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メモの断片性 / iPhoneからTextboxにメモを送る / 本を書くことについて

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2024/02/26 第698号


はじめに

Kindleストアにて、「Kindle本 新生活セール」が3月5日まで開催されております。

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だいたい半額くらいになっていますので、よろしければこの機会にチェックしてみてください。

〜〜〜ブログ筋〜〜〜

最近、原稿やら原稿やら原稿やらに追われていて、R-styleを「あまり」更新していませんでした。

で、気分転換もかねてちょっと更新してみようとページを開いたら、前回の更新日が2024年01月10日。「あまり」どころの騒ぎではありません。もう一ヶ月以上も更新していなかったのです。

というわけで、記事を書いたわけですが、めちゃくちゃ筆が進みません。腕か頭に重りでもついているんじゃないかと錯覚するくらいです。

よく言われることですが、書くことを続ければ書きやすくなりますし、その逆に、書くことから遠ざかると書きにくくなるのでしょう。そうした構図は「筋肉」によく似ているので──使えば鍛えられるし、使わないと衰える──、「ブログ筋」というメタファーを使ってみてもよさそうです。

ここでのポイントは、「頑張ってブログ筋を鍛えよう」と鍛練に燃えることよりも、「しばらく書いていないのだから、あまり書けなくてもしゃーねーな」と受け入れることです。だって、筋力が衰えているんだから気合いでどうこうできるものではありませんし、もちろん頭の良さ・悪さも関係はありません。すべて筋力のせい。

そういう責任転嫁の仕方も、気持ちハックの一種だと思います。

〜〜〜『自分の「声」で書く技術』〜〜〜

フリーライティングについて書かれたピーター・エルボウさんの本が翻訳されました『Writing without Teachers』という本の翻訳です。

◇Amazon.co.jp: 自分の「声」で書く技術――自己検閲をはずし、響く言葉を仲間と見つける eBook : ピーター・エルボウ, 岩谷聡徳, 月谷真紀: 本

多くのことは述べません。「書くこと」に困難を覚えている人、書こうと思っているのにうまく書けなくて忸怩たる思いを抱いている人は、ぜひ本書を読んでみてください。まぎれもなく名著です。

〜〜〜カードビューの渇望〜〜〜

以前紹介したように、お試しでUpNoteを使っています。動作はきびきびとしており、必要最低限の機能があって、順番の入れ替えが可能とまったく不満がありません。ただ一点を除いて。

最初のうちは何の不満もありませんでした。「これが解だ!」と強く思っていたほどです。しかし、ある程度使っていて気がつきました。カードビューがないのです。

カードビューは、Scrapboxでは標準であり、Evernoteでも選択肢として存在しています。しかし、UpNoteにはそれがありません。常にリストとして表示されるのです。これが地味に痛い。

「たかだか見え方の問題だろう。たいしたことない」

と思われるかもしれません。実際私もそう思っていました。「思っていた」というか、ノートツールを選ぶ上で、カードビューの有無が要件に上がっていなかったのです。

しかし、しばらく使い続けていくとどうにもこうにも物足りません。特に保存されるノートの数が増えてくるほど、カードビューで閲覧したい気持ちが高まります。

世の中には、「失ってみてはじめてその価値がわかる」という言説が溢れていますが、まさにこれも同じです。これまではずっとカードビューがあるノートツールを使っていたので、それがあって当然で、どれくらい強いインパクトを持っているのかに注意を払えていませんでした。

今回カードビューがないツールに情報を蓄えたことで、自分にとっての重要性がよりはっきり理解できた感じがします。

だったら、どうするのか?

なかなか難しい問題です。Notionに移行することはまずないでしょう。カードビューなしのノートに慣れるという選択肢はありそうです。Evernoteをもう一年だけ使ってみる、という選択肢もなくはありません。

こんな風に、デジタルツールはいろいろ選べる分だけ、悩みは深まります。もうしばらくは、ノートツールの探索は続きそうです。

皆さんはいかがでしょうか。ノートツールを選ぶ先に「この点は外せない」という重要なファクターはあるでしょうか。もしあれば、倉下までお知らせください。

では、メルマガ本編をスタートしましょう。今回はメモの断片性、マニアックなメモシステム、本を書くことについてお送りします。

メモの断片性

世界で一番有名なメモは、きっとフェルマーが残したメモだろう。

1607年にフランスで生まれたピエール・ド・フェルマーは、「数論の父」と呼ばれるほどの数学者であった。その彼が、『算術』という古代ギリシャの数学者ディオファントスが著した本の研究を進めていく中で、その本の余白に48の注釈を書き込んだエピソードは有名である。

そうした書き込みで示された命題のうち、47個については証明あるいは反証がなされたのだが、最後の一つについて長年解かれずに残っていた。以下のようなメモだ。

>>
立方数を2つの立方数の和に分けることはできない。4乗数を2つの4乗数の和に分けることはできない。一般に、冪(べき)が2より大きいとき、その冪乗数を2つの冪乗数の和に分けることはできない。この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる。
<<

これが多くの数学者を悩ませた「フェルマーの定理」である。フェルマーの定理は、メモから始まったのだ。

■メモは断片的な存在

もしフェルマーが『算術』の余白ではなく、きちんとした帳面にその「真に驚くべき証明」を書いていたら、私たちはそれを「メモ」だとは認識しなかっただろう。むしろ「ノート」と呼ぶはずである。

私たちの語感において、メモとは断片的、破片的、不完全的、未完成的な性質を持っている。「きちんと」は書かれていないもの。汝の名はメモなり。

なぜ私たちはそんな不完全なものを書き記すのだろうか。もちろん、私たちの記憶が不完全だからだ。あるいは不安定といってもいい。ちょっと思いついたことでも、次の瞬間には思い出せなくなる。四六時中活発に頭を動かしている数学者なら特にそうかもしれない。

後から思い出せないと困るので、思い出せるように書き留めておく。そのようにして不安定な記憶の性質を補助すること。

それが私たちがメモを書き留める理由であり、メモに求める機能でもある。

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