえない。みんなで一斉にブレイクして無音になるタイミングでペコのギターだけが「ギャーン」と響く。


それでもやっぱり若いってすごい!

たった2時間のスタジオでの練習の時間で、不自然な無音や不自然な「ギャーン」が聞こえる頻度はどんどん減っていく。

次の日、次の週、次の月・・・。スタジオに楽器を持ち寄る日を重ねるたびにペコのレベルアップを見られるのが楽しかったのは、僕だけじゃなかっただろう。


「全然間違えなくなったね!」
「さっきの間奏のあのフレーズってアドリブ?すごいよかったな!」
「ていうか家でもそうとう練習してるでしょ!?成長早すぎ…」

そうやってメンバーが口々に褒めると、ペコはきまってうつむき加減になって、えくぼと八重歯を見せながら照れくさそうにニヤッとする。それが彼女の笑い方だった。



それから3ヶ月ほど経った。

「もうそろそろ、クローゼットからコートでも引っ張り出すかな」ってくらいの頃。


ペコから電話が入った。

バンドのリーダーが僕だったからか、何か相談があるときは最初に僕に声がかかることが多い。


あいさつ話を二言三言交えたあと、ペコの声が急に小さくなった。弱々しい調子でなにかを言ってる。

(え。なんだこの重い感じ。もしかしてバンドを脱退するとかそんな話か??)注意深く耳を傾けた。聞き取るのが少し大変だった。


「再発しちゃった」

何回目かで、かすれた小さな声がやっと聞き取れた。
ペコは小児性白血病だった。


白血病って病名は僕にとっておなじみだ。なにしろ6年前に、自分の父親が同じ病気で亡くなっているんだから。

よくある映画の設定みたいだけれど、こういうことを告げられるシチュエーションを実際に体験するのは、やっぱり慣れるもんじゃない。



白血病と診断されたのは、彼女が中学生のとき。

入院治療が必要だったし「激しい運動は控えるように」と病院の先生から言われたのもあって、それで小さな頃から大好きで熱心に取り組んでたダンスはやめちゃったってことだった。

入退院を繰り返しながら病気と戦った甲斐あって治療は成功。体調も良くなってきた。少し遅れを取っちゃったけどまだ間に合う。ギターを抱いて青春を取り戻そう!そう思ってた。

それが、2年も経たないうちに再発。


「ごめんね。最初に会ったときに、ちゃんと言っておけばよかったよね」

「バンドだったらかっこいいし、ダンスほど体も動かさないから疲れないし、いいと思ってたんだけどなぁ…」電話口の向こう、ペコの声が震えていた。


「・・・どうして私なんだろう?」

独り言みたいに繰り返されるその言葉に、僕がなんて答えたかはちゃんと覚えていない。

僕がなにかを言うたびに、ペコは「ありがとう」って返してくれた。だけど、たぶん気休めにもならないような言葉しかかけられてないだろう。
通話をしている間、ずっと心臓がぎゅっとしてる感覚が収まらなかったことは覚えてるから。



次の日、僕の携帯にペコからメールが届いた。

「きのうはごめんね。”どうして私なんだろう?”って考えるのはもうやめたよ。絶対にこの病気は治して戻るから、待っててもらえると嬉しいな」そんなことが書いてあった。


18歳。青春真っ盛り。

みんな部活や趣味や恋愛にと一生懸命な時期だ。そんな中で、全く望んでいないかたちでの一生懸命を強いられる。

僕だったら、あのときのペコみたいなメールが書けただろうか?ううん。無理だな。きっと。


・・・


それから1年以上が経った。バンド活動も順調だった頃。ペコからメールが届いた。

「治りました!来週、退院できそうです」


久しぶりの、ペコを交えてのバンドミーティング。

ミーティング場所は千葉の中でも比較的有名な、大きい海岸にした。季節は秋。少し肌寒くなってきたけど海風が心地よい。


久しぶりに会ったペコは、華奢な体がいっそう細くなっていた。だけど顔色は思ってたよりはずっといいしツヤツヤしてる。安心した。

19歳になったペコは、まだ高校3年生のままだった。入院生活が長引いたせいで単位が足りずに留年してしまったと。まあ、たかだか1年。すぐ巻き返せるだろう。


印象的だったのは、言葉のイントネーションが訛ってたこと。聞けば、ペコはもともと九州に住んでいたらしい。ご両親も九州出身。そういえば、彼女の出身地を初めて聞いた。

入院中、ペコのご両親とお姉さんは、彼女につきっきりでいてくれた。つきっきりでいてくれた分、もともとの言葉のイントネーションに「戻っちゃった」と笑った。えくぼを八重歯を見せながら、やっぱりうつむき加減に。


僕たちは長い間ミーティングをした。波音をBGMに何時間も話してた。まじめな話から他愛もない話まで。

ライブ活動のこと。レコーディングしたいってこと。軽いノリでバイト先の店長に訊いたら、レジの前にCDを置いていいと許可をもらったとか何とかかんとか。

ペコの入院中のおもしろエピソードなんかもたくさん聞いた。


もちろん、僕もメンバーもバンドに「本気」だったから、今となっては、初心者だったペコをすぐに正式メンバーに迎えることは難しい。

だけど、スタジオには一緒に入って練習しよう、レコーディングにもできる範囲で参加してもらおう。そんな話で和気あいあいだった。



日没の頃。夕陽がすごくきれい。

そのとき、まだ画素の荒い時代の携帯電話で撮った夕陽の写真は、今でも僕のスマホのお気に入りフォルダに入ってる。

夕陽を見てる間、誰もなにも喋らなかった。みんな夕陽に見とれてた。
そんな中、最初に口を開いたのは「やっと、超ベタな青春らしいことできた」と笑うペコだった。


「これから楽しみだね!」メンバーの誰かが言った。みんながうなずいた。こんなワンシーンもなんか青春らしくていいなー、なんて。



それがペコと直接会って話をした最後の日になった。


再発と合併症。お別れはあまりにもあっけなかった。あっという間だった。映画のような劇的な展開はない。ただ、1つの命が精一杯燃えて、これでもかというくらい一生懸命に燃えて、ふっと尽きた。

ペコの少しズレた「ギャーン」を聴くことは、もうできない。

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生きていれば色んなことがある。

ときには逃げ出したくなったり辛くて仕方のないことだって、沢山ある。日ごろあっけらかんと生きている僕でさえ「死んでやろうかしら」と思ったことの1回や2回くらい。



ゆずの「命果てるまで」って曲の歌詞に

「生きられるのに死んだ人がいる」
「死にたくないのに死んだ人がいる」
「生きているのに死んでる人がいる」

なんてフレーズがある。


この歌詞の内容についての是非や解釈には興味がない。

たとえば人生に絶望しきっている人に向かって「世の中には生きたいのに生きられない人もいるのに」なんてことを偉そうに言うとか、
そんなつもりはない。さらさらない。そんなもん言われなくても本人がいちばん分かってる。



ただ、こうやって「命果てるまで」の歌詞の一文をリストアップしてみると。。


「死にたくないのに死んだ人がいる」

・・・うん。
僕にはどうしようもない場合がほとんどだ、これは。どうしようもなくて、悔しい想いを今まで何度もしてきた。


だけど。

「生きられるのに死んだ人がいる」
「生きているのに死んでる人がいる」

彼ら彼女らのことなら、引き受けることができる部分も少しはあるよなー、なんて思ったりする。


◼️会社に通うのが辛くてノイローゼに←会社から給料をもらう以外にお金を稼ぐ手段があるなら、少なくとも今の会社には通わずに済むようになるだろう。

◼️暴力を振るう夫から逃げて子供と2人だけで生きたい←旦那に養われずに、ひとり十分なお金を稼ぐ手段を持っているなら、今すぐに逃げ出すことができるだろう。

こういうことだったら、ちょっとしたお金儲け系のことなら、お手伝いできる。


今までもそうやって誰かの命を吹き返すために活動してきたつもりだし、これからもそうしていくつもり。
そして、僕のこういう活動をしたいと思った動機の1つに、ペコとの出会いや別れがあったことは間違いない。



ペコがいなくなってから少しして、不思議なことがあった。

バイト中、お店の中で窓の掃除をしていたときのこと。肩をポンと叩かれた。振り返ると誰もいない。

その日は雨がざんざん降りだったんだけど、肩を叩かれて振り返って視線を前に戻したとき、窓の向こうに一筋、陽が差してる。
気がついたときには、何が原因なのか分からない涙が出てる。そのときの感情とは何の関係もなく。止まることなく。


僕はたぶん友達や知り合いが多い方だ。出会う回数が増えるなら、「お別れ」の回数も増える。

「肩を叩かれて振り返ると誰もいない+目の前に陽が差す+原因不明の涙がノンストップで溢れてくる」このコンボが起こるのは、きまって「お別れのとき」だ。

それが偶然の出来事が重なってるだけなのか、何かの意味があっての出来事なのかの真実はどうでもいい。ただ、涙がノンストップで溢れた直後に思い出したのはペコの顔だった。


気がつけば「がんばったね。お別れを言いに来てくれてありがとう。またね」って、心の中でつぶやいてた。



14歳の頃から成人前まで、自分を越えよう、自分を守ろうと、ひたすらに戦い続けた小さな女の子がいたことを僕は忘れない。たぶん当時のバンドのメンバーも一生忘れないだろう。

「ペコの分まで生きる」なんておこがましいことは言わない。あの子の命もあの子の人生も、あの子のために預けられていたものなんだから。


僕は、僕のために預けられた心や体で「ちゃんと」生きていく。

「生きられるのに死んだ人がいる」
「生きているのに死んでる人がいる」

ちゃんと生きて、それを、だったらせめて、減らせたらいいなと思ってる。
誰かのポケットに詰まったレンガを、ひとつでも落とすお手伝いができたらいいなと思ってる。



嫌なこと、腹の立つこと、悲しいことがあったとき。ふと何かについて思い出した瞬間。今まさにこれを書いている間もそう。

生きるためのパワーをくれる人が、僕にはいる。見えないところから、遠いような近いような場所から、たしかに、たっぷりと。

そうやってパワーを注いでくれる人たちの内のひとりが、君です。



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夏の思い出

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