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TODOリストを破綻させる / 正規表現の勘所その1 / 『ファスト教養』を読む その2

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2022/10/17 第627号

「はじめに」

イベントのお知らせです。10月18日の火曜日、午後1時からTwitterのスペースで池谷和浩さんとお話しさせていただきます。

収録は録音されるので、リアルタイムでなくても収録後、上のURLから再生できるかと思います。

「テクノロジーカルチャー」については、このメルマガ622号でも言及しましたが、一体どんなお話ができるのか今から楽しみです。

〜〜〜ポッドキャスト〜〜〜

ポッドキャスト、配信されております。

◇第百十五回:Tak.さんとノート術と執筆術の違いについて 作成者:うちあわせCast

◇ゲスト回BC048『はたらくiPad いつもの仕事のこんな場面で』 | by 倉下忠憲@rashita2

うちあわせCastでは、いくつかの「知的生産の技術」が持つ違いに注目しました。結果として、新しいフレームが提示できたような気がします。

ブックカタリストは、ゲスト回でした。『はたらくiPad』の著者である五藤晴菜さんをお迎えして、本の執筆話やiPadの有用性についてお聞きしました。

よろしければ、お聞きくださいませ。

〜〜〜ページを育てる〜〜〜

シゴタノ!で連載している「知的生産の技術書100選」を補佐するために、以下のページを作っています。

◇知的生産の技術書100選 - 倉下忠憲の発想工房

連載のURLとそこで紹介されている本がリストアップされているのですが、当然Scrapboxですので、書名などがリンクになっています。すると、その書名について言及したページ群が関連ページに表示されます。

実際その関連ページをご覧頂くとわかるかと思うのですが、けっこうな量です。自分がこのテーマ──つまり、知的生産の技術──に関して残してきたさまざまなノート(/カード)が一気に集合している感があります。

アニメでたとえれば、最終回にこれまで登場してきたさまざまな仲間たちが一気に集結する感じです(限られた人にしか伝わらないたとえ)。

この風景は実に壮観なわけですが、重要なポイントは、私がはじめからこの風景を意図してページ群を作ってきたわけではない、という点です。

まずこのページを作り、それに合わせて他のページを作ってきたのではありません。個別に本を読み、その本についてのノートを(リンクつきで)残してきただけです。その後に、本を列挙したページを作ると、これまでのノートが集結した。つまり、ノット、トップダウンなわけです。

数年かけてページを蓄積した結果として、こういうページが作れるようになったわけですが、それこそが「デジタルノート」の真骨頂だと思います。少なくとも、アナログのノートでは到底無理な話でしょう。

こういう「デジタル」でしか得られないノートの効用を、広めていけたらいいなと思います。

〜〜〜別のカタチの本作り〜〜〜

ちょっと考えたことがありました。

たとえば、私が自分の企画としてセルフパブリッシングをする場合、編集者さんを雇って本を作ったら、おそらく採算は合わなくなるでしょう。1万冊くらい売れてくれれば話は別ですが、毎回ホームランを期待するのは「経営」とは言えません。

よってこれまでは「編集」を依頼することは考えていなかったのですが、別の視点もありうるな、と気がつきました。企画の主体者が私ではなく、その編集者さんだったら別の計算がありうるのです。

私は私で、自分の本作りを進める。そういう主要なプロジェクトの構成は変わらない。一方で、編集者さんが自身のプロジェクトとして、私が書いた原稿(たとえばブログやメルマガなど)をチェックして、まとめたら本になりそうなものをピックアップし、構成する。私はその原稿を書き直して編集者さんに返す。編集者さんは原稿を組んで電子書籍にする。

こういう体制であれば、私のコミットは最小限で済みます。サブプロジェクトくらいにおいておいても成立しそう(な気がします)。

もちろんこの場合、利益の分配が鍵でしょう。主な作業を編集者さんがやっている、ということを念頭において分配を検討する必要があります。

でもって、そこさえクリアできれば、こういうやり方はありではないかな、という気がします。

言うまでもなく、現状ではまったくの空想ではありますが、「かつて書いた原稿」が山のようにあり、とても自分だけでそれらを整理するのは不可能なので、こういうやり方も一度検討してみても良さそうだと感じます。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のストレッチ代わりにでも考えてみてください。

Q. 倉下の過去原稿から何か企画を立ち上げるとしたらどんなアイデアがありますか。

では、メルマガ本編をスタートしましょう。今週は「TODOリスト」についてと、二つのエッセイをお送りします。

TODOリストを破綻させる

今回は「TODOリスト」について書いてみます。

先に書いておくと、今現在、倉下はいわゆる「TODOリスト」は使っていません。いくつかの経験を経て、そのような判断に至ったのですが、今回はその結論ではなく、そこにいたる道のりが重要ではないか、という話をしてみたいと思います。

■TODOリストの功

もしあなたが、まったくのタスク管理初心者で、さあこれからタスク管理をやりましょうということになったら、真っ先に取り掛かるべきなのが、「TODOリストを作ること」でしょう。

冗談抜きに、こうしたリストを作るのと作らないのとでは天と地ほどの差が生まれます。たかだかリストでそんな大きな違いが生まれるわけない、と思われる人ほど大きな差が生まれるでしょう(記憶力を過信している可能性が高いからです)。

それこそ、暗算と電卓を使うくらいの差が生まれるはずです。

「やろう」と思いついたことを書き留めておき、必要に応じて追加したり、移動したり、削除したりする。そして、実行を進めながらチェックをつけて進捗管理をする。

何かしらを「管理」するための最も素朴でシンプルな手段がこうしたリストの作成だと言えます。

だから、タスク管理をしようとなったら、「TODOリストを作る」からその一歩を始めるのはごくまっとうな話です。

■TODOリストの罪

一方で、何も考えずにそうしてTODOリストを作っていても、解決できない問題があります。たとえば、「忙しすぎる」という問題がそれです。

本当に当たり前の話ですが、24時間という時間に26時間分の作業をつっこんでもどうにもなりません。TODOリストを作っても、それは同様です。

TODOリストを作ることで、「やること」を思い出す時間が多少減ったり、段取りがうまくなることで作業の連絡がスムーズになったりする「効率化」が起こることはありますが、それでも2時間分の「空白時間」を捻出することはまずできないでしょう。

結局のところ、TODOリスト作りでやっているのは、「やることの整理」です。それ以上でも、それ以下でもありません。

ノウハウ系コンテンツが、「これさえやれば(すべて)うまくいく」的に効能を大げさに謳うことで、実際にそのコンテンツが具体的に何をもたらしているのかを曖昧にしている現状があり、あたかもTODOリスト作りが「すべての問題解決をもたらしてくれる銀の弾丸」のように認識されることがあるのですが、もちろんそんなわけはありません。「やることの整理」は「やることの整理」以上のものではないのです。

結果的に、何も考えずにTODOリストを作っていても、つまりTODOリストさえ作っていれば仕事に関する問題は何も起こらないと認識しているだけでは、いずれ破綻がやってくることは避けられません。TODOリストの破綻です。

■TODOリストの破綻

本当に至極簡単な話なのです。自分の「やること」をリストに書き込み、終わったらそれを消す、という運用をしているだけでは、少しずつTODOリストの項目は増えていき、やがてそれを目にするのも嫌になってきます。

特に、「タスク管理」という救済のノウハウを求めている人ほどそうなります。なぜなら、そういう人は忙しい──つまり「やること」を過剰に抱えているからです。あるいは、過剰に抱える傾向を持っているからです。

そもそも、「やること」と実際に実行することが適切にバランスしているなら、「管理」の必要性はそこまで感じないでしょう。目についたものから着手していけば、いつかは終わるはずです。そんな平和な終わり方ができていないから、タスク管理というノウハウを求めるようになるのです。

しかし、TODOリストを作ることは、あくまで「やること」の整理でしかありません。それをやっているだけでは、「やること」を過剰に抱えている状態はまったく改善されないのです。だから、どこかの時点でTODOリストの項目が増大化し、やがてその運用が破綻してしまうのです。

■デイリータスクリストという解

だから私は今「デイリータスクリスト」という手法をベースに日々の「やること」を管理しています。このリストのいいところは、「その日やること」だけにフォーカスしてリストで管理することです。その性質によって、どれだけ大量のやり残しが出たとしても、次の日には「きれいなタスクリスト」を手にすることができます。心機一転、一日をスタートできるのです。

このことを逆に見れば、デジタルツールなどでその日に終わらなかったタスクを自動的に次の日に持ち越してくれる機能を持ったものは、たとえ日ごとのタスクを表示してくれているにしても、実際の運用でいえばTODOリストと変わらないことになります。最初の頃は気持ちよく使っていけても、時間が経てば経つほど、タスクの「澱」が溜まってゆき、いつかは破綻してしまうのです。

だからこそ、明確な区切りを持ったデイリータスクリストを毎日作ることが大切なのです。

■経験から理解できること

よって、最終的な結論としては「デイリータスクリスト形式で運用した方がよい」となるのですが、一方でそこまで単純な解法にしてしまってもいいものだろうか、という疑問もあります。どういうことでしょうか。

私がデイリータスクリスト形式で運用できているのは、「TODOリストは、そのままだとすぐに破綻してしまう」と実感として知っているからです。体感的に理解している、と言い換えてもよいでしょう。

その理解は、実際にTODOリストを作り、それを破綻させた経験から来ています。もっといえば、何度もTODOリスト作りにチャレンジし、何ヶ月か後に失敗に至った経験から来ているのです。

私はそうした経験から、「なるほど、人間ができる"やること"には限界があるのだな」としみじみ納得しました。あれもこれもやろうとしても、達成できるものではない。魔法でも使わない限りは、すべての「やること」を成し遂げることは不可能なのだ、と。

そうした理解があるからこそ、デイリータスクリストを作るときもむやみやたらにタスクを詰め込んだりはしませんし、ある時期にコミットする「プロジェクト」もその上限を3つまでと定めています。

そのような運用方法は、記述できる「ルール」ではありますが、そのルールの裏側に体験的な理解があることは忘れてはいけません。盲目的にルールに従っているのではないのです。「どうせ"やること"のすべてはできないのだから、限って運用しよう」という想いがあるからこそ、そのルールが機能しているのです。

■失敗を経る

そのような体験的理解がルールを裏書きしてくれるのだとしたら、一度くらいは「TODOリストを破綻させる」という経験を積んだ方がいいのかもしれません。

私としては、さまざまな試行錯誤と失敗を繰り返してきて、一つの「結論」に達しているので、これから同じような道を歩く人には挫折してもらいたくないと思って、その結論をダイレクトに伝えたくなりますが、そのような配慮はもしかしたら「行き過ぎている」のかもしれません。

もちろん、挫折は回避できるのが一番ですが、「TODOリストを破綻させる」ことは失敗ではあっても、挫折ではないでしょう。むしろ、そうした失敗を挫折に変えてしまうような何かしらの因子があるはずなのです。

逆に言えば、そうした因子を取り除き、TODOリストを破綻させた後でもその経験を活かして新たなる試行へと挑めるアプローチが取れるならば、いろいろなことをそこから学び取ることができるようになるでしょう。

むしろ「これが正解だ」と大上段に構えるよりも、「私はこういう挫折をくぐり抜けて、こういうやり方に至りました」というプロセスを伝える方が、実際は「親切」なのかもしれません。

(次回は作業記録の読み返しについて)

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