Evernoteの再再変動 / 『思考を耕すノートのつくり方』について / トランジッション・ノート術
はじめに
新刊『思考を耕すノートのつくり方 自分の知的道具を手に入れる』が11月17日に発売となりました。
『思考を耕すノートのつくり方 自分の知的道具を手に入れる』
方法論として「ノート術」を捉える一冊となっております。ノートの入門者、あるいは中級者の方の手助けになれる本だと思います。よろしければご覧ください。
ちなみに、Kindle版は一ヶ月後くらいに発売される予定です。
〜〜〜ポッドキャスト〜〜〜
ポッドキャスト、配信されております。
◇第百四十回:Tak.さんと『思考を耕すノートのつくり方』について 作成者:うちあわせCast
今回は、話題(?)の新刊について語りました。このメルマガ本編でも関連するお話を書いていますので、合わせてお読みください。
〜〜〜しずかなインターネット〜〜〜
新しいWeb投稿サービスが登場しました。
◇しずかなインターネット
Webに文章を投稿するサービスですが、いわゆる「バズり」「広告」といったものから極力距離置き、読み手と書き手の注意(アテンション)をかき乱さないようにする姿勢が感じられます。文章を書くこと以外の要素を可能な限り取り払った note.com 、みたいな感じかもしれません。
さっそく私もアカウントを作っておきました。
◇rashita|しずかなインターネット
実際のところ、今自分が作っている(使っている)R-styleや、Knowledge Walkersというサイトがまさにこの「しずかなインターネット」を目指しているので、何かを書くなら自分のサイトを使いそうではありますが、それでもこうした少し懐かしみを感じるような場所がインターネット上で"再興"されていくのは嬉しいものがあります。
以下の記事も読みました。
◇誰にも読まれなくても、書くのが好きだから書く | イズレモシモ。
なんというか一周回って、新しいスタートを切るタイミングがやってきているのかもしれません。
皆さんはどうでしょうか。最近のインターネットとの付き合いはどうでしょうか。特に自らが発信する活動と、情報を集める活動において何か変化は生まれているでしょうか。よろしければ、倉下までお聞かせください。
では、メルマガ本編を始めましょう。今回は、Evernoteの再々構築、新刊執筆の経緯、手書きノート手法の三つをお送りします。
Evernoteの再再変動
前回は、映画の情報をまとめたノートの扱い方を紹介しました。その中で、そうして作成したノートを「Card」ノートブックにおいて置くのはよいのだろうか、という疑問が出てきました。
今回は、その疑問を掘り下げてみます。
■タグのカード、ノートブックのカード
映画の情報をまとめたノートには「映画カード」というタグをつけ、「Card」ノートブックに入れました。一見これは整合しています。
しかし、Bookノートブックを覗いてみると話が変わります。そこには書誌情報をまとめたノートが、「書誌カード」というタグつきで保存されているのです。
つまり、「〜〜カード」というタグのノートが、CardノートブックとBookノートブックに分かれて保存されているのです。しかも、片方は書籍を、もう片方は映画をと、一つのオブジェクトを扱っている点は同じなのです。それが異なるノートブックに分かれてしまっている。これは整合していないように感じられます。
もちろん、短絡的な解決策はあります。一つには「書誌カード」というタグの名前を「書誌ノート」に変えること。これで、Bookノートブックには、「〜〜ノート」タグのノートが入り、Cardノートブックには「〜〜カード」タグのノートが入ります。きちんと分別された格好です。
もう一つには、映画ノートをBookノートブックに移動させるやり方があります。この場合は、単独のオブジェクト的なものはすべてBookノートブックに集めるという形の理路が生まれます。
さて、どちらが好ましいでしょうか。
たぶん、どちらも好ましくありません。こういう形の帳尻合わせは、だいたい後々の混乱を引き起こします。
ごく普通に使っていて不整合が起きているなら、もっと根本的な部分を見つめ直すタイミングなのでしょう。
■分けたい気持ち
そもそとして、Bookノートブックに書誌情報を、Cardノートブックに映画情報を分けたのは私の感覚的な判断です。どうにもその二つを同じノートブックに入れたくなかったのです。
なぜ入れたくなかったのか?
そこを掘り下げないままに、安易に整理形式を合わせても嬉しいことはありません。むしろ、整理形式のバージョンアップがなされないままに混乱が増えるばかりです。
加えて言えば、Bookノートブックに、書誌情報ノートが入っていることにも疑問を感じていました。たしかに書誌情報ノートは、複数の情報をまとめるための装置であり、Bookノートブックに集めると決めていた情報の性質に合致しています。
でも、何かが違うのです。
そういう違和感は無視しないほうがよいでしょう。何がどう違うのかを深く考えるタイミングです。
■改めて整理する
まず、整理してみました。DBCAの「Diary」は実にうまく機能しています。これは変える必要がありません。
次にCardもだいたい安定的です。ぱっと開いたときに、自分の着想が並んでいるのは小気味よいですし、さらにそれを見返すことで過去の自分との対話も進んで行く感覚があります。でも、Bookはどうにも不安定です。これでよいのかという気持ちが消えません。
もう一度確認しておきましょう。DBCAの四要素です。
・Diary(日付・日時情報が入っているものすべてを扱う)
・Book(情報をとりまとめている情報全般を扱う)
・Card(独立的・断片的な情報全般を扱う)
・Archive(上記以外のすべてを扱う)
「Book」ノートブックができたのは、書誌情報を保存したノートがすでにあり、それをとりまとめるための場所が必要だったからです。さらに、Cardという「独立的」なものを扱う場所があったので、その対比として「総合的」なものを扱う場所として設置された経緯があります。
理論的に考えればどこにも破綻はありませんが、問題は、感覚的に自分が「総合的」なものを必要としているのかどうかです。たしかに、断片的なものではなく、〜〜リストのように情報をまとめるための場所は別途欲しいところです。だからBookノートブックをその場所として扱うこと自体は間違っていません。
でも、たとえばそのノートブックを開いたときに、〜〜リストのようなノートが一覧されて嬉しいでしょうか。あるいは、読み終えた本の一覧が表示されて嬉しいでしょうか。どうもそうではない気がします。
実際、読み終えた本についてはブクログやTextboxで一覧を手にできています。わざわざ別ツールでその劣化版を手にする意義は薄いでしょう。少なくとも、それを作っても私の嬉しさはそんなに向上しません。
にもかかわらず、すでにEvernoteに書誌情報のノートがあり、それがどうもCardとは違う性質を持っているだろうからという理論的な帰結だけで作られたのがBookノートブックでした。
ここはサンクコストを切り捨てるタイミングでしょう。いったんゼロベースで考え直します。
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