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Weekly R-style Magazine 「読む・書く・考えるの探求」 2018/09/24 第415号

はじめに

はじめましての方、はじめまして。毎度おなじみの方、ありがとうございます。

先日、水筒を新しく買いました。200mlとかなり小さな水筒です。これに白湯を入れて持ち歩いています。

最近、胃腸の調子がよろしくなく、カフェインやアルコールなどの刺激物を避けるようにしているのですが、いったん外に出てしまうと、カフェイン抜きのホットドリンクを入手するのがすごく難しくなります。

もう少したてばす自動販売機にホット飲料が入り、コンビニでもラインナップが充実してくるのですが、今時分のような中途半端な季節は困ります。

最終手段として、マクドナルドでホットティーを頼んで、茶葉を入れずにそのまま飲む、という手があるのですが、お湯を飲むため100円払うのは、どこかしら寂しさを感じでしまうので、今回水筒を購入したというわけです。

一応いろいろ見て回ったのですが、細い使い勝手はぜんぜんわからなかったので、以下のブログで紹介されていたものを購入しました。

すごく軽くて(これ重要)、飲みやすいので結構気に入っています。体調が戻ってきたら、これにホットコーヒーを入れて持ち運ぶことになりそうです。

〜〜〜見出しの悩み〜〜〜

今新しい本を書いているのですが、その本は新書のフォーマットです。

で、新書は初めてなので、いろいろ書き方を模索しているのですが、目下気になっているのが「見出し」の深さです。

新書というのはあまり肩肘張って読むものではありません。できるだけ気楽に読んでもらいたいという気持ちがあります。だから、構造を複雑にせずに、章の下に見出しlevel1があるくらいのものを当初は想定していました。


・見出し1
・見出し2
・見出し3

という感じです。つまり、大見出し、中見出し、小見出しなどの段階的見出しを作らない、ということです。

当初はそのような方針で進んでいたのですが、文章が書き溜まるうちに若干苦しくなってきました。もう一段階、あるいはもう二段階の見出しがあった方が綺麗にまとまる部分が出てきたのです。

一応そういう部分でも、文章自体をリライトすれば見出しを使わなくても書くことはできます。が、その分読みやすさが損なわれる恐れもあります。

また、章立ての構造でも、一つの章の中に大きな部品が2つ以上入っていると、章のまとまり感が薄れてしまうので、見出し階層1つレベルを維持するならば、章を分割してより細かくたたみかけていける形に変えていく必要がありそうです。

これまでは好き勝手に見出しを作っていたのであまり意識していませんでしたが、見出しの深さとコンテンツの構造は切っても切れない関係にあるのでしょう。探求のしがいがあります。

〜〜〜Androidの音声認識〜〜〜

フードコートで作業をしていると、かなりの頻度で、見知らぬおじさまやおばさまに「コンピュータ系」の質問をされることがあります。モバイルインターネット環境の構築とか、Excelの使い方とか、OSのアップーデートとか、そういう質問です。

私は生粋の教えたがりなので、そういうときには喜んで答えるようにしています。それに、情けは人の為ならず、です。

先日も、AndroidとGmailの使い方について質問されていたのですが、たまたまそのとき「Googleアシスタントが使えるようになりました」みたいなメールがGoogleさんから届いており、「これって何なの?」という質問も追加で頂いたので、(私が知る範囲において)それを説明していたのですが、ちょうどそれを説明するために、そのAndroidに音声入力をしてみたら、その認識精度が恐ろしく高いことに驚かされました。

私も、歩きながらメモするときにSiri経由でメモを作ったりするのですが、細かい部分に誤変換が出るのは日常茶飯事です。で、音声入力というのはそういうものだと思っていました。

が、Androidで入力してみたときには、細かい間違いがまったくありませんでした。もしかしたら、単に短い文章だったからエラーが出現しなかっただけなのかもしれませんが、そうではない可能性もあります。

もともとiPhoneは、Macとの連携とFast Everという最強のメモツールがあるので長々と使ってきていましたが、どうせやるのはTwitterとパズドラがメインなので、別段こだわる必要もないかなと思い始めています。新型も結構高いですしね……。

誤変換が少ない音声入力が使えるなら、それはそれで別の世界が広がるかもしれません。ちょっとAndroid携帯を試してみたくなっております。

〜〜〜虚しくないコピペ〜〜〜

以下の記事に面白いことが書いてありました。

 >>
 しかし、新規にメモをどんどんEvernoteにじっさい送っていて、それを必要に応じてScrapboxへ移すという作業にはむなしさがあります
 <<

私もいったんEvernoteでメモを保存し、その後Scrapboxにそれを移すという作業を頻繁に行っていますが、記事であらわされているような「むなしさ」を感じたことがありません。別にそういう細かい作業が三度の飯よりも好き、というわけではないのにも関わらずです。

で、なぜなのかな、と自問してみたら一つの答えが出てきました。EvernoteからScrapboxに移動させるときには、単にコピー&ペーストして終わり、ではないのです。大抵は記述を肉付けしますし、その後ブラケティング(リンク付け作業)を行います。つまりこれは、メモのカード化なわけです。

もし、単にコピペしてそれで終わっていたら、むなしさを感じていたかもしれませんが、私がやっている作業はそうではないのでそれを感じないのでしょう。ちなみに、コピペだけで終わってしまうようなものは、今のところまだすべてEvernoteに置きっぱなしです。

〜〜〜毎週送信してみる〜〜〜

体調が戻りつつあるものの、あまり負荷をかけすぎるのもよくないので、毎週送信してみることにしました。

意味がわかりませんね。以下で説明します。

これまでの書籍の執筆は、「とりあえず完成」したら編集者さんに送信するようにしていました。「とりあえず完成」とは「人間が読み上げられるくらいに整ったら」というレベルです。

が、このやり方だと、一カ所で詰まったときに、延々と原稿が送信されなくなります。で、その間ずっと私の心はその「詰まっている箇所」に支配されることになり、圧力が高まります。

それを避けるために、週に一回、進捗がどうであろうが、今できている部分だけを編集者さんに送信する、というやり方に変えたわけです。

「毎週完成原稿を送る」であれば、それはそれで凄まじいプレッシャーになるでしょうが、はじめから未未完成稿であること、時間がなければ読んでくれなくても大丈夫なことを共有してあります。その上で、「できた部分」だけを送信するのです。

その送信原稿分を作る中で、私の中である種の有限化が働きます。「とりあえず、こんなもので」という割り切りが発生するのです。それは、詰まっている部分に焦点が集まりすぎる視野狭窄を、(多少は)緩和してくれる働きが期待できます。心の圧力が高まりすぎないようにする弁を設定した、と言えるかもしれません。

もう一つ、それと関係して、複数のプロジェクトを並行で進めていく企みを破棄しました。これまでは「3つの重要なプロジェクト」を選んでいたのですが、現状の体調では3つは多すぎます。一つひとつの進捗が非常に小さいので、「気になること」がいつまで経っても解消されないのです。

というわけで、大きなプロジェクトを一つひとつ片付けていくことにしました。

もちろんやろうと思えば、主要プロジェクト8、サブプロジェクト2くらいの割合で、二つのプロジェクトを進めていくことは可能でしょうが、やはりそのサブのプロジェクトが心の負担になる可能性は消しきれません。体の負荷と共に、心のストレスもケアしていくことが現状では重要と判断します。

プロジェクトを二つ、三つ回していくのはもう少し復帰してからにして、今は目先のプロジェクトを、定期的に、確実に、着実に、進めていくことを優先しようと思います。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のストレッチ代わりにでも考えてみてください。

Q. 本を読み始める前に目次をしっかり確認されますか?

では、メルマガ本編をスタートしましょう。

今週も「考える」コンテンツをお楽しみくださいませ。

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2018/09/24 第415号の目次
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○「情報カードとEvernoteとScrapbox」 #新しい知的生産の技術
 Scrapboxと知的生産について。

○「『ホモ・デウス』を読む 第2章」 #今週の一冊
 ユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』を読み込んでいきます。

○「切った牌は戻せない」 #物書きエッセイ
 テーマは仕事について。

○「メルマガのScrapboxプロジェクトについて」 #WRM
 このメルマガのScrapboxについて引き続き考えます。

※質問、ツッコミ、要望、etc.お待ちしております。

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○「情報カードとEvernoteとScrapbox」 #新しい知的生産の技術

前回は、Scrapboxのサイズ感が、情報カードのように断片化を促しやすい、というお話を書きました。

今回は、情報カードを「くる」ことと、Scrapboxについて考えてみます。

■カードにする理由

そもそも、なぜカードを書くのでしょうか。梅棹忠夫さんは、『知的生産の技術』の中で、次のように(かなり恰好よく)書かれています。

 >>
 カード法は、歴史を現在化する技術であり、時間を物質化する方法である。
 <<


あるとき思いついたことを、カードに書き記す。そして、そのカードに書いたことはあっさり忘れてしまう。その後、カードを取り出し、読み返すと、以前に思いついた着想が、頭の中に再び想起される。メモリにロードされる。過去が、現在となって立ち現れる。カードの操作を通して(つまり、物質的な操作を通して)、自分が経験してきた時間軸を操作すること。

これが、カード法のポイントです。

もちろん似たようなことはノートでも可能です。ノートや手帳を読み返せば、過去の自分の体験が(現在という瞬間時間で)想起されます。その点は同一です。

しかし、カードは、ノートのように連続的に綴じられてはいません。さまざまに「くる」ことが可能です。

■カードを「くる」こと

『知的生産の技術』では、カードを「くる」ことの重要性が度々説かれています。

 >>
 カードを活用するとはどういうことか。それは、カードを操作して、知的生産の作業をおこなうということである。
 <<
 >>
 カード・ボックスにいれて、図書カードをくるように、くりかえしくるものである。
 <<
 >>
 カードの操作のなかで、いちばん重要なことは、くみかえ操作である。知識と知識とを、いろいろにくみかえてみる。あるいはならびかえてみる。そうするとしばしば、一見なんの関係もないように見えるカードとカードのあいだに、おもいもかけぬ関連が存在すること気がつくのである。そのときには、すぐにその発見をもカード化しよう。そのうちにまた、おなじ材料からでも、くみかえによって、さらにあたらしい発見がもたらされる。
 <<

私は上記が書かれた『知的生産の技術』のページの隅に、赤ペンで「ノートからカードへ、カードからEvernoteへ」と書いていました。ノートから次のステップに進んだカードが、再び(エヴァー)ノートへ回帰する、という着想に喜んでいたのでしょう。

が、そんな風には物事は着地しませんでした。Everntoeでは、カードを「くる」ことができなかったからです。

いや、そもそも私を含めた誰もが(それはつまりEvernoteの開発陣も含まれるということです)、デジタルツール上でカードを「くる」ことがどういうことなのかをわかっていなかったのかもしれません。

だから最初は、Evernoteにもノートを自由配置で移動させる機能を求めていました。付箋ツールのように、ノートを移動させられれば、梅棹さんがおっしゃる「知識と知識とを、いろいろにくみかえてみる。あるいはならびかえてみる」ことができるのではないか、と想像していたのです。

きっとヘンリー・フォードが生きていたら、「早い馬を欲しがっているやつと同じだ」と笑われたことでしょう。アナログツールの「使い勝手」の延長線上で、デジタルツールの機能を要望しているのですから、笑われても仕方がありません。しかし、そこにまったく存在しないものを想像するのは非常に困難な作業であることも確かです。

Scrapboxは、そこに光明を差し込んでくれました。

■Scrapboxでカードを「くる」こと

もう一度、『知的生産の技術』から引用してみましょう。

 >>
 知識と知識とを、いろいろにくみかえてみる。あるいはならびかえてみる。そうするとしばしば、一見なんの関係もないように見えるカードとカードのあいだに、おもいもかけぬ関連が存在すること気がつくのである。
 <<

私はこの現象を、Scrapboxで体験していました。上の記述を読んで、似たようなことが発生するようにScrapboxを使っていたのではありません。ごく普通にScrapboxを楽しく使っていて、『知的生産の技術』をたまたま読み返したら、「そういえば、思い当たる節があるぞ」と思いいった、という状況です。

つまり、Scrapboxに備わっている機能から演算して、理論的にそのようなことが可能であると推測したのではなく、あくまで実践的な体験が先にあります。

それはたとえば、次のようなシチュエーションで発生していました。

・ホーム画面の並び
・ブラケットの中の入力
・関連するページ

それぞれの詳細は、次回に譲りますが、そこで起きたことはまさに「知識と知識とを、いろいろにくみかえてみる」ことであり、「一見なんの関係もないように見えるカードとカードのあいだに、おもいもかけぬ関連が存在すること気がつく」ことでした。

そのような体験は、これまでEvernoteではほとんど起きていませんでした。「ほとんど」と書いたのは、プレミアム機能の「コンテキスト」によって、たまに予想もしていなかったノートが提案されることがあったからです。

しかし、はっきりいって、Evernoteの「コンテキスト」は強力ではありません。関連性を見出すアルゴリズムの機能性ではなく、表示されるノートの上限に貧弱さがあります。

どのようなノートであっても、表示されるページの数は最大6個。そんなことがありうるでしょうか。1万を越えるノートを保存してあって、一つのページと関連するノートが6個までに収まる、なんてことはちょっと想像できないものです。

実際Scrapboxではページによって、大量の関連するノートが表示される場合があります。逆に、ほとんど表示されない場合もあります。情報の性質の多様さから考えても、この在り方が自然でしょう。

ものすごく大雑把に捉えたとしても、情報がネットワークを作るとき、それぞれの情報は均一なつながりを持っているのではありません。ある情報は平均的なつながりを持ち、ごく限られた情報はかなり多くのつながりを持つはずです(後者はハブ情報とでも呼べるでしょう)。

Evernoteの「コンテキスト」機能は、そうした情報の差異についてまったく目配りがありません。その点が貧弱なのです。

今回は、Scrapboxにおける「くる」を確認するための下準備を行いました。

・カードは忘れるために書かれる
・カードは思い出すために書かれる(過去を現在化)
・Evernoteはそのための機能が不足している
・唯一の可能性である「コンテキスト」も貧弱だった

これを確認した上で、Scrapboxにおける「くる」を次回改めて掘り下げてみます。

(つづく)

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