見出し画像

Weekly R-style Magazine 「読む・書く・考えるの探求」2017/10/23 第367号

はじめに

はじめましての方、はじめまして。毎度おなじみの方、ありがとうございます。

さて、367回目のメルマガとなります。367は73番目の素数で、この73という数字も素数です。このような〈素数番目の素数〉を「スーパー素数」(super prime)と呼ぶらしいですね。

以上、何の役に立つかわからない豆知識でした。

〜〜〜継続の段階〜〜〜

367号のメルマガがある、ということは、一日一号メルマガを読んでも(そしてそれが閏年であっても)一年間毎日違う内容のメルマガが読める、ということです。継続は力なりと言いますが、改めて振り返ってみると、これはなかなかすごい数字のような気がしてきます。

しかし、改めて振り返ってみない場合は、それほどたいしたことには感じられません。一日一つ2000字ほどのメルマガ原稿を書く。それを月〜金曜日繰り返す。土曜日にそれらの原稿を集めて整形し、冒頭の(つまりこの)「はじめに」を書いて準備終了。あとは日曜日にもう一度頭から原稿を読み直して、問題なければ予約投稿。

以上のルーチンを、ただひたすら、毎週毎週、繰り返してきただけです。一日あたりの負荷で言えば、それほど大きい(あるいは大きすぎる)ようには感じません。が、振り返ってみれば、文字の山が積み上がっています。まさしく継続は力なり。

こうした継続について考えてみると、何かを少しだけやってみることはかなり簡単です。たとえば、メルマガをはじめてみようと思い、それを一ヶ月〜三ヶ月くらい続ける。このくらいなら、当初のモチベーションもまだ燃えていますし、新しい体験がいくつもあるので飽きることもありません。

しかし、時間が経ってくると、当初のやる気の炎は消えおち、同じことの繰り返しとなります。こうなると、継続の第一危機発生です。

その危機をなんとか創意工夫で乗り切れば、そこからの継続は徐々にやさしくなります。「慣れ」が発生するからです。一回一回の動作に、さほど認知資源を振り分ける必要はなくなり、スムーズに(あるいは能率的に)作業を行えるようになります。いちいち歯磨きするときに注意力を要さないのと同じことです。

ここまでれくば、あとはこっちのもので、残りはひたすら続けるだけ……。という風にはいきません。危機はまだ潜伏しています。

たとえば、一年経ち、二年経ち、三年経ち、と長い時間が経過すると、かなり高い確率で「例外的な出来事」や「大きなハプニング」が生じます。自分の病気だったり、身内との悲しいお別れであったり、はたまた大災害であったりと、何が起こるかは予想はつきませんが、何かが起こるであろうということは予想しえます。

そうした出来事もまた、継続に歯止めをかけます。第二危機の発生です。

そのような危機に直面したとき、「もう、ここまでにしておこう」と決めるのか、「それでも続けよう」と決めるのかは、もちろん人それぞれです。やるべきだ感じていても、実際に行動が取れないのであれば、苦しい決断も必要となるでしょう。どうしたって、人の手につかめるものの数は限られています。

とは言え、この第二危機をも乗り越えて継続を決断したのならば、その行為は長期的に継続されるものとなるでしょう。同種の危機が発生したときにも対応できるからです。これでもう安心……とはやっぱり言えません。人生は常に予想がつかないものなので、第二よりも大きい危機が発生する場合がありえます。そのときは、また新しいジャッジメントが求められるでしょう。

このように考えてみると、何かものごとを継続していくためには、一番最初に「やる気」が必要で(でないと行動が生まれません)、その次に「工夫」が必要となり(やる気だけでは続けられない状況が訪れます)、さらにその次に「決意」が必要となる(ある種のコミットを状況が要請してきます)──のではないか、なんて思えてきます。

でもってこれは、人と人との関係についても言えそうです。

〜〜〜ask&election〜〜〜

先週は選挙カーが走り回っていました。そして、大声で名前を叫び回ります。一体全体どうやって名前だけで投票する人を決めればよいのでしょうか。「打倒政権」とか言われても、その後の世界を描けないような人間に私たちの代理者にはなってもらいたくありません。

私は、そう。訊きたいのです。「消費税についてどのようにお考えですか」と。返ってくる答えが政党が準備した通りのスピーチでも構いません。自身の思いが語られたってよいでしょう。ともかく、その人がある政策についてどのような考えを持っているのかが知りたいのです。投票に、本当に役立つ情報とは、まさにそのような情報でしょう。

だから、私はイメージします。自分の選挙区から出馬する立候補者に対して、「〜〜ついてはどうお考えですか」とネットで簡単に質問できるような環境を。

それは、個別の立候補者へのリプライというよりは、──.each()のような──すべての候補者に同じ質問を投げかけるようなツールです。立候補者はその質問に答えないことも、ノーコメントを返すこともできます。それだって立派な「メッセージ」であることは間違いありません。

でもって、その立候補者の回答がネット上にずっとアーカイブされ、過去の回答をいつでも閲覧できるようにする。そうすれば、選挙期間中の答えと、その人が当選後に取った行動の「齟齬」もまた記録されます。それもまた、次回の選挙における有用な情報となるでしょう。

あらゆるシステムは、失敗を想定して構築されなければいけません。投票というシステムもまた、自分が間違った選択をしたと思ったときに、次回その〈失敗〉を有効に活用できる環境が構築されるのがよいでしょう。そういう継続性の中で、おそらくは政治家さんたちの立ち振る舞いも変わってくるのではないかと思います。

〜〜〜たとえ話〜〜〜

妻にたとえ話をすると、会話が止まる場合があります。なかなかやっかいな状況です。

「たとえ話」というのは、まず現在メインで進んでいる会話の文脈があり、その文脈に登場したトピックを、よりわかりやすくするために用いられる会話術だと思うのですが、その際、メインの文脈がすっかり置き去りにされて、「たとえ話」が持つ別の文脈(サブ文脈)に意識がフォーカスしてしまうのです。

たとえば、以下のような感じ。

「それって、(たとえば)麻雀におけるダブルリーチをかけるかどうか問題みたいなものだよね」
「ダブルリーチって関西ローカルのルールじゃなかったっけ?」
※非常に雑な例です。

たとえ話そのものの意味内容は伝わっています。しかし、その文脈をメインの文脈からの参照とはせずに、むしろサブがメインに置き換わってしまっているわけです。議論で言えば、論点がずれている、というのに近いとは思うのですが、感覚的にはウィキペディアのページをスクロールしているうちに誤ってどこかのリンクをクリックしてしまったような状態が近しいです。

こうなると、ポンポン会話が進むことはなくなり中断が多数発生するわけですが、それはそれで意外な話題が発掘されて面白くもあります。会話というのは、なかなか奥深いものです。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない問いかけですので、頭のストレッチ代わりにでも考えてみてください。

Q. もし日本の選挙制度のどこか一つを変えるとしたら、どこをどんな風に変えますか?

では、メルマガ本編をスタートしましょう。

今週も「考える」コンテンツをお楽しみくださいませ。

――――――――――――――――
2017/10/23 第367号の目次
――――――――――――――――

○BizArts 3rd 「ヤバい仕事術について」
 タスク管理を掘り下げていく企画。連載のまとめに入っています。

○艱難Think 「絶対者という終了条件」
 週替わり連載。少しディープめのエッセイです。

○Rashitaの本棚 『謎床』(松岡正剛、ドミニク・チェン)
 Rashitaの本棚から一冊紹介するコーナー。新刊あり古本あり。

○アプリ開発日記 vol.2
 最近注力しているWebツールの開発顛末を書いていきます。

※質問、ツッコミ、要望、etc.お待ちしております。

ここから先は

13,587字

¥ 180

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?