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混沌からはじめる / ブックマークレットの作り方その3 / 商品構成からタスクを考える

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2022/08/08 第617号

「はじめに」

ポッドキャスト、配信されております。

◇BC043『進化を超える進化 サピエンスに人類を超越させた4つの秘密』 - by goryugo - ブックカタリスト

今回はごりゅごさんが『進化を超える進化』を紹介してくださりました。若干煽りぎみのタイトルですが「火・言語・美・時間」という要素が、人間を他の生物とは違うものにした、という話はなかなか魅力的です。

特に「美」という観点は、倉下には盲点でした。この点はもう少し自分でも掘り下げてみたいと思います。

〜〜〜7月の読書結果〜〜〜

先月(2022年7月)は「リバイブ月間」でした。「買ってある本を読む」(Read the book you bought)月間です。

で、その結果はというと、購入した本(SF・ライトノベルを除く)が

・『超没入: メールやチャットに邪魔されない、働き方の正解』
・『人を賢くする道具 ――インタフェース・デザインの認知科学 (ちくま学芸文庫)』
・『私たちはどう学んでいるのか: 創発から見る認知の変化 (ちくまプリマー新書 403)』
・『意識と自己 (講談社学術文庫)』
・『物語のカギ: 「読む」が10倍楽しくなる38のヒント』
・『現れる存在: 脳と身体と世界の再統合 (ハヤカワ文庫NF)』

で、読了した本が

・『依存症と回復、そして資本主義 暴走する社会で〈希望のステップ〉を踏み続ける (光文社新書 1201)』
・『子どもは40000回質問する (光文社未来ライブラリー Mレ 1-1)』
・『「加速思考」症候群 心をバグらせる現代病 (ハーパーコリンズ・ノンフィクション, NF79)』
・『思考の庭のつくりかた はじめての人文学ガイド (星海社新書)』
・『ルネサンス 情報革命の時代 (ちくま新書)』
・『THINK AGAIN 発想を変える、思い込みを手放す (単行本)』
・『「顧客消滅」時代のマーケティング ファンから始まる「売れるしくみ」の作り方』
・『私たちはどう学んでいるのか: 創発から見る認知の変化 (ちくまプリマー新書 403)』
・『人類の起源-古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」 (中公新書, 2683)』
・ 『日本アニメ史-手塚治虫、宮崎駿、庵野秀明、新海誠らの100年 (中公新書 2694)』
・『物語のカギ: 「読む」が10倍楽しくなる38のヒント』

です。購入本6冊に対して、読了本が11冊。なんと収支がプラスです!(積ん読本を減らす方向をプラスとしています)。やればできるものです。

新しく本を買うことを押さえて、読むことに注力すれば積ん読本が減らせていけることが(あるいはその可能性が)示されました。素晴らしことです。

ただし、この方式だと少しばかり「消化試合」気味になるのが難点です。すべての本はもちろん読みたいから買ったわけですが、今の私の「読みたい」と買ったときの「読みたい」が完璧に一致しているわけではなく、他に読みたい本があるのにな……みたいな感じが若干湧いてきます。

あと、たくさん読んだからといって、それに比例して読書メモなどもたくさん生まれているわけでもなく、単に「読み終えた本が増えた」という状態だと言えるかもしれません。KPIなど、特定の指標を目標にしてカイゼンをしていくと、こういうところにトラップが潜んでいますね。

というわけで、8月は「やや新しい本を買うことを許容する」くらいの気持ちでいってみたいと思います。これまでの経験からいって、そういう曖昧なルールはすぐに破綻するとは思いますが。

〜〜〜気になる駆動〜〜〜

少し前から思いついていたツールの案があって、実装自体はちょっと手間がかかりそうなので、ガワだけを作ってみようと思いました。プログラミング的な要素は抜きにして、見た目だけを構築するいわゆるモックアップです。

で、そのモックアップを作って「うむうむ、なかなか良さそうだ」と思っていたら、ついつい手が動いて、気がついたらプログラミングも行い、機能を実装していました。

https://i.gyazo.com/9e947e6f8472dd4eda43e15fefde6859.gif

不思議なものですが、こういうことって結構あります。モックアップを触っているうちに気になってきて、つい実装してしまうのです。

これはモックアップに限りません。少し大きい機能を持ったツールでも、まず必要最低限だけ動く部分だけを作っておくと、それを触っているうちに、あれもこれもと機能を追加実装したくなるのです。

この力学はライフハック的に活かせそうではありませんか。

たとえば、作業全体の5%だけ進めるとしても、すべての作業を5%ずつ進めるのではなく、目に見えるもの・手で動かせるものをまず作ってしまう、というやり方をすれば、その「もの」が私に刺激を与えて、次なる作業のモチベーションを担保してくれる、といった考え方を採用するのです。

だとすれば。

だとすれば、執筆における「モックアップ」とは何になるのでしょうか。アウトライン? 第一章のPDF? それとも……

謎は深まるばかりです。

〜〜〜読了本〜〜〜

以下の本を読了しました。

『日本アニメ史-手塚治虫、宮崎駿、庵野秀明、新海誠らの100年』(津堅信之)

まずサブタイトルの「100年」に驚かされます。日本のアニメも100年の歴史があるのだ、と。

実際100年前と言えば、1922年であり大正11年です。で、この大正時代(大正6年)に日本初のアニメーションが公開されているのですから、たしかに100年の歴史があるわけです。その時間の積み重ねは、普段アニメを観ている分には意識されないので、より意外に感じられます。

本書では、さまざまな技術やクリエーター、制作会社や様式などが、歴史的にどのような変化を辿っていたのかが示されており、「日本アニメ史」のタイトルにふさわしい内容になっています。

個人的に面白かったのは、ルパンや宇宙戦艦ヤマトなど、現在では「人気作品」とされているような作品でも、テレビ放送当時はそこまで注目を集めず途中で打ち切りになっていた、という話です。

しかし、再放送が行われて、そこから徐々に評価が高まっていき、今の人気に至る、という流れがあるようで、これは昨今の「スピーディーな評価」が完全に見落としてしまっている事態ではあるでしょう。

結局のところ、そうした作品たちは「新しすぎた」のだと考えられます。視聴者側の評価の準備がまだできていなかったが、それが時間と共に変わっていったのだ、と。

だとしたら、現代のクリエーターはどのようなものを作り、どのようなスタイルで発表していけばいいのか。難しい課題が本書からは読み取れそうです。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のストレッチ代わりにでも考えてみてください。

Q. 執筆における「モックアップ」にあたるものはなんでしょうか?

では、メルマガ本編をスタートしましょう。今週はScrapbox知的生産術の15と二つのエッセイをお送りします。

「混沌からはじめる」

[Scrapbox知的生産術15]

これまで、Scrapboxを用いたデジタルカードシステム(DCS)について見てきた。自分の着想を一つのカードに書く。そして、関連性でつなげておく。そういうことをただ繰り返していく。そうした知的生産活動である。

これは一体何をしているのだろうか。今回は、それを検討してみたい。

■整頓しない整理

まず、見てきたようにDCSではカードを「整理」しない。もう少し言えば、既存の情報ツールのような整理の仕方をしない。

ここで「整理」という言葉の意味を考えてみよう。漢字をそのまま解釈すれば「理(ことわり)によって整えること」だ。梅棹忠夫はこの点に注目して、整理と整頓を切り分けた。

整頓とは、単に見た目を整えただけであって、それによって情報が見つけやすくなるとは限らない。一方で、整理とはそこに「理(ことわり)」があるので、それを辿ることで情報を見つけやすくなる。

たとえば、「現代日本のSF作家が書いた本」というグルーピングで本棚を作っておけば、たとえそこに並んでいる本の出版社や判型がバラバラでも、本を探すときには便利だろう。

ある作家の本を探したくなる→その作家は(自分の中では)現代日本のSF作家である→あのスペースに置いてあるはず

という推論(理路)が成り立つからだ。

物理的な物の整理の場合は、上記のようなグルーピングを「場所」に対応させることになり、物理的な場所は「一意」に定まるので(≒ある場所は、その場所であって他の場所でない)、ツリー構造のような整理がしやすい。これまでの私たちの整理・整頓がツリー型(あるいはディレクトリ型)で行われてきたのもその影響が強いだろう。

しかし、デジタルであればそのような物理的な「場所」を想定する必要はない。場所を作ってもいいが、一つの物が複数の場所に所属する、という多重の概念が許容される。あるいは単にネットワーク型に情報を配置することもできる。

なんであれ、上記で示したような情報を探すための「理路」が担保されていれば、それでいいのである。目的の情報を見つけるための鍵があり、その鍵にたどり着くためのヒントが整備されていれば、そこは「整理」が為されていると言える。

しかし、そうした「整理」があったとしても、多重の場所やネットワーク構造では、見た目はぜんぜん「整理」されていない。言い換えれば、「整頓」されているとは言い難い。

この点が、Scrapboxを使うときの違和感として立ち上がってくる。どれだけ使い込んでも、情報全体にきれいな構造が生まれるわけではないし、そのきれいな構造下にすべての情報が適切に配置されるわけではない。まったく整頓されないままの状態が続いていく。いわば、混沌がそこに残り続ける。それがDCSである。

■混沌を増やす

では、混沌がそこに残り続けることに、どんな意味があるのだろうか。この点は、PoICという情報カードシステムの知見を参照してみよう。

◇PoIC を通じて見えたこと | PoIC

PoICでは、ドックというカードボックスにカードを溜めていき、それが一定量溜まってから「タスクフォース」というカード群を編成し、それを用いてアウトプットを作成する、という手順を取る。

ここでのポイントは、「まずカードを集める」という点だ。

PoICにおけるドックは、作成日順にカードを並べる。その順番は更新されることがないし、カテゴリ分けされることもない。ただ作成された順番に差し込まれていく。

メモを取ったことがある人ならばわかるが、そんなことをしてしまうと、その中身はまったく混沌と化してしまう。今日の献立の次に、進めている原稿の構想が並び、その次に自分の体重の記録が並んだりする。まったく「整頓」されていない。

しかし、それが大切なのだとPoICでは考える。

先に整頓して小奇麗にまとめてしまうのではなく、まず箱の中に順番に並べることによって(その箱の中の)情報的エントロピーを増加させていく。それが一定量まで増えた後に整理を行って、エントロピーを減少させる。

この手順から分かることは、エントロピーが増えないと行えない「生産」がある、ということだ。

たとえばパターンについて考えてみよう。情報を一つひとつ処理していくと、情報が二〜三個集まってできるパターンは見つけられなくなる。そうしたパターンを見つけるためには、「箱」の中に十から二十の情報を置いておく必要があるだろう。

また、よく言われるように、細かくカテゴリ分けしてしまうと、カテゴリを越境する情報が見失われてしまう弊害もある。そうした弊害を乗り越えるためには、カテゴリ分けしない=エントロピーの増大を受け入れる必要がある。

つまり、大きな創造に至るためには、一定の混沌を引き受ける必要があるのだ。

■創造は混沌からはじまる

Scrapboxでは、上位構造による分類型整理ができない。よって、そこにある情報は常に、PoICのドックに並ぶカードのように混沌さをはらんでいる。

それは「整理整頓好き」にとっては、堪え難い状態だろう。しかし、創造を引き出すためにはうってつけの状態なのである。

「創造は混沌からはじまる」

このテーゼを引き受けると、自分の着想をちまちまと整理する必要がないことが見えてくる。すべての着想をカテゴリ分けしたり、きれいなツリー構造に置かなくてもよいことがわかる。

そのような状態になっていない、つまり混沌状態だからこそ価値があるのである。

これまで考えられていた「情報を利用するためには整理しなければならない」という視座をひっくり返し、「着想を利用するためには整理しない方がいい」という視座を持つわけだ。ある種のコペルニクス的転回がここにはある。

■混沌との付きあい方

PoICではドックにカードがいっぱいになるたびに、タスクフォースが形成され、再生産が行われる。それによってエントロピーが減少し、またドックの中のカードも減少する。新しいカードを受け入れる余地が生まれるわけだ。

では、DCSでも同じようにすべきだろうか。

ここは難しい問題をはらんでいると思う。少なくとも簡単に答えが出せるものではない。

たとえば、DCSでもPoICと同じように何かしらのアウトプットに使用したものは、「箱」から取り除く運用が考えられる。これはこれで理にかなったやり方のように思える。

一方で、そうやって使用した後でもそのまま「箱」に残しておく運用も考えられる。特にデジタルツールでは「箱の大きさ」といったものは考えなくてよいので、数千、数万のカードをそのまま置いておくことができる。

このどちらがよいだろうか。

個人的な印象では、「そのまま置いておく」スタイルが良いような気がしている。なぜなら、豆論文的に書かれたカードは、どこかのアウトプットで使われても、その役割はまだ保持されているからだ。

思い出そう。そもそもこれらのカードは「何かのアウトプットのため」に書かれたものではないかった。それは一つの着想であって、それ自身が独立して意味を保持できる存在であった。

そして、その着想は、他の着想とリンク(つながり)を持っているのであった。ポイントはその「つながり」である。

あるアウトプットにおいて、一つのつながりは使われたかもしれないが、別のつながりは使われていないかもしれない。だとしたら、まだ有用性があると考えられるだろう。

それ以上に、明日以降の私がそのカードについて新しいつながりを思いつくかもしれない。カードを消去してしまえば、そのつながりの根が断たれてしまう。それはDCSの運用としては物足りないだろう。

■混沌を育てる、という感覚

再度確認するが、DCSは「素材」を保存しておくための装置ではない。過去の自分と対話するための装置である。だとすれば、過去の自分の「発言」を簡単に消去するのは控えたほうがよいだろう。

よって、DCSでは基本的にエントロピーは増え続けていく。そもそも、それを減少させるための装置ではないのだ。むしろ混沌を育てていくための装置、もっと言えば、混沌を混沌のまま育てていくための装置なのである。

その意味で、私たちが従来抱く「情報整理」のイメージからはまったく遠い存在だと言えるだろう。

一方で、混沌とは言えども、情報のつながりが追いかけられるので、目的の情報を見つけ出すことはたやすい。整理整頓されていなくても、情報を利用することはできる。

こんな風にScrapboxは、混沌かつ整理という不思議な状況が両立している。そしてだからこそ、私たちの「考え」を育てていくのに向いているのである。

(つづく)

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