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○「個人のための技術とそれを支えるメディア」

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2022/02/28 第594号

○「はじめに」

今週も縮小号です。一応来週号からは通常版に戻せるかと思います。

一応、ひとつだけミニ・連絡を。

Twitterに「コミュニティ」という機能が追加されました。倉下もはやりにのっかって作ってみました。

◇知的好奇心向上委員会 コミュニティ / Twitter

https://twitter.com/i/communities/1496761082442297347

大げさな名前を付けて楽しもう、という遊びでつけているので実体は単にいつものような感じです。よろしければご参加ください。

その他、倉下がちらほらと見つけたコミュニティは以下にまとめておきました。

◇Twitterコミュニティーリスト - 倉下忠憲の発想工房

これでTwitterの雰囲気が変わってくるのか。しばらく使ってみるとしましょう。

*本号のepub版は以下からダウンロードできます。


○「個人のための技術とそれを支えるメディア」

前回は、「ライフハック」が新しい局面の到来に対して早すぎた、という点を確認した。加えて、それがきわめて「個人」指向であることもみてきた。

今回は、この視点を広げてみよう。

■工業社会から情報社会へのシフト

情報を扱うための小さな技術が、書籍を通じて、広く市民に伝えられる、という現象の起こりは、おそらく『知的生産の技術』を中心とした書籍群のヒットであろう。

書籍がない時代では、そうした技術情報の一般的な普及は考えがたいし、書籍があってもそれが高価な時代では同様である。また、一般市民に手が届く価格になった時代であっても、そこで語られていた内容は、小説や精神訓が多かったであろう。

たとえば、サミュエル・スマイルズの『西国立志編』は1871年(明治4年)に日本で発売され、その後四十年あまりで100万部を販売したという「ベストセラー」ではあるが、その内容は成功へ向かうための心構えを説く本であり、いわば精神論/自己啓発に分類される。小さな技術ではぜんぜんない。

そもそも、その時代は日本が「西洋」に追いつこうという精神性を発揮させていた時代でもある。『西国立志編』はまさにぴったりの本であろう。福沢諭吉の『学問ノススメ 和本十七冊』や『文明論之概略 和本六冊』も似たようなマインドセットを感じるし、J・S・ミルの『自由之理 和本六冊』が売れていた、ということもその事実を補強する。

(註:ベストセラーの情報は以下のサイトより)

◇慶応2年から令和2年までのベストセラーをリストにしてみた 読書猿Classic: between / beyond readers

この時代、小説を除く書籍で扱われていた内容は、ひどく「大きい話」だったと言えるだろう。それに比べると、『知的生産の技術』の話題はきわめて「小さい話」である。

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学問の方法などというと、すぐに方法論がどうのこうのという話になりやすいが、ここで問題にしようというのは、そんな高尚な、むつかしい話とは違うのだ。学問をこころざすものならば当然こころえておかねばならないような、きわめて基礎的な、研究のやりかたのことなのである。
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『知的生産の技術』

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研究者としてはごく日常的な問題だが、たとえば、現象を観察し記録するにはどうするのがよいか、あるいは、自分の発想を定着させ展開するにはどういう方法があるか、こういうことを、学校ではなかなかおしえてくれないのである。
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『知的生産の技術』

『知的生産の技術』で論じられているのは、「高尚」な話でもなく「むつかしい」話でもない。非常に基礎的な「やりかた」である。また、その「やりかた」は研究者の「日常的な問題」を解決するものである。どう考えても「大きい話」ではないだろう。

『知的生産の技術』が出版された1969年頃となると、さすがに戦後のあたふたしたような状況は終わりを告げ、国家の基礎が固まりつつあったと考えられるだろう。無論、その展望をどのように描くのかという問題は残ってはいるだろうが、それでもひとまずは「一山を越えた」と言える状態だったのではないか。そうしたとき、自然にフォーカスが移るのが個人の日常的な問題であった。そんな風に注意の移動を見立てることもできる。

また、この時代はラジオに加えてテレビが普及し始め、しかもそれを運営する企業が国営ではなく民営として、つまり新しい「仕事」として営まれていた時代でもあった。「情報産業」が興り始めた時代、つまり新しい局面の到来だったわけだ。

また、日本の工業は十分に発達し、さまざまな機器が開発・発売されてもいた。そこでの市場は──戦時中のように国家ではなく──、国に生きる一人ひとりの個人であった。個人がさまざまな機器を手にして、生活の豊かさを手に入れ始めていた時代でもあったわけだ。さまざまな家電製品の登場により、「可処分時間」を獲得した個人も多く出てきただろう。

もちろん、そうした個人の多くは読み書きの素養を持つ市民でもあった。情報を扱うための、非常に基礎的な能力は持っていたわけだ。

情報を扱うための基礎的な力を持つ個人が、さまざまな機器と時間をある程度のお金を有していること。切迫的な「大きな話」が一段落したこと。そして、新しい情報産業が興りつつあったこと。

そうした事態が重なるとき、「個人が情報を扱うための、基礎的な技術」に注意が向くのは、そう不自然なことではない。しかし、単に関心の「種」があるだけでは十分ではない。それだけでは話題の「花」が咲くことはない。人々の熱量を集めるための「場」(≒メディア)が必要である。

それが新書であった。

■教養新書御三家

ここで新書論を展開する余裕はないが、それでも簡単に時系列だけ確認しておこう。

まず、日本における新書の起点とも言える岩波新書がスタートしたのが、1938年だ。第二次世界大戦の始まりが1939年9月とするならば、それよりも前の出来事である。もちろん、戦時中はゴタゴタしていただろうから、本格的にそれが市民の手に取られるようになったのは戦後からであろう。

その岩波新書は、研究者や学者が自らの専門分野の話を一般向けに語る、つまり一般啓蒙書を安く提供することが目指されており、同じようなコンセプトの中公新書と講談社現代新書を合わせて教養新書御三家などと呼ばれていた。

ちなみに、中公新書の創刊が1962年であり、講談社現代新書は1964年である。『知的生産の技術』は1969年なのだから、「新書」がちょうど盛り上がっているその時代にこの本は世に問われたといえる。言い換えれば一般啓蒙書で啓蒙された人たちが、その時代にはたくさんいたわけだ。つまり、目の前の生活だけではなく、人文や科学について関心の目を開かされた人たちが少なからず存在していた。まず、そういう状況があるだろう。

■個人で仕事をする人たち

それに加えて、書き手である「研究者」にも注目してみたい。彼らは、学校や大学、あるいは研究所に所属してはいるし、仕事はチーム単位で行うかもしれないが、それでも個人で仕事をする人たちだ。個人の名前と実績を看板にして、仕事を得、研究を進めていく。

日本でも、少し前なら職人や商人といった人たち、つまり個人の看板で仕事をする人たちはそれなりにいたかもしれない。しかし、産業が工業化し、労働の集約化が進む中で市民は「組織人」として働くことが増えた。1960年代と言えば、高度経済成長期まっただ中であり、そうした労働体系が「当たり前」になりつつあった時代でもあっただろう。

組織の、特に日本の組織の価値観は、常に、

個人 < 組織

であり、組織の中で個人は常に「換えが効く存在」でなければならなかった。飛び抜けた存在になることは求められてはいなかったし、むしろ嫌悪されていた節すらある(その傾向は現在までも続いている)。当然、「個人の技術」に注目が集まることもなければ、そこに投資されることもなかっただろう。

そうした中で、『知的生産の技術』やそれに続く新書たちは研究者らが持つ「個人の技術」を開示した。大きな枠組みの中で共通の議論が可能でありながら、その実体はそれぞれに異なっている「個人の技術」がありうるのだと、示してくれたのだ。

たしかにそのようなものは「学校」では教えてもらえないだろう。義務教育の体制は、個々人に少しずつ違った「方法」を伝達するのに適したものとは言えない。むしろ、画一的な方法に人を「慣らす」方が向いている(そしてそれは、高度経済成長期における大量消費と相性が良いことも付け加えておこう)。

組織(つまり、個人を超える集合)の力学と方法によって生きていた人たちに向けて、研究者は「個人の技術」を開示した。それは一方では、新しくやってくるであろう情報産業社会に向けた技術でありながら、もう一方では組織の力学とは別に存在しうる「個人」に向けた技術でもあったわけだ。

*この点において、川喜田二郎の『発想法』は少しだけ外れた存在であると言えるが、結果的にこの技法は個人の発想法として受容された現実もある。

そして、新書という媒体が、本来接続しないはずの両者をつなげてくれた。つまり、学者・研究者が一般向けに本を書く、という指針が、学問の世界で個人として仕事をする人間と、そうでない人間とを接続してくれたわけだ。それは間違いなく新しい扉を開いたことだろう。

■ビジネス書と仕事術

同じような構図は、「仕事術」においても見つけられる。

ちなみに『仕事術』というタイトルの本が、奇しくも岩波新書から1999年に出版されているが、この本で語られているのは具体的なノウハウというよりは、人生において「仕事」というものとどうかかわり合えばよいのか、という姿勢の提示であった。ある意味で、知に足のついた内容である。

一方で、2000年以降語られてきた「仕事術」は、書籍ジャンルとしての「ビジネス書」と強く結びついている。

たとえば2007年に出版された勝間和代の『無理なく続けられる 年収10倍アップ勉強法』は、「ビジネス書」の典型例であろう。非常に率直な形で、"年収を10倍にする"という「目標」が掲げられている。合わせて、具体的なノウハウも開示されている。

それに比べると、1996年に出版されたスティーブン・R・コヴィーの『7つの習慣』や、2000年に出版されたP・F・ドラッカー『プロフェッショナルの条件』は、仕事の成功を目指しながらも、世俗的な要素は抑えられており、人格主義的・教養主義的な側面が強くうかがえる。そして、具体的なノウハウはそれほど扱われていない。つまり、「仕事術」と呼べるようなものではなかったわけだ。

この二つのタイプの書籍は、同じようなジャンルに位置するにしても、そのテイストはずいぶん違っているように思える。

たとえば、2009年に出版された『「結果を出す人」はノートに何を書いているのか』も、いかにも「ビジネス書」であり、「仕事術」である。タイトルでは直接示されていないが、「結果を出す人」を目指すことが目標とされていて、そのための具体的なノウハウの開示が主要な目的になっている。

つまり、まず目的として「出世すること、成果・結果を出すこと、年収を上げること」が念頭に置かれ、そのために必要なノウハウ、それも具体的なノウハウが開示されるのが「ビジネス書/仕事術」系統の特徴であると言える。

「出世すること、成果・結果を出すこと、年収を上げること」を簡単に「できるビジネスパーソンになる」と言い換えるならば、「できるビジネスパーソン」になるためのノウハウ開示本こそがビジネス書/仕事術であり、そこで開示されるノウハウが「仕事術」と呼ばれていることになる。

■「できるビジネスパーソン」と個人的なノウハウ

さて、そうしたノウハウを開示する著者らは、基本的には「できるビジネスパーソン」である。そうした人たちは、コンサルタントなどの知識労働者であるか、それに準じる仕事をしていることが大半だ。つまり「個人」で仕事ができる人たちだ。

よって、ここでもまたそのまなざしは「個人」に向いていることになる。会社員という組織人が、「個人」として成果を上げられるようになること。

その要求は、片方では新自由主義や成果主義による要請であろうし、もう一方では仮に組織が倒れたとしても自分の力で食べていけるようなるというある種の保険としての要請でもあろう。どちらにせよ、個人が責任と負担をとる行為である。逆に言えば、ここでもまた「組織」に変化をもたらすようなまなざしは欠けている。少なくとも、この時代の「仕事術」は徹底的に個人的なものであった。あるいは、個人として仕事をする人たちのためのものであった。

そのような「できるビジネスパーソン」は、言い換えれば「仕事ができる人」でしかない。つまり、学術的に「仕事術」を研究している人ではなく、実践において成果を上げている人たちだ。

「ビジネス書ブーム」以前には、そうした人たちの「個人的なノウハウ」が書籍媒体に乗って広まるような土壌はほとんどなかったと言っていいだろう。大企業の社長などが、自伝的に語る書籍はたくさんあれど、「具体的かつ個人的なノウハウ」を語る書籍はほとんどなかったのだ。

しかし、「ビジネス書ブーム」以降、そうしたことは何も珍しくなくなった。個人が自分のノウハウを──あたかも成功法であるかのように──語ることは、普通で当然のような行為になったのだ。

この社会を背負っていくような人間になる、という目標ではなく、自分に求められている「成果」を出すという目標を達成するためのノウハウ。それをお金を出して取得したという人たちが、その時代にはたくさんおり、その熱量を集めるのが「ビジネス書」というジャンルであった。

逆に言えば、企業内においてそのような「個人の技術」は、たいして開発もされていなければ、共有もされていなかったのであろう。慣例主義が横行する企業では、先輩のやることを真似していればいいのだし、そもそも「生産性」など真剣に考えてこなかった企業も多いだろう。しかし、日本経済の行き詰まりと共に、そうも言っていられなくなった。そして、常に負担が回ってくるのは現場の人間である。

そうした現場の人たちが切実にノウハウを求め、「できるビジネスパーソン」がその要請に応えて手持ちのノウハウを開示していた、というのが2010年頃の構図だったのであろう。

そのブームの中で、普通なら書籍を読まない人たちが「ビジネス書」を手に取るようになり、そこから本による情報摂取を一つの手段として捉えるようになった、という傾向はあったように思う。つまり、ここでもまた新しい扉が開かれていたのである。

■仕事術とライフハック

もちろん、「ビジネス書・仕事術」の時期は、ライフハックブームとも重なっている。むしろそれは地続きなものだと言えるだろう。「できるビジネスパーソン」が書籍メディアを通じてそのノウハウを開示していたのに対して、そうでない人たちがインターネットメディアを通じてノウハウを開示していたのがライフハックであった、という違いがあるだけだ。

仕事以外にも視線を向けるという違いはあるにせよ、ライフハックもまた「仕事」を内包するものであり、仕事術とライフハックには通じるものが多い。しかし、より世俗的な「目標」を設定し、そのために具体的な「ノウハウ」を提示するという姿勢は「仕事術」において強く出ている。それは、少なくとも一般的な「仕事」というものが、そうした観点から理解されているからであろう。

あるいは、そうした「仕事術」の観点において、「ライフハック」が理解されてしまった、という経緯もあるのかもしれない。それが「ねじ曲がったもの」なのかどうかはさておき、そういう理解がなされてしまう土壌が存在していたことはたしかだろう。

■時代の変化とメディアの役割

以上、知的生産の技術と仕事術の構図について駆け足でみてきた。

総じて言えるのは、まず何かしら時代の変化が感じられており、その変化に対応したいという想いが社会的に存在していること。次いで、その想いに応える「メディア」が存在していること。この二つである。

知的生産の技術は、情報産業・社会の到来が予見されており、それを個人に伝えるための「新書」というメディアがあった。

仕事術は、日本産業における労働の「知識労働化」と能力主義の要請があり、それをクリアするためのノウハウを伝える「ビジネス書」というメディアがあった。

ライフハックは、上記二つの流れを引き継ぎ、新しいIT社会と個人主義への対応において、個々人のノウハウを共有するための「インターネット/ブログ」というメディアがあった。

結局のところ、ある種のブームというのはニーズだけでは生まれないのだろう。そのときホットなメディアとセットになってこそ、そしてその両者の相性が良いからこそ生まれるものだと感じる。

では、「ライフハック」以降はどうなのであろうか。そこではどんな要請があり、どんなメディアが活躍するのだろうか。その点については、また次回検討することにしよう。

(次回に続く)

○「おわりに」

お疲れ様でした。本編は以上です。

なんとか体調が戻ってきた感じがあります。さすがに100%の仕事量に戻すことはできそうもありませんが、とりあえずこのメルマガは通常のボリュームに戻していきたいと思います。

それでは、来週またお目にかかれるのを楽しみにしております。

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