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セルフマネジメントとそのためのツールについて

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2021/11/22 第580号

○「はじめに」

ポッドキャスト、配信されております。

◇第八十九回:Tak.さんと第三回『Re:vision』会議 by うちあわせCast

今回はガチの「うちあわせ」でした。特に前半は本当に打ち合わせをしています。そういう「内幕」がのぞき見られるのもこのポッドキャストの面白い点ですね(自分で言う)。

〜〜〜macOS Monterey〜〜〜

先日、手持ちのMacbook Airを「macOS Monterey」にアップデートしました。動かなくなるアプリがあるかもとちょっと心配していましたが、実際は問題なく移行できました。

で、以前のバージョンでも特に困ってはいなかったのですが、気になっていたのが「ショートカット」です。iOSアプリにもあるAppleの公式アプリケーションで、自動処理を自分で作ることができます。コードの記述を覚える必要は(あまり)なく、パーツを配置し、それらをつなげていくことでアルゴリズムが実装できるようになっています。

パソコンであれば、自分でプログラムを書くことで対応できることも多いのですが、アプリAからアプリBにデータを渡す、といったことはこの「ショートカット」を使ったほうが便利です。

以前なら、AppleScriptがその役割をはたしてくれていたのですが、Evernoteのver.10がいまだにAppleScriptに対応してくれないので、ノートを使っていろいろやるなら「ショートカット」が便利そうです。

また、いろいろ触ってみて、情報をまとめたいと思います。

〜〜〜『新版 ぎりぎり合格への論文マニュアル』〜〜〜

本読みには「嗅覚」がありまして、事前にその本が面白いかどうかを高確率で判定できるのですが(半分冗談です)、『新版 ぎりぎり合格への論文マニュアル』はタイトルからして、もう面白そうです。

で、実際に買って読みはじめたのですが、ドンピシャでした。戸田山和久さんの『新版 論文の教室 レポートから卒論まで』のノリが好みならば、この本も楽しめると思います。

〜〜〜厳かな感じのするコード〜〜

最近読みはじめたもう一冊の本に『Java言語で学ぶデザインパターン入門第3版』があります。Javaなんて、20年くらい前に基本情報技術者試験を受けるときに、トレーシングペーパー程度に「さらっと」勉強しただけで、これまでまったくコードは書いてこなかったのですが、「デザインパターン」を学びたいと思ってこの本を買いました。

ちなみに、プログラミングを生業としている人から頻繁に名前を聞いていた本なので、良い本だろうという予測はありましたが(これも嗅覚です)、実際に読んでみたら「なるほど、たしかにこれは良い評価を受ける本だ」と納得した次第です。

で、毎日ちまちまと読み進めているのですが、普段まったくJavaのコードなど書かないので(というか、Javaについて理解していないので)、本当にゆっくりとしか読めません。そういう読書体験はずいぶん久しぶりな気がします。概念の意味を確認しつつ、ゆっくりとページをめくっていくのは読書のたしかな喜びの一つです。

で、話は変わるのですが、サンプルとして書かれているJavaのコードは、短いながらも「重厚」で「厳か」な感じを受けます。その感じが、心理的距離感になっているのですが、よくよく考えたら普段自分が書いているのがJavaScriptやPythonで、いちいち変数の型を書く必要がないからだ、という事実に思い至りました。

Javaのコードを見ていると、英語で"いちいち"冠詞をつけたり、複数かどうかを区別して単語を使っているような、そんな感覚を覚えるのです(だから面倒そうに思える)。

でもって、英語と同じで、それも結局は慣れなのでしょう。ちまちま進めていくしかありませんね。

〜〜〜自分が作りたいもの〜〜〜

ふと思いました。

自作したいと思っているのは、たぶん「タスク管理ツール」ではないのだな、きっと。

と。

たとえば、タスク管理ツールでは、"自作したいと思っているのは、たぶん「タスク管理ツール」ではないのだな、きっと。"という情報をどのように扱えばいいのかがよくわかりません。どう考えてもこれは、"プロジェクト"ではありませんし、"いつかやること"でもありません。自分に対する一種の考察です。そうしたものを保存する場所は、一般的なタスク管理ツールには存在しないでしょう。

一方でその情報は、純然たる「知的生産の素材」とは言えません。それを情報カードに書いたところで、本の原稿に役立つ公算は小さいでしょう。

とは言え、広い意味で「セルフマネジメント」を行うなら、こうした情報は保存しておきたいものですし、もっと言えば「欠かせない」ものですらあるでしょう。

ある種の「思い」と「行動」を、うまくつなげていくような、そういうツールが作れたら面白いなと感じます。

〜〜〜他人の書き直し方から学ぶ〜〜〜

最近、Tak.さんと共同で一冊の本を作っています。共著といえば共著ですし、そうでないと言えばそうでない、という微妙な本作りなのですが、そこで問題になるのが「進め方」です。

電子雑誌「かーそる」であれば、著者の方にそれぞれ原稿を書いてもらい、それらを集めて「雑誌」を構成すれば作業は終わります。そこから逆算して、プロジェクトの「進め方」も設計できます。

しかし、今進めているプロジェクトは、全体の構造をどうするのか、というレベルから話を進めていて、ということは「完成形」がスタート時点では見えていないことになります。当然、逆算して「進め方」を設計することもできません。

よって、そのレベルから「試行錯誤」しているのですが(これが楽しいのです)、ここでのポイントになるのは執筆スタイルの差異です。

私は、アウトライナーは最初の方だけで使い、原稿を書くレベルになるともうテキストエディタしか使いません。それ以降のアウトライナーの出番は「アウトラインを検討するとき」だけです。言い換えれば、本文レベルの操作ではアウトライナーは出てきません。

一方、『書くためのアウトライン・プロセッシング』を読むとわかるようにTak.さんは本文レベルの執筆においてもプロダクト型のアウトライナー(ようするにWord)をお使いです。つまり、その段階での二人の使っているツール(とファイルフォーマット)が違っているのです。

となると、「執筆中のファイルを二人でクラウドで共有して、適宜進めていきましょう」みたいなことができません。

結果、片方が作業を進めてその成果のファイルを相手に渡し、それを受け取った相手は自分のファイルとフォーマットにそれを変換して作業してその結果を相手に渡し、という「非効率」な方法を取ることになります。

ライフハッカーには鼻で笑われかねないやり方ですが、しかしこうしてお互いにファイルをやりとりするやり方を進めていくと、「相手のやり方」が如実に見えてきます。一つのファイルを共有して、それぞれが勝手に作業を進める場合は、相手の作業は「out of range」になってしまうのですが、このやり方だと「相手の作業の仕方」を目にせざるを得なくなるのです。そしてそれが、ものすごく「執筆の勉強」になります。

別に相手のやり方をそのままパクってどうこうする、というのではありません。そうではなく、自分とは違う相手のやり方を目にすることで、「自分のやり方」が際立って理解できるようになる、というのが近しいでしょうか。当然それが理解された後、何かしらの改善が行われることもあるでしょうし、そこで相手のやり方を参考にすることもあるでしょうが、それは副次的な話です。

自分がやっていることを、自分で自覚する。

これを為すもっとも効率的な方法が、「他者」を入れる、ということです。これはもう間違いない話でしょう。

今後もいろいろな人と共同執筆を行い、本作りを行いながら、それと並行して「執筆の勉強」も深めていきたいと思います。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のウォーミングアップ代わりにでも考えてみてください。

Q. 皆さんは、どんな情報を、どんな風に管理したいと感じていますか。

では、メルマガ本編をはじめましょう。今回はTextboxについての話を受けて、「セルフマネジメントツール」について考えてみたいと思います。

○「セルフマネジメントとそのためのツールについて」

ここまでで、Textboxの内側と外側を確認してきました。詳しい実装はわからなくても、全体的な雰囲気は掴んでもらえたのではないかと思います。

情報そのものはテキストファイル(mdファイル)で保存し、その見た目はHTMLで装飾し、その関係性は「リンク」と「ボタン」で表現し、それらを配置するindex.htmlをローカルサーバーで閲覧するツール。それがTextboxです。

当初は、「デジタル版の読書手帳」としてスタートしたこのツール開発は、結果的により大きな領域に踏み出すことになりました。前回「ファイル一覧」で紹介した通り、読書まわりの情報もありながらそれ以外の情報も含まれています。今後はそうした情報がよりいっそう増えていくことでしょう。

そういうことが起こったのは、Textboxに保存できる情報の「自由度」がきわめて高かったからです。基本的に何でも(≒パソコンで扱える情報なら何でも)保存ができます。その土俵の広さが、汎用的なセルフマネジメントツールとしての利用を可能にしたのです。

今回は、そうした「汎用的なセルフマネジメントツール」の意義について検討してみます。

■二つの自由さ

まず、復習しておきましょう。Textboxは二つの自由さを持ちます。内容的自由さと構造的自由さです。

内容的自由さとは、一つのファイル(ノート)に何を記述するのかが自由である、ということです。もう少し言えば、そうして記述されたものが、どう「表現」されるのかというスタイル・フォーマットが自由だ、ということです。

アナログの場合は、記入スタイル=表示スタイルなので事情はもっと簡単なのですが、デジタルではそれが分離できます。テキストファイル→PDF/EPUB、HTMLファイル→Webページなどを思い浮かべればわかりやすいでしょうか。記述された形と、それを「閲覧する」形が同じとは限らないのです。

こうした「分離」がデジタルツールの面白さの一つでもあるのですが、ある種の「ややこしさ」にもなっています。パソコンに慣れていないユーザーが苦手意識を感じる要因だとも思います。

が、ここでは"面白さ"の方にフォーカスしましょう。

たとえば、テキストファイルで以下のように要素を縦に並べていても、

・<button class="btn btn-outline-secondary linkbtn">ページ呼出</button>
・<button class="btn btn-outline-secondary linkbtn">Board</button>
・<button class="btn btn-outline-secondary linkbtn">help</button>

そのファイルを「閲覧」したときに、縦ではなく横に並べることが可能です。

さらに行間を調整したり、ボタンの色を変えたり、そもそもボタン風でなくしたりもできます。しかも、一度作ったその「見え方」を、後からいくらでも変えていけます。自由自在です。

アナログでは一度記述したら、その内容と共に「見え方」も確定されてしまうのですが、デジタルツールではその確定は起こりません。「見え方」はいくらでも自由に変更できます。

以上は、「デジタルツール」が持つ基本的な自由さです。

Textboxではその自由さを存分に発揮させられます。すべてのファイル/ノートについて、自分で見え方をデザインできるのです。それも「スタイル」を使ってそれが行えます。

たとえばEvernoteでも、情報の「見え方」をいくらかはデザインできます。フォントカラーやフォントスタイルを(ある程度)変更することができます。ver10からは、「見出し」などのフォーマットを利用することもできるようになっています。こうしたフォーマットが使えると、ページの記述がすごく楽になります(情報に構造を与えると、似たような部品が何度も登場するため)。WordやScrivenerをお使いの方ならばお馴染みの機能でしょう。

"ある部分を見出し2に設定したら、見出し2用に指定してあるスタイル(フォントサイズやフォントカラーなどの要素)が自動的に適用される。別の部分も見出し2に設定したら、それも同じスタイルが適用される"

こういう統一化の機能がスタイルにはあります。しかも、見出し2を設定した後で、"見出し2スタイル"を変更したら、すべての見出し2要素で見た目の変更が行われます。「後から自由に見た目を変えられる」を統一的に行えるのが「フォーマット+スタイル」機能の良さです。

しかしながら、Evernoteでは、その機能がきわめて貧弱です。設定できる見出しのレベルは大中小の三段階しかなく、それ以外の要素は本文しかありません。一応、スタイルの上書きは可能なのですが、フォントサイズとフォントファミリーの変更ができても、なぜかフォントカラーは固定されてしまいます(謎)。

どうにも「あと一歩」感が拭えないのですが、このEvernoteですら「カスタマイズできる方」に属するのがデジタルノートツールの現状です。

"見た目に関してはほとんどツールに固定されている。変えられるにしても極く少数の要素に固定されている。あるいは「フォーマット+スタイル」の形になっていないので、統一的な記述をするのに向いていない"

こういうツールが多いのです。一言で言えば「不自由」なのです。そうなると、ツールが準備した「見え方」にこちらが合わせなければなりません。つまり、スタートの時点で「自己の裁量が働かない」要素がたっぷりあるわけです。それはセルフマネジメントツールの在り方としてどうなのか、という疑問が私にはあります。だって、自己の裁量を発揮するのが「セルフマネジメント」ではありませんか。そこにねじくれた状況を感じ取ってしまいます。

■構造的自由さ

Textboxのもう一つの「自由さ」は、"構造的自由さ"です。個々のファイル/ノートをどのように「統合」するのかについての自由がある、ということです。

Textboxの二つの「自由さ」は、関連して存在しているのでどちらかだけを取り出すことはできませんが、それでも思考実験として考えれば、より重要なのはこちらの自由さでしょう。でもって、現状のデジタルノートツールで圧倒的に欠落しているのがこの「自由さ」です。

たとえばNotionというツールで真っ先にデザインされるのは、個別の具体的なページではなく、「トップページ」でしょう。そして、それを「ダッシュボード化」することが目指されると思います。昔のYahoo!のように、入り口である「インデックスページ」を設計するわけです。

"情報を使うための情報"

それが鍵を握ることは想像に難くありません。左に表示されるサイドバーで「カテゴリー」を管理し、それぞれのカテゴリーの「入り口」のページを作っていく。おそらくそういうプロセスになるでしょう。それをかっちり作れると、いかにも「情報管理ができている」という感覚が湧いてきます。

そうしたトップページの重要性については、Evernoteも認識しており、ver.10からはHome画面という新しいビューが追加されました。さまざまな性質の情報を一括で閲覧する(つまり、情報を統合的視点で管理する)ためのビューです。そのビューは、複数のガジェットで構成されており、自分で配置を決めることができます。「自分のダッシュボード」が作れる、というわけです。

こうした機能は素晴らしいものですが、やっぱりどこか「あと一歩」感があります。ツール開発者が想定した「自由度」の中での「自由さ」だからです。

Evernoteはまだ現状では自分で「ガジェット」を開発することはできませんし、Notionもページの中のデザインはできても、Notionそのものもの見え方をカスタマイズすることは(通常の手段では)できません。サイドバーを横ではなく下に配置する、といったことはできないわけです。

しかし、本来はそうしたデザインすら可能なことが「デジタルツール」の良さなのでした。便利なツールを提供してもらっている見返りとして、私たちはそういう「デザイン上の自由さ」をかなりの部分手放してしまっているわけです。

■ツールの自由さはどこまで必要か

では、そういう「デザイン上の自由さ」はどこまで必要なのでしょうか。

ここで「手帳」について考えてみましょう。

(下につづく)

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