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Webサイトの縦糸と横糸 / 優先順位問題

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2023/04/17 第653号

はじめに

ポッドキャスト、配信されております。

◇BC061『+iPad ちょっとした場面で使えるかんたん活用アイデアノート』 | by goryugo

今回はゲスト回です。下記の本を出版される五藤晴菜さんに、その新刊のお話をうかがいました。

◇iPadの引き出し あらゆる場面で役に立つiPad活用アイデアブック | 五藤 晴菜 |本 | 通販 | Amazon

今みたら、本のタイトルおよび発売日が変更されていますね(よくあることです)。 私の最近のiPadは非常に便利な「動画視聴端末」となってしまっていて、新しいアプリやiOSの動向はほとんどチェックできていません。本来はデジタルノートとしても存分に活躍できる端末だろうと思うので、できるだけキャッチアップしていきたいものです。

〜〜〜『街とその不確かな壁』〜〜〜

4月13日に発売された村上春樹さんの新刊を読みました。

『街とその不確かな壁』

一読した率直な感想は、「ああ、村上春樹作品を読んだな」という感じ。よいとか悪いとかを越えて春樹さん風の作品でした。もちろんそれは、かつて書かれた作品の再構成(というかなんというか)という側面もあるでしょうが、おそらくそれだけではないと思います。

初期の村上春樹作品はデタッチメントが指向されていた、というのはよく聞く評であり、本書の第一部ではまさにそれが再確認されるのですが、第二部から紡がれるストーリーは継承の物語だと言ってよいと思います。しかしそれは、単純なコミットメント+継承ではなく、一度デタッチメントを経由した継承、という少し違った形を成しています。

何にせよ、小説作品の評価、特に自分にとっての評価というのは読み終えた直後にわかるものではありません。それこそ5年、10年経ったあとに心の奥底にその物語の足跡を発見してはじめて理解できる、という類いのものです。

だからこそ、本は本としてこの世に存在しているのだとも言えるのでしょう。いつでも読み返せるように、時間を超えて読み継がれていくように。

〜〜〜課金宣言〜〜〜

「インターネットに幽霊が出る。共産主義という幽霊である」

というセリフはマルクスが書いたものではありませんが(そりゃそうだ)、なんとなく「ツールを無料で使いこなしている自分格好良い」みたいな風潮はライフハックブームの初期頃からずっと続いています。

そんなことを言えば、インターネットそのものがある種の共産主義的な考え方というか「皆で分かち合おう」文化があるわけで、お金儲けが嫌われる側面は昔からあったかもしれません。

それでも、昔は「ツールはお金を出して買う」というのが当たり前でした。それは無料で手に入るものが「フリーソフト」と呼ばれていたことからもわかります。ソフトは有料が当たり前だからこそ、無料なものが「フリー」と呼ばれるのです。

しかしながら、最近はあまり「フリーソフト」とは言わなくなりました。むしろ、無料で使えるのが当たり前で、特別な機能を使うために「わざわざ」お金を払う、という感覚になっています。それはやはり「フリーミアム」的な展開戦略が影響しているのでしょう。私たちの日々のインターネット生活を支えているGoogleからして、基本的には無料で使えるのですから、その世界観が無料ベースになってしまうのも仕方がありません。

とは言え、そうしたフリーミアムを支えるためには、その裏にビジネスモデルが必要なのであって、それがどんなものなのかはユーザーからは見えにくくなっています。良いことをやっているのかそうでないのかもわからない。無料で使えることが安いのか、そうでないのかもわからない。

それって健全な状態でしょうか。

以前紹介したように、私は最近システム手帳を使いはじめています。ペンでフィリルのページに書き込むわけです。当然、これらの道具はお金を支払って使うことになります。そうしたお金で原料費が支払われ、誰かのお給料になっているわけです。

デジタルツールだって同じでしょう。純粋なボランティアやOSSでないかぎり、製品を提供している企業には何かしらの活動費がかかっています。ユーザーがそこにお金を支払わないのならば、どのようにそれは捻出されるのでしょうか。そして、その捻出のされかたについてユーザーはどのくらい理解しているでしょうか。

私が懸念しているのはツールが無料で使えることではありません。そういう状態になっているのはむしろ好ましいと言えるでしょう。しかし、無料で使えることの裏で何が起きているのかがわかっていないことは大きな問題だと思います。オープンソースのツールを使うのと、フリーミアムのツールを使うのは同じではないのです。

その点を考えると、「お金を払ってください。ツールを提供します」という関係は非常に明瞭です。その裏で何が蠢いているのかを心配する必要がありません。

だから最近は、無料ツール至上主義みたいなものから少しずつ距離を置くようにしています。具体的にはこれまでずっとファイルをやりくりして制限内に収めていたDropboxを有料プランに切り替えました。あと、IFTTTもpro+に変更しました。

もちろん、このままずっとお金を払い続けるかどうかはわかりません。それでも「無料でないと使わない」というのではなく、とにかくちょっとだけお金を払ってみることをやっていこうと思います。

それと共に「このサービスなら気持ちよくお金を支払えるな」というサービスを意識的に選んでいきたいとも思います。なんかあまり好きじゃないけども無料だし、のような考え方はやめて「お金を支払うにふさわしい」(worth paying for)ものを選んでいきたいという気持ちです。

皆さんはいかがでしょうか。積極的にお金を払っている(買い切りやサブスクリプション)ツールはあるでしょうか。ツールとそれにお金を支払うことについてどのような考えをお持ちでしょうか。ぜひお話をお寄せください。

では、メルマガ本編をスタートしましょう。今回は、新しいサイト作りをしていて考えたことを少し長めに書きました。加えて、やっかいな「優先順位問題」についても考えてみました。

Webサイトの縦糸と横糸

前回は、新しく作っているWebサイトの「カーム・サイト」というコンセプトを紹介しました。読み手にとってうるさくないWebサイトをつくろう、という試みです。

今回は、読み手ではなく書き手・作り手にとっての視点から、別のコンセプトを紹介してみます。あらかじめ結論を書けば「n個の原理を持つ」となります。それを具体的に検討していきましょう。

■かつての状態

まず、ブログがありました。実際はブログの前に「Web日記」とか「HTML日記」みたいなものもあったわけですが、私がインターネットにおいて文章を本格的に発信しはじめたのはブログ以降なので、ここではブログを起点にしておきます。

ブログはWeblogの略称であり、Web上に「ログ」を残していく営みを指します。当初はインターネットではないメディア、主に新聞記事に対する個人の意見を書き留める装置として機能していたように思われます。日本人は日記を好む文化があるので、日々の出来事をつれづれなるままに書きつづる媒体としてもブログは普及していきました。

Blog的なもの、あるいははてなダイアリーのような日付ベースのコンテンツ管理システムは、きわめて使いやすいものです。なにせ「その日思ったこと、考えたこと」を書けばいいのです。

本のように大きなメッセージを構成するパーツを書くわけではありません。連載記事のように前後の記述に注意を払って書くわけでもありません。それぞれの日に、思ったことを独立した記事として書けばいいのです。非常に気楽でしょう。

その気楽さは、日常のメモ書きにおいて「デイリー方式」を採用するのが楽である、という話に通じるものがあります。デイリー方式であれば、どんなテーマ、内容のものであっても書く場所に困ることはありません。多重に分類できるもの、そもそも分類できないものであっても、「その日」という書く場所が必ず存在しています。全体構造における適切な配置を見つける、といったややこしい問題を避けられるのです。

デイリー方式(ブログ、日記)のこうした記述の気楽さは、TwitterというSNSにおいて一番大きく発現したと言って構わないでしょう。ブログ的な気楽さに加えて、さらに「記事のタイトルを付けなくてもいい」という気楽さも加わっています。配置を気にすることなく、全体構造を意識する必要もなく、さらに本文における構造すら作る必要がありません。圧倒的な気楽さです。

そうした気楽さが、コンテンツの発信をやりやすくしていることは間違いないでしょう。「なめらかさ」が生まれているのです。

■二つの場所の役割

今から振り返ってみると、そうしたSNSがたくさんの人に使われるようになった時点で「ブログ」の役割を再検討する必要があったのでしょう。なにせ役割がすごく似ています。どちらも時系列に情報が並び、全体の構造が存在していません。

しかし、そのときは共通点よりも相違点ばかりに注目していました。つまり「ブログは長い文章が書ける。Twitterはそうではない」と。そうなると、長い文章のときはブログを使い、それ以外はSNSを使うとなるわけですが、文字数制限がない(あるいはきわめて緩い)SNSが出てきてしまうと、そうした線引きはひどく曖昧となってしまい、使い分けに混乱が生じます。

それはそうでしょう。もともと似たようなメディアを小さい差異に注目することで別物として扱っていたのですから。

その当時、つまり10年ほど前に真剣に検討すべきだったのは、「時系列ではない、あるいは時間と共に流れていかない」メディアの可能性でした。そうすることではじめて役割の異なる媒体を使い分けることができ、それによってより「大きな仕事」へと至れたはずです。

■EvernoteとWorkFlowy

しかし、残念ながら私がその構図に気がつけたのはごく最近のことでした。問題意識が芽生えたのが数年前で、明確に問題の輪郭線が浮かび上がってきたのはここ数ヶ月のことです。

気がついてみたら、本当にごく当たり前の話でした。そもそも、自分が何度も言っていることだったのです。

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