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インボックスとアイデア / Webで稼ぐ2 / セルフ・スタディーズからはじめる3

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2022/11/28 第633号

はじめに

ポッドキャスト、配信されております。

◇BC051『自己啓発の罠:AIに心を支配されないために』 | by goryugo and 倉下忠憲@rashita2

今回は倉下のターンで、『自己啓発の罠』という本を紹介しました。怪しい自己啓発セミナーの話ではなく、むしろ「健全」な自己啓発が持つ危うさについて論じた本です。たいへん面白い本ですのでぜひどうぞ。

〜〜〜静かな場所の価値〜〜〜

Twitterが(いろいろな意味で)騒がしくなっているので、マストドンを再び使いはじめました。

タイムラインにプロモーションが流れてこないのはなかなか快適です。あと、単純にフォローしている人の数が少ないので投稿数も少ないという意味での静かさもあります。でもって、たまにアクセスしようとしてもつながりません。代わりに象さんの画像が表示されます。

そういえば、昔のTwitterはこうだったよな、と懐かしくなりました。

昔のTwitterから今のTwitterへの変化は、時間をかけて少しずつ進んできたので、渦中にいた私としてはそれをうまく感じとることができません。感覚としては、「今のTwitter」が過去に向かってまっすぐ伸びている(≒ずっとこういう状態だった)感触があります。しかし、人間の感覚はあてにならないもので、今と昔はやっぱり違っているのです。

Scrapboxを使っていると「余計なものがついていない心地よさ」を感じますし、WorkFlowyも以前はそうでした(最近は怪しくなりつたります)。

こういう「欠落による価値」は相対化する対象が存在しないとなかなか気がつけないのでしょう。

とりあえず、不安定さや機能が不十分なところがあることも含めて、小さな町の喫茶店のようにマストドンをしばらく楽しんでみようと思います。

〜〜〜ダークモード〜〜〜

新しい場所=ツール話でもう一つ。

倉下は今までWorkFlowyを白地で使っていました。Macはダークモードですし、VS Codeも黒地の背景色ですが、唯一WorkFlowyだけは白地だったのです。

一応理屈はつけられます。その他がダークモードであるからこそ、違う気分になるためにWorkFlowyだけは白地でいくのだ、と。

しかしたまたま機会があって、ダークモードに変えてみたところ「いいじゃん」という素直な感想を抱きました。フォントカラーと背景色が逆転しただけ(だけではないですが)なのに印象がぐっと締まった感じがしたのです。

もう少し具体的に言えば、集中して考えごとをしたいときにはこの配色の方がいいだろう、という予感がしました。

そもそもとして私たちの日常において「黒地に白文字」というのはあまり目にしません。リアルの紙ならば白地に黒文字が大半でしょう。

その意味でダークモードそのものが「普段とは違うモードに入る」ための契機なのだと言えます。テキストエディタを黒地で使っているのもそのためでしょう。

その理解でいけば、WorkFlowyを白地で使うと「日常的な感覚を喚起する」ことになってしまい、意図とは逆の働きをしてしまうことになります。で、実際そういうことが起きていたのでしょう。

明らかにダークモードにしたことで、「考える」作業がやりやすくなっています。新奇だからというのとは違う、より知覚的に深い変化を感じるのです。

というわけで、こういう細かい設定もたまにいろいろ変えて新しいものを試してみるのが大切だなと痛感しました。

〜〜〜身近なハック〜〜〜

ショッピングモールを歩いていたら、並べてある椅子に座ってタブレットを見つめている方がいらっしゃいました。60代くらいの男性です。

ガジェット好きの私はつい端末は何かなと視点をフォーカスしてしまうわけですが、よく見るとAndroid系ではなくてKindle系の何かでした。で、電子書籍を熱心に読んでおられる模様です。

面白かったのはその端末についていたカバーケースでした。本体に蓋ができるタイプのカバーなのですが、その見返しに何か紙が貼りつけてあるのです。細かい文字まではよく見えませんが、構図的にリストであり、どうやら「登場人物リスト」であるようでした。

ようするに今読んでいる本の登場人物リストを自作して、それをぺたっと貼りつけてあるのでしょう。

こういうのを見返ると「Nice Hack!」と声をかけたくなります(もちろん、実際はかけません)。

e-linkのKindle端末は他のノートアプリなどが使えないので、情報を保存したければ自前でなんとかするしかありません。もちろん、電子書籍なのでリンクが使えるのですが、どう考えても本文とリンク先の「行ったり来たり」は面倒です。

そういうときに、スマートフォンのノートアプリで登場人物リストを作れば「整合性」があります。片方に電子書籍、もう片方にデジタルノート。完璧に調和しています。

しかし、それは使いやすいとは言えないでしょう。二つの端末を並べて使うのは(しかも机がない椅子に座った状態で)便利とは言えません。

一方で、カバーに自作のリストを貼りつけるのは、いかにもダサい感じがします。ある種の「Smartさ」を棄損した感じすらあります。しかし、使いやすいのは圧倒的にこちらでしょう。少なくとも「読書体験」にだけ絞れば、ごくナチュラルに本を読みながら別途情報を参照できる形になっています。

こういう継ぎはぎ的な、つまり「ブリコラージュ」なものがライフハックの神髄だなと常々思います。そのためにデザインされたツールを複数使うことだけがライフハックなのではありません。

個人的にはそう思いますが、皆様はいかがでしょうか。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので頭のストレッチ代わりにでも考えてみてください。

Q. 何か"ダサい"ライフハックはお持ちでしょうか。

では、メルマガ本編をスタートしましょう。今週は「インボックス」についての続きと、二つのエッセイをお送りします。

インボックスとアイデア

前回は、通常のインボックス方式(ピュア・インボックス)と日ごとにインボックスを作るデイリーインボックス方式について検討しました。

その上で、インボックスを定期的に空っぽにする運用「インボックス・ゼロ」とアイデアの相性が良くない、という点に触れました。

今回はその話を掘り下げます。

■アイデアはすぐに処理できない

私がEvernoteでピュア・インボックス方式を運用していたとき、常なる課題は「アイデア」の処理でした。

Evernoteは「なんでも入れる箱」であり、Webクリップやら思いついたことやら、他のツールで作ったノートやら一日分のTwitterのつぶやきやらがそこに送られてきます。

一日に最低一度、その箱をチェックし、上から順次に「処理」していく。これはたいへん快適なスタイルです。いかにもライフハックしているという感じがします。当然、インボックスは空っぽになりました。

タスクはプロジェクト用のノートブックに、Webクリップはスクラップブック用のノートブックに、Twitterのぶつやきはライフログ用のノートブックに、そしてアイデアはアイデアノートブックに。

ドラッグ移動するだけで他のノートブックに移動できるEvernoteはこうした処理に最適です。実にすいすい進みます。

たいていのことはこのやり方で問題はありませんでした。唯一アイデアノートブックを除いては。

■保存されただけ

アイデアノートブックに生じていた問題は、そこに保存したものがまったく使われない、という点でした。

見返すこともしませんし、検索することもありません。ただinboxから移動してくるだけの場所。そんなアンタッチャブル・ノートブックになっていたのです。

かつてのEvernoteは検索が非常に遅かったので、全体で検索することは稀でしたし、Webクリップを探しているのによくわからないアイデアメモが大量に紛れ込むのも非効率です。よって、Webクリップを探すときはそのノートブックを、スキャンした名刺を探すときはそのノートブックを、という感じで検索の範囲をノートブックで絞り込むのがごく普通の運用でした。

むしろ、そうした検索範囲の限定がノートブックの一番の役割だったと言えるかもしれません。

しかし、そうした運用をしている限り、「アイデアノートブック」は常にアンタッチャブルになります。その箱を検索しようという動機づけがまったく存在しないからです。

■アイデアの位置づけ

そうなってしまうのは、私の中の「アイデア」位置づけが原因です。

何かしら思いついたことがあったとして、それが特定の媒体(ブログや連載)で使えることが自明であれば、それは「ネタ」として扱われ、保存先もアイデアノートブックではなく「ネタ帳」となります。

このネタ帳は検索されることもありますし、見返されることもあります。その媒体で何かを書こうとしたときに、「なんかあったかな〜」と思う瞬間が──毎回ではないにせよ──発生するからです。ここには箱を開く行為への動線が確立されています。

一方で、私が思いついたことの全体から「自分の中で用途が明瞭なもの」が濾し取られた結果として残った「アイデア」は、そうした動線がまったく確立されていません。言い換えれば、その時点で何にどう使えばいいのかわからないのが「アイデア」として扱われ、それが集まる場所が「アイデアノートブック」なのです。

よって、一度でもそこに送られればそのアイデアは日の目を見ることはありません。まるでアルカトラズ島のようです。

■滞留型インボックス

「アイデアというのは、見返してナンボやぞ」

と思い立った私は、上記の問題を改善しようとしました。そこで出てきたのが「滞留型インボックス」という概念です。

これは「インボックスゼロ」のゼロの部分に別の数値を代入するやり方で、たとえば「ノートブックの中身は処理する。ただしアイデアは20個まで貯めておいてもよい」というルールを設定するわけです。

これは当初すごくうまくいきました。タスクや資料などのノートは華麗に処理しつつ、アイデアを貯めておいて見返す作業が生まれます。インボックスは処理するときに必ず目を通すので、アイデアを見返す用途としては実に最適なのです。

しかしその快適さも、インボックスに貯めていたアイデアが20付近に至るまでの短い期間だけでした。

アイデアが20を超えはじめると、「何を残して、何をアイデアノートブックに移動させるか」という判断が必要となります。そして、一度でもアイデアノートブックに移動させてしまったものは、アルカトラズ島行きなのです。

こうなるとそうとうシビアな判断が迫られます。何を残して、何を移動させるのか。まるでトロッコ問題のようです。

もちろん、「有用度の高いものは残しておき、そうでないものは移動させればいい」という功利主義的な判断はありうるでしょう。しかし、問題は対象が「アイデア」だということです。

アイデアの特徴は「その時点で何にどう使えばいいのかわからない」ものでした。だから、どのアイデアの有用性が高いのかも判断はできません。

たとえばこれが三ヶ月くらい置いておいて、ある程度時間が経っているならばもう少し判断の目処はついているかもしれません。しかし、日々生まれるアイデアは、20個の上限にあっという間に達します。正直一週間もかからないでしょう。

そんな短い時間では何の判断材料も得られていません。どれもが大切そうに思えるし、どれもがそう大切でなさそうに思えます。そうした状態で何かを決定するのは非常な困難を伴うのです。

■アイデアを「処理」する難しさ

インボックス(およびインボックス・ゼロ)においては、個々の情報を性質や用途に合わせて、適切な場所に割り振ることが必要です。それがいわゆる「処理」と呼ばれる行為です。

しかし、私が定義しているアイデアは「その時点で何にどう使えばいいのかわからない」であり、まっすぐな意味合いにおいて「処理」はできないのです。

プログラミング的に言えば、各種アイデアの性質は「0」ではなく「Undefine」や「Null」に近いもので、それを関数に放り込んだら当然エラーが返ってきます。

もちろん、「その時点で何にどう使えばいいのかわからない」ことをあまり思いつかない人、あるいは思いついたとしてもそれを利用しようとしない人であれば、上記のような問題はまったく生じません。しかし、私が書き留めるメモの大部分は、そうした性質の情報であり、文章の書き手としてはこれらを無下に扱うことはたいへんにはばかれます。

だからこそ別の扱い方が必要になるのです。

■処理しない処置

デイリーインボックス方式であれば、この「アイデア処理不能問題」にうまく対処できます。簡単に言えば、アイデアは「処理」せずにそのまま置いておけばいいのです。

11月21日のインボックスにいろいろ書きつける。処理が必要なものは処理する。処理が必要だけども処理できなかったものは、明日のインボックスに「送る」ようにする。どう処理していいかわからないものは、そのまま置いておく。

仮にそのような中途半端な「処理」を行ったとしても、明日になればまっさらなインボックスができあがります。そしてそのインボックスを中途半端に「処理」していけばいいのです。

ポイントは、今日から明日への(あるいは昨日から今日への)引き継ぎです。

終了した一日のインボックスがあるとして、次の日のインボックスは、前日のインボックスを見ながら生成されます。前日実行できなかったものは、その日に持ち越されるわけですが、これはタスクの移動であると共に、新規タスクの生成でもあります。新しい判断おいて、「やるべきこと」が生成されているのです。

つまり、前日のインボックスを参照しながら、当日のインボックスを生成しているそのタイミングで「処理」が行われているのです。そして、移動するものは移動する、残しておくものはそのままにするという判断が行われて、結果的に(あるいは半ば強制的に)その日のインボックスは「ゼロ」になります。もうこれ以上「処理」は必要ないものとしてがさっと動かされるのです。

だからこそ、当日のインボックスはまっさらな状態から生まれるのです。前日の(前日までの)インボックスがすべて「ゼロ」処理されたからです。

■自動の危うさ

上記の点を考えれば、デイリーインボックス方式のツールにおいて、「昨日のやり残しが、自動的に当日のインボックスに移される」という機能がいかに危ないかがわかります。

その機能があると、何一つ「判断」しなくても当日のインボックスに項目が生成されることになり、結局それは形を分割させたピュア・インボックス方式と代わりありません。

逆に、通常のノートブック装置のようなものであっても、「昨日以前に入れたものは特殊な操作をしない限りは表示されない」のような機能があればデイリーインボックス方式と同様のメリットを享受できるでしょう。

この辺がデジタルツールの面白いところです。

■アイデアを邪魔者にしない

今回は、ピュアインボックス方式における「インボックス・ゼロ」とアイデアの相性の悪さについて検討してみました。判断が必要なのに、判断できない性質を持っているアイデアは、インボックスシステムにおける「邪魔者」になりかねません。

それを回避するのが、デイリーインボックス方式における「処理しない」という判断を通して、そのまま残しておくことです。

とは言え、これであればアイデアノートブックに移動したのとそんなに変わりないのではないかと思われるかもしれません。

その点については、次回検討しましょう。

(次回は手書きのミニノートについての考察)

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