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実践としてのライフハック / アウトラインを使うとき、使わないとき / リハーサルとしてのアウトライン作成

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2023/09/25 第676号


はじめに

ポッドキャスト、配信されております。

◇第百三十五回:Tak.さんと『ロギング仕事術』の四方山話 作成者:うちあわせCast

今回は、『ロギング仕事術』をどのような体制で執筆したのか、という話からはじまり「文章の書き方」全般へと展開していきました。

途中で、自分で名づけたのに思いだせない方式の話が出てきますが、作業記録を調べてみたら「SOE」方式だと分かりました。以下にノートしておきます。

◇SOE方式 - 倉下忠憲の発想工房

これが、最近の私の中核となっている執筆スタイルです。ただ、自分で思いだせないのでネーミングがよくないのでしょう。今回思い出すときに使った検索ワードをベースにリネームしていきたいところです。

〜〜〜画一化の呪いを解く〜〜〜

『ロギング仕事術』という本もそうなのですが、最近の私の著作はさまざまな「方法」の話をしながら、それと並行して「画一化の呪い」を解こうとしている節があります。

おそらく以下の記事がある種の「発端」ではあるのでしょう。

◇あなたの方法で良いんです|倉下忠憲

「画一化の呪い」とは、簡単に言えば「皆と同じでなければならないし、皆と同じならうまくいく」という先入観・価値観・規範性のことで、その呪いを解くとは「別に同じでなくてもいいんだよ」という考えにシフトするための補助線を引く、ということです。

最終的にそうした新しい価値観を受けれるかどうかは当人に委ねられているので、私ができるのは補助線を引くところまでです。画一性がなくてもいいのだとしたら、あなたはどうする? と、問いかけているわけです。

とは言え、ここで注意しておきたいのは、画一性に囚われる必要がないことは、「個性的にならなければならない」ことを意味しているわけではない点です。もしそうなら、それは新しい形の呪いであって、呪いAから呪いBにスライドしただけでしょう。変化はありません。

それに、個性的になろうとして結果的に没個性的な状況にはまりこんでしまう、というのはよく聞く話です。そういう逆説的なことはよく起きます。

ようは、自分なりに何かをやっていけばいいのです。「画一」を目指すという点を避け、その人なりに工夫を続けていけば、結果的にそれが「個性的」なものになる。そういう構図がちょうどよいのでしょう。

もちろん、それ自体は簡単なことではありません。工夫するのだって、少しばかりの知恵が必要です。それに、そうした「ライフウィズ工夫」という生き方が、本当に好ましいのかどうかも私にはわかりません。私にとっては、そういう生活が楽しいものですし、それを封じられたら苦悩にまみれるでしょうが、一般的なレベルにまで敷延できるかははなはだ疑問です。

それでも。

そう、それでも、もしその話を聞いた人の中に、画一性を疎む気持ちがあるのだとしたら、その心の動きをうまく促せることができればいいなと、考えています。

〜〜〜EvernoteのAI検索〜〜〜

いささか速報的なお知らせではありますが、以前から告知されていたEvernoteの新機能「AI検索」のベータ版がリリースされました。

◇EvernoteのAI検索 | 倉下忠憲の発想工房

現在はデスクトップ版と、Webブラウザ版から利用可能なようです。また、現在はベータ版ですべてのユーザーに機能は開かれていますが、最終的には何かしらの有料プランに入ることが利用のためには必要になるそうです。

で、ごくわずか使ってみた感触ですが、普通に口語で探したいノートについて入力すると、その条件でノートをフィルターしてくれます。これまでだったら、検索構文や何かしらのボタンの選択でタグを使って絞り込んでいたようなフィルターが、「人物ノートを表示して」と書くだけでしゅぱぱっと使えるようになっているわけです。

もちろん極論すれば、検索構文やタグでの絞り込みと、口語で探したいノートについて文章で入力することは同じことをしています。少なくとも、論理の中身だけ抽出すればその両者はイコールで結べるでしょう。しかし、人間が行う「タスク」としては、その二つはまったく違っています。ありきたりな言葉で申し訳ありませんが、非常に「直感的」にノートを探せるのです。

ここでいう「直感的」とは、脳の自然な反応のことを指しています。たとえば「人物名のタグがついたノートを見たい」とまず最初に思ったとしましょう。その思いつきから、次に「tag:"人物名"」という検索構文を思いつくのには、いくつかの「変換」を挟む必要があります。その変換のステップがたくさん挟まれば挟まるほど「直感的」ではなくなっていくわけです。

でもって、「人物名のタグがついたノートを見たい」はすでにデジタルノートに慣れ親しんだ人間の反応であり、もっとイノセントには「人物名のノートが見たい」と思いつくでしょう。で、この入力でも今回触った限りでは、きちんと「人物名」というタグがついたノートを表示してくれました。

現状の「検索AI」はそこまですごいことをしてくれるわけではありません。ようはユーザーの入力から、適切な(適切そうに思える)検索クリエを生成して、それでノートをフィルターしているだけです。先ほど出てきた「変換」の工程をAIが処理してくれている、くらいの話でしょう。

とは言え、それだけのことでも、ユーザーとデジタルノートの関係性は変わっていくような予感があります。今後の展開が楽しみですね。

さて、皆さんはいかがでしょうか。デジタルノートの「検索」はどのように働いてくれると嬉しいでしょうか。よろしければ倉下までお聞かせください。

ではメルマガ本編をスタートしましょう。今回は三つのエッセイをお送りします。

実践としてのライフハック

前回紹介した『ふつうの相談』では、心理療法論を大きく二つに分けていました。一つが学派的心理療法論で、もう一つが、現場的心理療法論です。

前者が、理念的なものを追求する一方、後者は実際的で折衷的で雑多なものになる、と整理されています。

そうした記述を読んで、まず私の頭に浮かんできたのが「ライフハック」でした。

■ライフハックの性質

私は『ライフハックの道具箱』シリーズにおいて、ライフハックの特徴の一つに「ブリコラージュ」を挙げています。ブリコラージュとは、クロード・レヴィ=ストロースが提唱した一つの知の在り様のことで、理念・理論・設計図的なものを基盤とする西洋的(あるいは西洋の学問的)な知の在り様と対置されて説明されています。

で、私が考えるライフハックもそうしたブリコラージュ的なアプローチを持っています。だからこそ、『ライフハックの道具箱』シリーズでは、たった一つのツールや手法を紹介するのではなく、多様な文脈でのツールや手法の紹介をしているわけです。ブリコラージュの精神である「寄せ集めて自分で作る」をやりやすいように、カタログを作る。そういうコンセプトです。

一方で、たとえばGTDというものを考えたときに、その在り様はひどく理念・理論・設計図的なものと言わざるを得ません。その内部にあっては、雑多なものはなく、むしろ綺麗な体系が描かれています。

となると、問題が生じます。

・ライフハックはブリコラージュである
・GTDはブリコラージュではない
・GTDは「ライフハック」と言えるのか?

非常にラディカルな疑問が出てきました。

■二つの在り様

しかし、『ふつうの相談』の観点を導入すれば、こうした疑問はするりとほどけます。

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