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静かなサイトをつくる / 一年を四回始める / AIと読むこと

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2023/04/10 第652号

はじめに

ポッドキャスト、配信されております。

◇第百二十四回:Tak.さんとこれからの個人のインターネットについて 作成者:うちあわせCast

今回は、Twitterの危うい状況と倉下の新しいWebサイトをからめてお話しました。個人的には「もっと前へ、もっと前へ」という視点ではなく、いったん少し戻ってみる視点が大切なのではないかと考えているところです。

〜〜〜細い連絡手段〜〜〜

少し前、R-styleのシステムを変更したのですが、その際にRSSのフィードも変わってしまいました。技術的な話は避けますが、フィードの情報の元となるファイルの置き場所が変わった、という感じです。

そうなるとRSSリーダーは古い置き場所を確認してしまうので、引っ越し時の郵便物の転送のように「このアドレスにチェックしたら、こっちのファイルを教えてあげてね」というリダイレクト処理が必要となります。

こうした処理はこれまであまりやったことがなく、ChatGPTの助けを借りながら、なんとか「それっぽい」コードは書けたのですが、どうにもうまくいきません。RSSリーダーが新しい方のファイルをチェックしてくれないのです。

困った。

何が困ったかと言えば、仮に「フィードを新しくしたので、そちらで登録してくださいね」とブログに書いたとしても、その記事の情報がRSSフィード経由では届かないので、RSSリーダーでしかチェックしていない人にとってはR-styleというブログが完全に沈黙してしまうことを意味するのです。名付けるとしたら「やぎさんゆうびん状態」になるでしょうか。

本来RSS変更の告知は、システムを変える前のRSSに載せるべきなのですが、気がついたのが変えてからだったので、重要な書類をシュレッダーにかけてしまったような気分です。あちゃ〜、という感じ。

一応今はリダイレクト処理がきちんと動いているようで、RSSリーダーでも更新情報は届いているようなので一安心ですが、インターネット上の単独のつながりは、わりと細い線なのだなと思い知った次第です。

〜〜〜9割の9割の9割の……〜〜〜

人気のビジネス書には「hogeはAが9割」といったタイトルをよく見かけます。十年前くらいは「9」ではなくもう少し低い数字だったのですが、昨今はどんどん数字が大きくなっている印象で、「10」みたいなものも出てきています。

でも、さすがに10割は言い過ぎですよね、というのは一般的な感覚としてもあります。たいして9割ならそこまでの懐疑心は湧いてきません。実際パレートの法則は8対2なわけで、強めに四捨五入すれば9対1と言ってしまうことも不可能ではないでしょう。修辞と現実感のラインをギリギリまで攻めたフレーズです。

とは言えです。

10割と9割は1割しか違いませんが、再帰的に考えるとその差は大きくなります。

hogeがAで9割で決まるとして、そのAもまた何かしらの要素で決まるのでしょう。たとえばAはBが9割だったとします。当然そのBもCみたいなもので決まり、そのCもまたDで……とどんどん細分化・具体化を進めていくと、90%がどんどんかけ算されていって、あっという間に5割近いラインにまで至ります。5割ならあまり支配的な要素には思えません。

もしこれが10割の再帰なら、いわゆる"逆算"が通じます。つまり、先ほどの細分化を辿ると、最終的に「hogeはDが10割」だとなります。でも9割ではそうはいきません。大きなレベルで9割を提示されても、小さなレベルではかなり小さい割合しか支配できないのです。

別段この話には、そうしたタイトルの本を茶化す意図はありません。そうではなく、世の中に「10割」なんてものがない以上、小さく見ていけばその支配はきわめて限定的になる、という当たり前の話が再確認できるなぁ、という話です。たぶんそれ自体は良いことなのでしょう。

〜〜〜どんな言葉が難しいか〜〜〜

たまたま妻にセルフパブリッシング用の原稿を読んでもらったら、文中に出てた「骨子」という言葉が難しく感じたという感想をもらいました。これにちょっとびっくりしたのです。なぜなら、おそらく骨子ならわかりやすいだろうという意識でその言葉を選んでいたからです(当初はもっと画数の多い漢字の熟語を入れようとしていました)。

だって、「骨」と「子」の漢字なんて小学生で習うでしょうし、その意味もぱっと見ればわかるじゃん、と第一感では思ったのですが、そういう反論したいために原稿を読んでもらっているわけではありません。まさにそうした自分では考えられない反応をもらうために読んでもらっているわけです。

だったら、どういう言葉なら意味の通りがよいのを確認してみると、「要点」とか「核」とかならまだセーフとのことで「重要な部分」あたりならもっとセーフティーという感じでした。なるほど。

ようするにそこで言われている言葉の難しさとは「普段聞きなれているか、自分で使っているか」あたりの指数なのでしょう。意味としてわからなくはないが、脳内の「漢字変換の候補の最初の方」に出てこないので、そこで読みづらさが発生してしまう、という現象なのだと思います。

すご〜〜〜く当たり前の話ですが、そういう難しさは「普段どんな言葉を使っているか」で決まってきます。漢字の構成の難しさは関係ありません(だから多分"憂鬱"は難しくはないのだと予想します)。

書き手は書き手の中で「できるだけ簡単な言葉を使おう」と思うわけですが、しかしその難易度判定は当人の言語空間の中で行われます。そしてその審級は他の人と同じであるとは限りません。特にノウハウ書などは普段あまり本を読まない人が読む可能性が高く、そうした人の日常の言葉遣いに合わせない限りは「簡単な言葉」を使っているつもりでも……、ということになりかねません。

結城浩さんの「読者のことを考える」という箴言は、ここでもやっぱり大切ですね。

では皆様に質問です。最近読んだ本の中で、難しいと感じた、あるいは一読してその意味が分からなかった言葉は何かありますか。ありましたら、ぜひ教えてください。

さて四方山話はここまでにして、メルマガ本編を始めましょう。今回は新しいWebサイトが目指す方向について書いてみます。加えて、一年という期間の捉え方、AIと読むことの二つのエッセイもお送りします。

静かなサイトをつくる

Knowledge Walkersは、静かなサイトを目指しています。英語で言えばカーム(calm)・サイト。

昨今のWebが騒がしくなりすぎていることに対するアンチテーゼとして、そうした概念を立ち上げてみました。

ではカーム・サイトとは、具体的にどんなサイトなのでしょうか。

■視覚的に静か

まず上げられるのが、視覚的にうるさくないサイトです。Knowledge Walkers(とR-style)をご覧になればわかるように、画像的要素はできるだけ入れないようにしています。書影画像など、入れておかないと読む人がわかりにくいものについては画像を使いますが、「別になくてもいいんじゃね」的なものについては画像を使いません。

また、ボタンをクリックしたときの動作などUI的なアクションも省きました。大きな動きがまったくないサイトは、使っていても認知的に静かなものです。同様にサイドバーにもフッターにも何も情報がありません。ただ、画面の真ん中にテキストが置いてあるだけです。

以上のように、サイトはただ文章を提示し、読者はそれを読むという以外のことがほとんど何もできないサイトが、カーム・サイトです。

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