Scrapbox知的生産術11 / 難しい行為をどう伝えるか / 考える花火の面白さ
「はじめに」
ポッドキャスト、配信されております。
◇第百八回:Tak.さんとポストEvernote時代について 作成者:うちあわせCast
◇BC041 『THINK AGAIN 発想を変える、思い込みを手放す』 - by goryugo | ブックカタリスト
うちあわせCastでは、「Evernoteとその後のツール」のお話をしました。別段Evernoteは「終わった」ツールではありませんが、最近になって多様な情報ツールが生まれていることは間違いないので、一旦「これまでの歩み」を振り返っておくことは有用ではないかと思います。
ブックカタリストでは、ごりゅごさんが『THINK AGAIN』を紹介してくださりました。著者のアダム・グラントさんは好きな作家なので、自分も読むのが楽しみです。
〜〜〜リバイブ月間〜〜〜
「そうだ、7月は買ってある本を読むようにしよう!」
と突然思い立ちました。この思いつきには「(なるべく新しい本を買わずに)」という宣言が暗黙に隠されています。
積読本が増えていくのは日常茶飯事なわけで、今さらにそれに焦っても仕方がないわけですが、かといって「まったく何もしない」のも違う気がします。
少し前は、「一冊本を読み終えたら、新しい本を買っていいことにする」なんて自分ルールを定めたこともありますが、もちろんうまくいくはずもありません。そんなものでブレーキを踏めるくらいなら、部屋が本で溢れたりはしないのです。
なので、一年のうちの特定の期間だけ「(なるべく新しい本を買わずに)買ってある本を読み進める」と決めるのです。「シーズンオフ」な期間を作ると考えてもいいでしょう。
一年間ずっと新しい本の購入を抑制することはあまりにハードルが高いですが、一ヶ月くらいならばなんとかなりそうな気がします。
でもって、そういう「いつもとは違う一ヶ月」を過ごして生活のリズムを変えることは、それまでの「当たり前」を見直す契機にもなるでしょう。
というわけで、倉下の今年の7月は「買ってある本を読む」(Read the book you bought)月間とします。頭文字を無理やり省略して、「Re-by-b(リバイブ)」と読みます。
〜〜〜文章を書く才〜〜〜
ふと思いました。
文章を書くのは苦ではなく、スラスラと書いていけるが、特に文章を書きたいとは思わない人と、文章を書くのが苦手で、すごく時間がかかるけど、ついつい文章を書いてしまう人がいるとして、そのどちらが「文章を書く才がある」と言えるのだろうか、と。
この疑問は、「文章を書く才」の定義に関わっています。
たしかに、文章を生成する能力で言えば、前者のような人が「才」を持っているでしょう。一方で、その人は文章でなければならない理由はなく、他に好ましい媒体があればそれを使って表現するでしょう。つまり、能力的な可能性は持っていても、実際的な活動としてそれが行われる可能性は低いわけです。
対して後者のような人は、文章を生成する能力を持ち合わせてはいないものの、なにはともあれ文章で表現しようとするでしょう。実際的な活動としてそれが行われる可能性は高いわけです。
加えていえば、後者の人は実践の機会が多く、そこにフィードバックの機会がからめば、能力向上の可能性も生まれてきます。はじめにあった差は、時間と共に埋まるかもしれません。
この観点で言えば、才とはある種の欲望だとも言えます。あるいは欲望を起点として変化していく「才」というダイナミックな才能モデルなのかもしれません。
もちろん、この観点はかなり偏った見方です。しかし、欲望を欠いた能力は、なかなか虚しいものであるようにも思います。
〜〜〜読了本〜〜〜
以下の本を読了しました。
『子どもは40000回質問する』(イアン・レズリー)
非常に良い本です。タイトルからは、教育本のような印象を受けますが、実際は人が生きる上で「好奇心」がいかに大切なのかが論じられている本です。
まず広い好奇心を持ち、そこから方向性を持った好奇心と他者に向けた好奇心を発展させること。さらに、そうした好奇心を支える知識を学ぶこと。
そうやって育まれる(あるいは耕される)心の有り様が、共存的な社会ではきっと必要です。
現代社会において「学ぶこと」の大切さは、社会の競争を勝ち抜くためという観点で語られがちですが、実際は、近代的な(モダンな)人間の生き方においてこそ必要なのだ、という観点から理解されるのが望ましいのでしょう。
〜〜〜Q〜〜〜
さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のストレッチ代わりにでも考えてみてください。
Q. 本を買う上でのマイルールをお持ちでしょうか。
では、メルマガ本編をスタートしましょう。今週はScrapbox知的生産術の11と二つのエッセイをお送りします。
「Scrapbox知的生産術11」
かつて梅棹は、「カードをくる」ことの重要性を説いた。その行為こそがカード作りを行う意義であると。決して、カードをたくさん貯蔵して喜ぶためではないと。
さて、自分が書いたカードを「くる」ことで、何が起きるだろうか。
そこで起きるのは、かつての自分の「考え」を読み返し、その「考え」について考える行為だ。では、そこで生まれる「考え」とはどのようなものだろうか。
実態はたくさんあるだろう。
「本当にそうだろうか」と問うこと。「他にはないだろうか」と問うこと。「逆の場合はないだろうか」と問うこと。
最初にカードを書いた時点では思いもつかなかった問いが発生する。あるいは、最初にカードを書いてから、それを読み返すまでの間に得られた新しい情報との整合性を考えることができる。
かつては「XはAである」と書いたかもしれない。しかし、「XはBである」とも自分はその後に書いている。この二つはどう整理されるだろうか。どちらかが間違っているのだろうか。それとも両方の性質を持つのだろうか。はたまた、Aは一見異なるBと同一なのだろうか。
考えることはいくらでもある。かつての自分が考えたことに、今の自分が考えを重ねていける。
これが「カードを書くこと」の意義であり、「カードをくる」ときに発生している現象である。
■第三の選択肢
アナログ式のカードの場合、上記のような「カードをくる」ことは、ぱらぱらと読み返したり、無作為に一枚取り出すくらいしかなかった。もちろん、両方ともに効果が高いものではある。しかし、デジタルであれば第三の選択肢を加えられる。
それが「関連性によるピックアップ」だ。
イメージして欲しい。無限の長さを持つカードボックスがあって、そこに大量のカードが入っている。あなたはその中から一枚のカードを抜き出す。すると、そのカードと内容的に関連を持つ他のカードが、カードボックスから自動的にすっと抜け出てくるのである。
あなたはそれらのカードの中身を読み、それについて考えることになる。当然新しい「考え」が生まれたら、それもまたカードにすればいい。そのときは、目の前のカードと新しいカードをリンクでつなげ、再び関連性によってピックアップできるようにしておく。ある一塊の「考え」を抜き出せるようにしておく。
私がScrapboxでやっていることは、おおむねそういう行為である。
■数が多くなっても機能する
この方式の場合、Scrapboxにどのくらいページがあっても、まったく問題がない。1000ページでも、5000ページでも、気にせず使っていける。
なぜか。
先ほど言ったように、この方式だと一緒に取り出されるページが「関連性」に基づいているからだ。その場合、表示されるページの上限はそう大きく変化しない。
たとえば、全体ページが1000枚のときに関連するページが5ページ表示されるとして、全体ページが50000枚になったからといって関連するページが250ページにはならない。少し増えるくらいか、あるいはまったく増えないこともありえる。
なぜか。
それは、Scrapboxでは自分でリンクをつける必要があるからだ。キーワードを見てツールが勝手にリンクをつけてくれはしない。あくまで、ユーザーが自分で「これをリンクにしたもの」だけがリンクになる。
これは使いはじめたときは不便に感じる。いちいち手動でやらなくても、ツールがリンクになっている言葉を覚えていてくれて、自動でリンクにしてくれたらいいのに、と思う。
が、その方式でページ数が増えていくと、関連するページの数も自動的に増えていく。当然、それらすべてを読み返すのは困難だ。読み返す数を絞ればいいのだが、何を基準に絞ればいいのかがわからない。
一方で、自分で言葉を選んでリンクしている場合は、その「基準」がすでに適用されている。ページを書いたときの自分が「関連する」と思ったものだけに絞り込まれているのだ。
このようにScrapboxでは、過去のカードの見返しを促しながらも、その数が膨大かつ無意味に(というか薄意味に)ならないようになっている。逆に言えば、Scrapboxのリンクを効果的に活用するには、上記のような見返しに意味があるように使っていけばいいことになる。
■不完全なリンクであっても
もちろん、「カードを書いたときの自分」が適切にリンクづけできている保証はない。不完全な人間にといって完全なリンクづけは無理な所業だろう。しかし、それは仕方がない。
適切にリンクづけをしようと先回りしてしまうと、単純キーワードによるリンクづけに走ってしまい、結果的に関連するページがほぼ無意味な状態になってしまう。そのような機能不全になるくらいならば「多少の不都合はある」を受け入れた方が建設的だろう。
また、不都合があるにしても、それを発見した時点で直していけばいい。リンクをつけてまわったり、タイトルを修正したりすればいい。そうしたことを「後から」できることもデジタルツールの強みである。
最初にフォーマットを作ったら、後から変更不可能なアナログツールとは違うのだ。最初から完璧を求めなくていい。不完全でもいいから、そのときそのときの「自分」の判断を生かしていけばいいのだ。
■最低一つのリンク
上記のように関連ページに表示させることは「カードをくる」上でも重要である。また、検索で直接目的のページが見つけられないときに、リンクを辿って見つけることもできる(友達の友達の電話番号を友達に聞く、といった感じだ)。
よって、Scrapboxではページには最低一つくらいリンクをつけておくことをお勧めする。そうしておくことで、ページ全体の活用度がまるで変わってくるだろう。
とは言え、それは「頑張って頭を働かせて、最低一つくらいは関連するものを探しましょう」という指針でしかない。むしろ、そうして頭を働かせることで、そのページのことを思い出しやすくなる、という効果がある。
よって、頭を働かせずに「テキトー」にリンクをつけて終わりにするならば、ほとんどリンクをつけていないと同じである。何度も言うようだが、大切なのは頭を働かせることだ。自分が書いたページについて、何かしらを考えることだ。
それを回避して、ルールのもとでハッシュタグをつけたり、機械的にキーワードをリンクにしているのならば、何もしていないのに何かした気にだけなってしまう。おそらく、脳的にはそうしてハッシュタグをつけたものは「片づいた」ことになって、逆にもう思い出せなくなるだろう。
また、「ルールのもとでハッシュタグをつける」──たとえばEvernoteのことについて書いてあるページすべてに#Evernoteというハッシュタグをつけるなど──をやっていると、必然的にそのハッシュタグは肥大化する。
つまり、関連するページとして表示される数が増え、いずれは扱える数を超えてしまう。よって、「ルールのもとでハッシュタグをつける」こともしなくていい。
ハッシュタグに関しては、頭をどれだけひねっても、適切なリンクが思いつけないときに、しゃーなしにつけるリンク、くらいの位置づけがいいだろう。
ともかく「その方式を続けていたら、将来的に関連するページがどうなるか」は常に念頭に置いておきたいことである。基本的に増える一方であるカードシステムであるからこそ、この問いは大切になってくる。
■
カード・システムは、情報を蓄積するための装置ではなく、自分の考えを育てるための装置である。
もし情報を貯える目的ならば、ハッシュタグによる分類・整理は必須となるだろう。そうやってきれいに情報を取り出せれば誰もがハッピーに慣れる。
しかし、多すぎる情報、関連性の低い情報が表示されることは「考える」ことにとっては有意義ではない。ハッシュタグできれいに分類し、その属性を少しでも持つ情報がすべて表示されたところで、「考える」役には立たないのだ。むしろ邪魔になってしまうことが多いだろう。
だからこそ「情報整理ツール」を使っているという感覚を一度捨ててみて欲しい。もちろん、そうしたツールを持つ必要がないと言いたいわけではない。必要な情報については、別のツールでガシガシため込んでいけばいいだろう。
しかし「考えを育てるツール」では、同じような運用はしなくていい。むしろ「このことについて将来の自分が考えるときに、どのような情報が一緒に表示されたら嬉しいだろうか」と考えてみて欲しいのだ。
カードボックスから一枚カードを抜き出したときに、300枚も400枚も一緒にカードが抜け出てきて欲しいだろうか。それとも、自分が近しいと感じた20枚だけが抜け出て欲しいだろうか。
この問いかけに答えることこそが、デジタル・カード・システムを構築していく上で重要になってくる。
(つづく)
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