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メモ処理の種別3 / 買う、読む、読み込むの分離 / 不可能な問い

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2024/05/13 第709号

はじめに

ポッドキャスト、配信されております。

◇第百五十二回:Tak.さんとマルチウィンドウについて 作成者:うちあわせCast

◇BC089『たいていのことは20時間で習得できる』と『成功する練習の法則』から考えるスキルを獲得するというマインドの獲得

うちあわせCastでは、「マルチウィンドウ」について語りました。ある世代のパソコンユーザーにとってはごく普通のUIですが、スマートフォンがデジタル端末な世代にとっては珍しく、不慣れなUIではあるでしょう。でもって、その違いって結構おおきいのではないか、というお話です。

ブックカタリストは、ごりゅごさんがスキルの習得に関する二冊の本を紹介くださりました。このテーマで本を書いてくださるとほのかに期待しております。

よろしければお聴きください。

〜〜〜圧縮〜〜〜

Appleが配信した、新iPad Pro用のプロモーション動画が批判を呼んでいました。

◇Apple、新iPad Proの動画「Crush!」について「的外れだった」と謝罪 | ITmedia NEWS

いろいろ思うことはあるのですが、一点だけ。

プレス機が降りきった瞬間に謎の液体がこぼれています。つまり、圧縮するとこぼれ落ちるものが出てきてしまう。そして、まさにその液体が「エッセンス」なのかもしれない。

以上です。

〜〜〜名づけ癖〜〜〜

自分のタイムラインを読み返していると気がつくのですが、私はすぐに名前をつける癖があります。このメルマガでも、「〜〜法」とか自前のネーミングをしょっちゅうやっていますね。

ということを認識した段階で、私の脳は「これは"名づけ症候群"と呼べるな」という声を発し始めます。意識的な知的操作ではなく、自動的な反応。つまり、一種の癖です。

傍から見ると「この人は、日常的に概念化の訓練をしているのだな」と思われるかもしれませんが、そういうわけではありません。ついついやっちゃうこと、無意識的に行っていることにすぎません。

で、そのついついやっちゃう傾向を、自分の書き物仕事に活かしているだけです。それはそれで「あり」なやり方ではあるでしょう。

ちなみに、こうして名前をつける癖→概念化する癖があることと、私がカード型のビューを好むことは強い関連があると思います。概念化とは一種の切り分け作業であり、固定化作業だからです。

そんな感じで、自分の思考の癖とツールの傾向が一致してくれるといい感じでツールと仲良くなれるのでしょうから、自分の癖を把握しておくことも大切になりますね。

〜〜〜漢字〜〜〜

私は名字に「倉」という漢字を持っているので、なんとなく「創」という漢字には親近感を覚えていました。でもあるとき、なぜクリエーションを意味する漢字に「倉」が含まれているのかがちょっと気になりました。

創 | 漢字一字 | 漢字ペディア

調べてみると、最初の意味として「きず。きずつける」があります。たしかに、銃で生まれた傷は「銃創」などと呼びますね。そこから転じて「はじめ。はじめる。はじめて作る」という意味が出てきたとのこと。これは示唆深い意味の転用です。

たとえば木から何かを作る場合は、まずその木を切る必要があります。切った後も、枝を折ったり、葉を取ったり、ささくれを削ったりするでしょう。すべて「きずつける」ことが行われています。その後で、はじめて制作に入ることができる。

また、文学は作者の「傷」と深い関係がある、なんて指摘はよく見かけます。他にも、破壊的なイノベーションは(その定義から言って)既存の産業構造を「きずつける」結果を引き起こすでしょう。

そう考えてみると、「創」という漢字がクリエーションの意味を持っていることはすごく納得できますし、いろいろ発展的なことを考えたくなってきます。

漢字一字だけでもこれだけ「遊べる」のですから、知的な遊びはコスパが高いですね。

〜〜〜社交があるSNS〜〜〜

すご〜く昔のTwitterでは、タイムラインもそう殺伐としてはおらず、インプレッションを稼ぐためだけのbotなども少数で、ある人をフォローしたら、その人の日常の断片を受け取ることができました。

なにせ断片なので、それだけでその人の生活の全体が見えたりはしません。それでも、一週間、一ヶ月、半年とフォローを続けていると、なんとなくその人の「文脈」みたいなものが見えてきます。何が好きで、何が嫌いで、どんなことに価値を置き、何を嫌悪しているのか。そうしたものの輪郭線が捉まえられるようになるのです。

別段、熱心にやりとりをしているわけではありません。通勤電車で見かける人、くらいの距離感です。でも、たまにちょっとリプライしたりする関係。

その際は、その人の文脈がわかっているので、どんな風に声をかけるのかがなんとなく(つまり、ルールとして言語化はできないが行為としては可能なレベルで)わかります。「失礼にならない」というマナー準拠な態度ではなく、その人の文脈に沿った声掛けができるわけです。

たとえば、この人は話を素直に受け取るので、あまり皮肉的なものの言い方をしない方がいいとか、この人は自分で調べるのが好きそうだからヒントになる情報だけを提示しようとか、この人はなんでもけんか腰で捉えるのでそうならないように注意しようとか、そういう個別の(ディティールのある)配慮ができたのです。

そうした配慮は、一種の社交的態度と言えるでしょう。かつてのTwitterには社交が、あるいはその可能性があったのです。

逆に、そうした文脈の把握なく、ただ「意見」を相手に向けたら、むやみやたらにこじれるのは目に見えています。人はそれぞれの人生を(つまりは文脈を)生きているわけで、それを無視してやりとりすることは非人間的な行為とすら言えます。

ネットワーク機器間の通信では、意味を無視して通信できますが、人間はそうはいかないのです。というか、機器の通信ですら「プロトコル」がないとうまくいきません。人間のプロトコルは、個別の人の文脈に宿るので統一的な規格がつくりにくい、という点で違いがあるということは押さえておいた方がよさそうです。

皆さんはいかがでしょうか。最近はSNSを使っておられますか。その使い方はどのように変わったでしょうか。あるいは変わっていないでしょうか。よろしければ、倉下まで教えてくださいませ。

では、本編を始めましょう。本号は、メモ論の続き、読む行為についての提言、自分のやりたいことを問うことについてお送りします。

メモ処理の種別3

引き続き、メモ処理の内実から類型を取り出していく。

■2.2 タスク化

タスク化とは、メモに書かれた記述から「タスク」を設定することだ。前回も述べたが、記述とタスクが一対一で対応するとは限らない。いくつかの可能性の中から、タスクを選ぶ、あるいはタスクを見出すことがこの処理の要点になる。

一般的な説明では、議事録のメモを読み返し、そこから「やるべきこと」のイメージを立ち上げ、具体的な行動に落とし込む、という紹介をされることが多いだろう。たしかに間違ってはいないのだが、もう少し詳しく見ていく余地がある。

たとえば、「ポストに封筒を投函する」とメモに記述されていたとしよう。そのメモを書いたときの自分は「ポストに封筒を投函しなきゃなぁ〜」という思いを抱いていたのだろう。その「思い」を書き留めておいたわけだ。

しかし、この二つには微細な違いがある。

・「ポストに封筒を投函しなきゃなぁ〜」
・「ポストに封筒を投函する」

前者は自分がそう思ったという一つの事実の記述であり、後者は具体的な行動だ。つまり、「ポストに封筒を投函する」というメモは、自分の「思い」をタスク化して記述したものということになる。

なぜこんな回りくどい話をしているのかと言えば、「ポストに封筒を投函しなきゃなぁ〜」と思ってからといって、それが「やるべきこと」であるとは限らないからだ。他人との信頼や契約を無視するならば、投函しないという選択も十分にありうる。

また、仮に「やるべきこと」であるにしても、「自分のやるべきこと」であるとは限らない。家族や友人にお願いすることもできる。その場合「ポストに封筒を投函することをAさんにお願いする」がタスクとして設定されることになるだろう。

気をつけたいのは、いつもの癖で「ポストに封筒を投函しなきゃなぁ〜」という思いから「ポストに封筒を投函する」というタスク化を自然に行ってしまったことによって、他のタスク化の可能性が頭から消えてしまうことがある点だ。

そうなると、自分が欲した結果・求めた目標についてのアクションがすべて「自分のやること」になってしまう。あまり好ましいとは言えないだろう。よく言われる「自分がやった方がはやい症候群」というのも、これと似た状態である。

よって、タスク化という概念(語彙)を手に入れることには二つの嬉しいことが含まれている。

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