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まとまったものを書くためのアプローチ / UpNoteの何が嬉しいか / 本を買いに遠い町まで

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2024/01/29 第694号


はじめに

少し前に、このメルマガでも紹介した「トランジッション・ノート術」noteで紹介した記事が、1000を越えるファボをいただきました。

◇飽きっぽい人のための「トランジッション・ノート術」|倉下忠憲

長くnoteを使っていますが、4桁のファボをいただいたのはこれがはじめです。こんなこともあるんだな〜とちょっと驚いております。

で、記事にいただいたコメントなどを見ていても思うのですが、現代では「ゆるいノウハウ」が切実に求められているのかもしれません。やり方がかっちり決まっていて、そこからの逸脱が許されていないノウハウではなく、ルールの数が少なく、その運用もざっくりしているノウハウです。

振り返ってみると、これまでのノウハウは、ガッチリ固まりすぎているものが多かった気がします。たしかに運用が細かく決まっていれば、利用者が頭を使う割合は減るわけですが、そのぶん自由度や裁量も減り、「ノウハウに自分を合わせなければならない」度合いが高まってしまいます。それはちょっとしんどいですよね。

ある程度の「ゆるさ」を持つノウハウであれば、人ぞれぞれが自分に合わせて調整していけますし、後から変更することも容易です。その意味では、「ロギング仕事術」も同様にゆるいノウハウと言えるかもしれません。

というわけで、ノウハウを主として、それを使う人を従とするような「人に厳しい」ノウハウではなく、その人が自分なりの動きをつくっていけるような「人にやさしい」ノウハウを今後も提案できたらと思います。

〜〜〜生産性〜〜〜

私は「生産性向上」のお題目があまり好きではないのですが、だからといって低生産性な状態を好んでいるわけでもありません。単に、「生産性を上げたら、すなわち正義」という考え方が単純すぎるだろうと思っているだけです。

で、たまたま読んでいた本に、1970年の日本では週休一日制の職場が全体の7割だった、という記述が出てきました。2024年の日本とは大きく違う状況です。今では週休二日がほとんどで、週休一日半みたいな職場はあまり選ばれないでしょう。

すると──ごく単純に考えれば──、1970年に比べて労働者の勤務時間は大きく減少していると言えます。つまり「生産性」が上がったわけです。これはハッピーな帰結でしょう。

しかしながら、1970年から2000年くらいまでで週休二日制が普及していたとして、そこからさらに20年以上経って、私たちの労働は週休三日になったかというと、そうはなっていません。同じ理路を適用するならば、「生産性」はそこからほとんど上がっていないことになります。

もちろんこれはものすごく単純化した話です。産業構造、海外との貿易、労働者の総数、労働に関する法律、賃金形態、税金、……。さまざまな要素が絡み合っているので、週休三日になっていないから生産性は上がっていないと断じるのは難しいでしょう。

とは言え、ごく率直に自身の体験や身の回りの事情を振り返ってみると、ある時点から「生産性」はほとんど上がっていないような感じは受けます。むしろ、上がっていないだけでなく、下がっていることすらありそうな雰囲気です。

イヴァン・イリイチは「反生産性」という概念を提出していますが、まさにそう呼ぶにふさわしい事態が生じているのかもしれません。

でもって、黎明期の「ライフハック」はそうした事態に対する一つの抵抗であったのだろうと今は思います。ただ、思想的にそこまで深まることがなく、単なる「ノウハウ業のブーム」として消費された結果となりました。

だから──それをどんな名前で呼ぶかは別にして──もう一度「ライフハック」的なものについて検討してみたいと考えています。

私たちがなぜこんなにも忙しいのかを考えた上で、その忙しさと対峙する。そういう思想+工夫の組み合わせが、一つの向かべき道なような気がしています。

〜〜〜iPhoneでの投稿〜〜〜

最近、Blueskyという新しいSNSをちょこちょこ触っているのですが、基本的にはiPhoneアプリしか使っておらず、閲覧も投稿もiPhoneから行っています。TwiterはiPhone、iPad、Macとすべての端末で使っているので、Blueskyは非常に限定的な運用と言えますね。

で、気がついたのですが、Blueskyへの投稿だと、長文のコメントが非常に書きづらいのです。日記的な出来事の記述ならあまり気にならないのですが、何かしらの記事へのコメントだと億劫さが出てきます。それこそ「おもしろかった」でお茶を濁したくなってくるのです。

これは、記事へのコメントが「考えながら書く」を実践していて、そのプロセスでは入力の速度や簡便さが重要だからでしょう。フリック入力だと、どうしても「半歩遅れる」感じがして、その感じが億劫さにつながっているのだと想像します。

フリック入力に熟達している若い人ならば、きっとこういう感じは受けないのでしょう。逆に言うと、そうでないおっさん(失礼)が、スマートフォンでしかSNSを使っていないと、日常的な「言語化の訓練」が不足してしまうことが起きるのかもしれません。

皆さんはどうでしょうか。スマートフォンで長文を書くのは苦痛ではないでしょうか。あるいはどんな入力形態を利用されていますか。よろしければ倉下にお聞かせください。

では、メルマガ本編をスタートしましょう。今回は、ネタから「まとまったもの」を書くための方策、UpNoteの嬉しいところ、ちょっとしたエッセイをお送りします。

まとまったものを書くためのアプローチ

前回は、ネタの選択方法として「興味本位LIFO方式」を採用しました。思いついたアイデアのうち、もっとも新しいものから「書きたいもの」を選んで書く、というスタイルです。

このスタイルが一番書きやすいのですが──書きやすいものだけを選んでいるので当然です──、それだけだとまとまったコンテンツがなかなか仕上がりません。そこで、少しのアレンジを加えます。

というところで、まず一つの教訓があります。

「一番楽な方法が、一番良い方法であるとは限らない」

これです。この教訓は、今回のネタ選択問題だけに限ったことではありません。広い領域において観測できる傾向です。

ある部分だけを見れば「一番楽な方法」がもっとも優れているように見えるが、少し視点を引けば必ずしもその方法を採択し続けることが好ましい結果を引き寄せるとは限らない。そういう話をいろいろな場所で見聞きします。「生産性向上」がときに滑稽な事態を引き寄せるのもこのためでしょう。

私は仕事として文章を書いており、書けない状況に比べれば書ける状況の方が好ましく、つまりは「楽に書けること」は大切な指標なのですが、だからといって「書いていれば何でも良い」とまでは言えません。何をどのように書いていくのか、という展開も重要になります。つまり、書けることに加えて、どんなことを書くのかも指標になるのです。

もちろん、「良いもの、優れたものを書くぞ」と気負いすぎて結局書けなくなる事態は本末転倒です(よくある話でもあります)。まず書けることがファーストプオリティー。でも、その上で考えることもある。そういう二階建ての構成になっているわけです。

このとき、もし「単純な考え」しか扱えないとしたら「書くか、書かないか」「優れたものを書くか、書かないか」という極端な選択になるでしょう。たとえば、次のような短絡的な考えに着地してしまう可能性があります。

「書くことが必要なのだから、一番楽に書ける方法がもっとも優れているんだ」

しかし、現実の物事は複雑で、役立つ指標は一つではなく二つ(あるいはもっとたくさん)あります。よって、ある指標で一番高得点をたたき出す方法が、全体として一番優れているとは限りません。

むしろ、ある指標で一番ではない方法の方が、他の指標でも得点を稼げる可能性があります。「生産性向上」が見逃しがちなのは、そうした他の指標の存在です。

昨今のビジネス書・ノウハウ書でも、話をコンパクトにまとめようと、複雑な状況をシンプルに記述しているわけですが、その結果として複数の指標がまるっと削り落とされ、「単純な考え」の外に出にくくなっているきらいがあります。これは、人を(その方法によって)解放するように見えて、実際はその方法に閉じ込めていると言えるでしょう。

話が脱線しはじめているのでここで一旦終わりますが、とりあえず「一番楽な方法というのを見つけたら、一旦それを疑ってみること」という指針は有用だと言えるでしょう。大切な何かを切り落としてしまっている可能性があります。

■短い連載

ネタ選択問題に戻りましょう。どうやって「まとまったもの」を書いていくのか。

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