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Weekly R-style Magazine 「読む・書く・考えるの探求」 2018/09/17 第414号

はじめに

はじめましての方、はじめまして。毎度おなじみの方、ありがとうございます。

突然ですが、日曜日のR-styleの更新をお休みしております。

一応「毎日更新」を目標としてきましたが、現状体調的リソースが欠乏している状態なので、どこかを削ろうと思い、まとめ記事である日曜日の更新をいったんストップすることにしました。

とりあえず、9月いっぱいはお休みするつもりで、状況次第では10月から復帰ということになるかもしれません。そのあたりは状況をうかがいつつ、という感じでやっていきます。

もう一つ、これまでブログの更新は午前中に行っていたのですが、最近は午後に振るようにしています。午前中にパワーを使う書籍原稿執筆を行い、夕方くらいにブログを書く。そのような配置ですね。

で、やってみて気がついたんですが、午前中にどどっと気合いを入れて書籍原稿を書くと、午後にブログを更新するのが非常に「重い」です。感覚的に言えば、筋肉痛の状態でさらに運動する、くらいが近しいかもしれません。

なんだかんだで、これまでずっとブログを更新し続けられたのは、朝のゴールデンタイムにその作業を当てていたことが強く影響しているのだろうな、と感じました。

あれほど「重い」のならば、どこかで「今日はまあいいや」と思う日も登場するかもしれません。朝一で更新していたときは、そんなこと一切考えなかったからですね。

とは言え、そのパワーを書籍執筆に当ててこなかった、ということもまた事実なので、その辺のコントロールについてはまたじわじわと調整していきたいと思います。

〜〜〜Gitの効能〜〜〜

普段はテキストファイルを作らない知的生活を送っているのですが、書籍を作る場合は編集者さんとのファイルのやりとりがあるので、それをDropboxに保存しています。

で、最近はGitも使っています。構成はBitbucketの非公開リポジトリを、MacのSourcetreeで操作する、というもの。原稿のテキストファイルだけでなく、WorkFlowyのアウトラインも(いちいちテキストファイルにコピペして)保存しています。

で、こうしてGitを使っていると、二つのメリットがあることに気がつきました。

1. バックアップになる
2. 作業履歴が残る

1があるおかげで最悪パソコンのデータが吹っ飛び、Dropboxにエラーが出て、Gmailのアーカイブがすべて削除されてしまっても(かなりレアな事態ですが)、復旧できます。

さらに、細かい作業ごとにコミット&プッシュしているので、そのログがそのまま作業記録になります。「第二章の構成を変更」とか「第一章に要素を追加」とか、そういう日々の作業が記録として残り、後から振り返ることができます。進捗感も得られます。

で、このように二つ以上の効能があることって、結構大切だなと思いました。片方の効能がくじけても、もう片方の効能が行動を支えてくれます。バックアップがどうでもよくなっても、進捗感を得たいからコミットする、とういことが起こるのです。

ということを考えてみたときに、たとえば今の私がブログを続けている動機づけみたいなものも、きっと一緒なんだなと思いました。

長い間ブログを続けてきたおかげで、私の中にある動機は、多様化しています。分裂している、発酵している、熟成している。言い方はいろいろあるでしょうが、とりあえず一つではありません。いろいろなものが混ざり合っています。

だから、その一つが挫かれても、更新意欲が衰えることはありません。他の動機が支えてくれるからです。

でもって、だからこそ、「なぜブログを続けているのですか?」という問いには答えにくいものがあります。簡単な言葉では説明できないからです。

まとめ
・効能が複数あると続けやすい(かも)
・大切なことは、簡単な言葉では説明しきれない

〜〜〜スクボ・リーディング〜〜〜

毎週火曜日に配信されている結城メルマガを購読しています。読む時は、スマートフォンではなく、パソコンのブラウザで読みます。

その際、Scrapboxのデイリーページを開いておきます。というか、作業を開始してからはずっとそのページはブラウザのタブで開いてあります。で、「へ〜、面白いな」とか「これはちょっと考えたい」というような部分に遭遇したら、その部分をデイリーページにコピーして、自分なりのコメントなり感想を追記します。

かなり簡単です。

で、何をどう考えても、これと同じことが電子書籍でできるべきですね。私はあまり「べき」という言葉は好きではありませんが、この事例に関しては使っても問題ないでしょう。

一応MacのKindleアプリでもコピペはできるのですが、貼り付けると──嫌がらせとしか思えない──「単語と単語の間に半角スペースが入る」という仕様になっています。もちろん、置換で消してしまえるわけですが、手間です。

この仕様は一体誰の得になっているのでしょうか。不正コピー対策だとしたら、置換で消してしまえる段階で効果は薄いことは間違いありません。普段使いのユーザーの利便性を著しく下げているだけです。

本文をツイートできる回数に制限が設けられている、というのはギリギリ理解できますが、このような仕様はまったく腑に落ちません。で、こういう仕様によって「電子書籍は使いにくい」とか言われてしまったら、紙離れとか以前に「本」離れを引き起こしてしまうでしょう。

そっちの方がはるかに大きな問題な気がします。

〜〜〜応援要請〜〜〜

読書猿さんのマシュマロ解答プロジェクトを読んでいたら、次のページを見つけました。

ここに次のような記述があります。

 >>
Scrivenerというソフトで書いているのですが、今数えたら(誰に頼まれた訳でもないものも含めると)プロジェクトが44冊分できてました。こんなに書かせてもらえるか分かりませんが応援お願いします。
 <<

この「応援お願いします」という言葉にハッとしました。そういえば、結城浩先生も「応援してください」という旨の発言をよくされている気がします。

振り返ってみると、Youtuberの方も、動画の最初とか最後とかに「チャンネル登録お願いします」という文言をおっしゃっています。で、実際、それでチャンネル登録も増えるのでしょう。

なんとなく、私はこういう旨の発言が苦手でした。たぶん、「そういうことを言うのはかっこう悪い」と思っていたのでしょう。あまりそういうことは言わずに、「自分は自分の仕事をし、読者さんはそれを自由に選んだらいい」という姿勢を貫くのがクールだと感じていたのです。

しかしまあ、歳を取ってみて(あるいはフリーランスとしてある程度仕事を重ねてみて)思ったのは、そういうのは単に傲慢なだけだな、ということです。

仮に私のこれまでの本の売上げが100だとしたら、純粋に情報的価値で売れた本が100だということはないでしょう。応援の気持ちで買ってくださっている方もたくさんいらっしゃると思います。応援の気持ちでリツイートしたり、ブログで紹介してくださっている方もいらっしゃるでしょう。そういうもので、100という売上げが作られているのです。

大御所の作家さんなら、誰かに頭を下げる必要はないかもしれませんが、結局出版社の営業さんなどが代わりに「よろしくお願いします」と頭を下げていることでしょう。そういうもので、売上げというのは作り上げられるわけです。

情報発信者が何を求めているのか、どういうことをしてもらえば嬉しいのか、ということをきちんとアピールしていくことは大切なのだと思います。プロトコルというか、共通認識を作っておかないと、「漫画村で読めばいいか」みたいなことになりかねません。

重要なのは、ある種の素直さです。

本当にぜんぜんまったく応援してもらいたいと思ってない、あるいは本が売れなくても構わないと思っているなら別ですが、応援してもらいたいと思っているなら、斜に構えてそれを口に出さないのではなく、素直にそれを言った方が発信者にとっても受信者にとっても良い結果になるのではないでしょうか。そんな風に思います。

〜〜〜孤立の感覚〜〜〜

あまりにも体が硬くこわばっているので、ジムにでも行こうかと近所のジムの情報を検索して、妻と共有できるように家族用のScrapboxにその情報をまとめておきました。

Evernoteなら、単にクリップして終了ですが、Scrapboxの場合はそんなに簡単にはいきません。ジムの営業時間や場所、特徴などを適当にコピペして、Scrapboxに貼り付けていきます。

まず、その段階で、私の頭の中も整理されていきました。Evernoteならざっと読んでクリップボタンをポチっで終わるのですが、情報を取捨選別してコピペしたことで、私の中で「このジムはこう、あのジムはこう」みたいな整理が進んだわけです。

そう、やっぱりこれが大切なんだよな、保存して放置だとこうはいかない、と改めてScrapboxの面白さを確認した後で、ふと不安感が襲ってきました。

作成したページが、どこからもリンクされていないのです。あるいは、どこにもリンクしていないのです。

普段この家族共有プロジェクトでは、まずスケジュールページに予定を書き、その予定に登場する場所や出来事や物事をリンク化して、そこに記述を加えていきます。「○○病院」とか「たけのこ掘りイベント」(なにせ田舎なのです)とか、そういうページができるわけです。

当然それぞれのページは、最低限スケジュールのページとリンクしています。つながっているわけです。

しかし、今回は何の予定もなくたまたま調べたものをそのScrapboxに入れました。だから、それらのページは孤立しています。それを理解したときの、「もうこのページとは再び出会えないかもしれない」という感覚は、実に新鮮で、また痛烈でした。

解決自体は簡単です。スケジュールページに「ジムについて調べた」とし、ジムをリンクにして、それぞれのページにジムのリンクを加えればOKです。

が、そういう技術的な問題ではなく、「同じプロジェクト内に存在するにも関わらず、リンクがつながっていないがゆえに、孤立してしまう」という感覚があまりにも大きく、考え込んでしまいました。社会において、このような孤立が、個人に与える影響もきっとすさまじいのだろう、と。

そのことから社会的包摂の重要性を再確認しました。つながりは、大切です。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、ウォーミングアップ代わりにでも考えてみてください。

Q. 保存した情報は見つけられるようになっていますか。そのためにどんな工夫をされているでしょうか。

では、メルマガ本編をスタートしましょう。

今週も「考える」コンテンツをお楽しみくださいませ。

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2018/09/17 第414号の目次
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○「Scrapboxと情報カードシステム」 #物書きエッセイ
 物を書くことや考えることについてのエッセイです。

○「ユーザーの一気な拡大の弊害」
 ScrapboxとEvernoteという、「サービス」について考えてみます。

○『ホモ・デウス』を読む 第一章 #今週の一冊
 一冊の本を丹念に読み込んでいく企画です。

○「たとえば、WRMのScrapboxプロジェクトはどうか」 #WRM
 このメルマガの運営スタイルについての提案というか質問です。 

※質問、ツッコミ、要望、etc.お待ちしております。

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○「Scrapboxと情報カードシステム」 #物書きエッセイ

今回は、Scrapbox上で情報カード・システムのようなものが構築できるのではないか、という話について書きます。

まずは注意点から。

■注意点

最初に書いておきたいのは、Scrapboxは情報カードのデジタル版、ではない、ということです。情報カードが持つ特徴と似たものをScrapboxに見出すことはできますが、かといってまったく同じではありません。それぞれの道具には、それぞれの良さがあります。

この点を確認しておかないと、「情報カードでは〜〜ができるが、Scrapboxは〜〜ができないのでダメ」という話になってしまいます。たしかに、その「できる/できない」の指摘自体は正しいのでしょうが、逆にScrapboxではできて情報カードではできないこともあるので、基本的には機能のトレードオフの話です。

その上で、それぞれの機能をどう評価するかという話にもっていければ最高でしょう。

■情報カードシステムを支えるもの

ではまず、『知的生産の技術』で紹介される情報カード・システムについて振り返ってみます。

このシステムで使われるのは京大型(B6サイズ)の情報カードです。やや厚みがある紙で、片側に罫線が入ったものが用いられます。

そこに、いろいろなことを書きつけていくのですが、その辺の細かい話はここではすっとばして、とりあえずそれを「着想」とまとめて呼ぶことにしましょう。思いついたこと、閃いたことです。

それを1トピック1カードの要領で書き留めていきます。1つのトピックが長くなる場合は複数のカードにまたがっても構いませんが、1つのカードに複数のトピックを詰め込むことはしません。書き込むことを、小さく限定しておくことが、一つのポイントです。

そうして書き込まれたカードは、大きな箱に保存されます。分類のようなものは考えず、強いて言えば、自分の興味の在り様に合わせて箱を変えることがあるくらいです。また、カードの置き方も、厳密な指定はありません。おそらく時系列に置いていくことになるのでしょうが、その順番も絶対に変えてはいけない、というものではなさそうです(理由は後述します)。

ともかく、一つの箱の中に、書き終えたカードをどんどん貯め込んでいく。それがカード運用の第一段階です。

■カードを使う

そうして書き留めたカードは、おりをみて「くる」ことが推奨されています。パラパラと見返したり、他のカードと組み合わせたり、並び替えたりして、新しいことが考えられないかを試すのです。

このとき、カードボックスからカードを取り出すことになるのですから、カードにシリアルなIDを振っておかない限りは、元の順番を維持することはできません。カードを抜いたところに、何か目印のようなものを差し込んでおけばよいのでしょうが、数が多くなると面倒になりますし、面倒になると、おりをみて「くる」ことが嫌になります。だから、適当に抜き出したカードは、適当に箱に戻されると考えるのが良さそうです。

■アウトプット

ここからは推測になりますが、そうしてカードが溜まってきたら、一定の共通の性質(あるいはテーマ)を持つカードを抜き出して、アウトプットを生み出すことになるのでしょう。「知的生産の技術」に関する本を書くとしたら、カードを一つひとつ確認していって、関係ありそうなカードを抜き出し、それらを素材にしてアウトプットを組み立てる(≒再生産する)。それがカードの最終的な役割です。

■ゴルディロックスサイズ

さて、このシステムにおいて、カギを握るのが「京大型」というカードの大きさです。B6サイズと言えば、ミニノートくらいのサイズであり、一般的に「カード」と聞いて思い浮かべるものよりもかなり大きくなっています。

せこせこ詰めて書かなくても、らくに200文字〜400文字くらいは書けます。梅棹忠夫さんは、このくらいのサイズであれば、大抵の知的作業はこなせるとおっしゃっていました。たしかに、1トピックを書き込むには十分な容量です。なにせ、Twitterの140字だって、1トピックくらいは書けます。それを、2〜3個並べられる感じです。

この「めちゃくちゃ小さくはないが、かといって巨大なスペースでもない」という京大型のサイズが重要です。

カードに書き込まれるのは、しっかりとした読める文章でなければいけません。でないと、将来の自分がそのカードを活用できないからです。しかしそれが、あまりにもかちっとした完成品でないといけないのなら、人はカードを書くのを躊躇ってしまうでしょう。

京大型カードというのは、この緩さと固さのバランスが、ちょうど良いバランスになっています。圧倒されない程度で、しかもちゃんと固いのです。

私の言い方にひきつければ「断片化」しやすいサイズなのです。

同じことはTwitterにも言えます。あの「文字数制限」は、制約であると共に書きやすさも担保しています。さらに、タイトルをつけなくていい、という特徴もあるのですが、そこまでいくと固さがなくなりすぎてしまいます。後から利用することも考えると、やはりタイトル(見出し)はあった方がよいでしょう。

という点を、まず考えたときに、Scrapboxの特徴が見えてきます。

Scrapboxは普通のノートツールと同じで文字数制限は特にありません。1万字だろうが2万字だろうが書いていけます。

しかし、新規ページを作成したときの状態は、非常に「縦幅が狭く」なっています。新規行を付け足すたびに(≒改行するたびに)その縦幅が増えていく恰好です。

本当に些細なことですが、これが重要です。

はじめから、20行とか25行分の「空白」が表示されていると、そこに2〜3行の書き込みをするのが少し憚られます。何か「不足」しているような気がするのです。しかし、書くたびにスペースが拡張していくScrapboxでは、そのような不足感は感じません。数行でも、「ぴったり」な感じがするのです。

だから、気構えることなく、短いコンテンツを書き込んでいけます。しかも、実際はTwitterのような文字数制限はありません。いわば、サイズ可変型の情報カードというわけです。

まずは、「断片化しやすい」という特徴について、情報カードとScrapboxの共通点を見てきました。所詮はUIの問題なのですが、それが大きい影響を持っています。ほんとうにScrapboxでは、ラフに書けるのです。

その点を踏まえた上で、次回はカードを「くる」ことについて考えてみましょう。これもデジタルならではの特徴が浮かび上がってくるはずです。

(つづく)

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