Scrapbox知的生産術13 / 準情報商材はなぜ生まれるのか / ブックマークレットの作り方その1
「はじめに」
ポッドキャスト、配信されております。
◇BC042『超没入 メールやチャットに邪魔されない、働き方の正解』 - by 倉下忠憲@rashita2
今回は倉下が、カル・ニューポートの『超没入』を紹介しました。
私自身はメールやチャットにあまり邪魔されない仕事環境ですが、それでも本書が提起する問題は非常に重要だと感じました。
単に個人の生産性を向上させる、といった狭いノウハウではなく、「デジタルが当たり前になっている環境におけるナレッジワークをいかにマネジメントしたらいいのか」という一つ上の視点からの提言になっている本です。
〜〜〜Kakau〜〜〜
Kakauがアップデートした、というツイートを見かけました。
ツールは以下。
触ってみたところ、Stackの機能がとても使いやすくなっていました。
このStackは、簡単に言えばEvernoteのノートブックなのですが、Evernoteと違って、その中身の順番を任意に入れ替えられるようになっています。並べる順番を自分で決められるのです。
今、上の文章を書いていてごく普通の機能のように思えてきましたが、実際はこうした順番移動が可能なツールはほとんどありません。もともと項目移動が可能なアウトライナーは除いて、ノート形ツールではだいたい「作成日順」とか「アルファベット順」などに限定されているのです。
でも、これって本当に不便です。「今はこれがHotだから上の方に上げておこう」や「これはしばらく使いそうにないから下の方に移動させておこう」とやりたいことが少なからずあります。でも、多くのツールではそのニーズが満たせません。
もちろん「更新日順」にしておけば、自分の使用履歴に合わせて徐々に順番が再編されて、Hotなものは上に、そうでないものは下に、という順番は実現できるでしょう。でも、それではイマイチなのです。
「今自分は、これらの情報をこのように配置したい」と思っているのに、それが直後に実現できないのは、どうしても「距離」を感じてしまいます。情報と自分の間に乖離があるように感じられるのです。
別の言い方をすれば、自分の「思い」(あるいは思考)を受け止めてくれるツールだと感じにくくなってしまうのです。
別段Evernoteだって、ノートブックの中身を任意の順番で並び替える機能くらいはつけられるでしょう。アプリケーションのViewを変更し、順番のデータをノートではなく、アプリケーションそのものに保存すればいいだけです。
しかし、長いEvernoteの歴史において、そうした機能が実装されたことは一度もありません。なぜなんだろうと、常々私は疑問に思っています。そういう機能が必要なのかもしれない、と誰も提案しなかったのだろうか、と。
かくいう私も上記の不満をユーザーフォーラムに投稿したことはないので、「同じ穴のムジナ」ではありますが、それでも疑問を持つことは止められません。何か決定的な視点が欠けているような予感すらします。
もちろん、項目が1000個以上もあるならば、その順番を人間の手でコントロールしようとするのは不合理かもしれません。あくまで小さい幅の中において必要な機能、ということはありえます。
でも、それって本当なのかな、という疑問は残ります。手動と自動を組み合わせるような新しい解がありうるかもしれません。
というわけで、かなり話は脱線しましたが、新しいKakauのStackはとてもよいです。
〜〜〜読了本〜〜〜
以下の本を読了しました。
『THINK AGAIN』(アダム・グラント)
『GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代』のアダム・グラントの新刊ということで期待して購入しましたが、若干分厚かったのでなんとなく積ん読に追いやられていました(よくある)。
そんな折、ブックカタリストでごりゅごさんがこの本を紹介してくださり、「なるほど、そういう本だったのか」と思って手に取り、一気に読了しました。
基本的には「再考する」ことの重要さを説いた本であり、その点は『Re:vision』ともメッセージは共通しています。ただし、本書は個人の思考法だけに留まらず、相手に再考を促す方法や、組織に再考を導入する方法など、より広範囲に話題が展開されていました。非常に有益な内容だと思います。
なんにせよ、重要な点はただ一つです。
「人間の思考は完全ではないので、一度考えて終わりにするのではなく、定期的・継続的に考えることを続けていく必要がある」
この手の話だと「人間の思考は完全ではないので、考えても無駄。考えないで実行せよ」みたいな言説が目立ちますが、そういう話はあまりもつまらないですし、実際的とも言えません(他人をコントロールしたがっている人には機能的な言説でしょうけれども)。
物事が高速かつ効率的に決定されていく時代だからこそ、「足をとめて、考える。何度も、時間をかけて考える」ことの有用性を説いていく必要があると思います。
〜〜〜Q〜〜〜
さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のウォーミングアップ代わりにでも考えてみてください。
Q. 今年の冒頭に立てた目標は何でしたか。それについて、今はどのように感じますか。
では、メルマガ本編をスタートしましょう。今週はScrapbox知的生産術の13と、エッセイを二つお送りします。
「Scrapbox知的生産術13」
デジタル・カード・システムとしてScrapboxを使う場合、実際にやることは前回紹介した「カード作り」だけである。それ以上のことは、あまり考えない。
情報整理術や知的生産術に親しんでいる人であれば、「そこからの次の一歩」が気になるだろう。カードをいくつも書いた後の話だ。たとえば、記事を書いたり、原稿を書いたりといったステップである。
基本的にそうしたステップにおいて、デジタル・カード・システムが活躍することはない。そのステップは別のツールの出番であって、DCSは舞台袖に下がることになる。
もちろん、まったくの不可能というわけではない。「やってやれなくはない」程度の可能性はある。が、すこぶる快適に使える、というわけにはいかないだろう。
記事を書いたり、原稿を書いたりするときには、WorkFlowyやDynalistといったアウトライナーを使ったり、各種テキストエディタを用いるのがよいだろう。
だいたいなんでもできてしまうデジタルツールにおいても「適材適所」の考え方は重要である。
■読書猿のScrapbox
別の例として、読書猿によるScrapboxの使い方を紹介しておこう。『ライティングの哲学』に収録されている「断念の文章術」で紹介されている実例である。
まず、全体として以下の四点が挙げられている。
・1. 書きたいテーマについて新たにProjectを作る
・2. まずはページを増やしていく
・3. ある程度カードが増えてきたら、ページを読み返す
・4. まとめないでまとめる
1〜3までは特に説明は不要だろう。私がここまで書いてきたことと同じだ。唯一の違いは一つのテーマに対して一つのプロジェクトを当てることである。
私の運用ではテーマごとにプロジェクトを切り分けず、すべてを一緒くたにして運用している。この方法のメリットは、運用がきわめて楽になる点だ。プロジェクトを切り替える操作が不要になる。
一方で、ジャンルや分野ごとで同じ言葉を違った意味で使う場合などには名前の干渉が起きる問題がある。また、すべてのテーマが混ざっていると「あるテーマについてぱらぱらと読み返す」ことをしたいときに、常にノイズが混ざってしまう。
そのノイズが、新しい発想の刺激になるなどして有効に機能してくれるならばいいのだが、そうした刺激が多すぎて内容をまとめることが阻害されてしまう(発散ばかりが起きてしまう)という問題がある。
最近では、プロジェクトを横断する検索機能も実装されているので、ケースによってはこうしたテーマごとにプロジェクトを切り分ける方法も有用だろう。
で、それらはよいとして最後の「まとめないでまとめる」がポイントである。
まず、上記のようにプロジェクトを作り、ページを増やし、それを巡回していくと、「なんとなくのつながり」が感じられるようになる(これは人間のパターン認知によるものだろうから、誰にでも起こる現象だろう)。
あれとこれが近しいとか、このカテゴリとしてまとめられるかもしれない、というアイデアが浮かんでくるわけだ。
重要なのは、そのアイデアに基づいてScrapboxの内容を「構造化しない」という点だ。そうするのではなく、そういうアイデアもまた一つの着想として、一つのページに書き表しておくのが「まとめないでまとめる」である。
やってみるとわかるが、類似性やカテゴリについてのアイデアは、複数思いつく。パターンAとかパターンBとか、いろいろバージョンがあるわけだ。それらが互いに素である場合もあるし、矛盾を含むこともある。
もし後者のように矛盾を含むものであれば、それらを構造化することは不可能だ。構造化に失敗してしまう。つまり、アウトライナー上で「アイデアに基づいて」構造を作ろうとしてもうまくいかないのだ。
だから、そういう構造化のアイデアもまた、一つの着想として記録しておくに留める。それで十分だとしておくのが、読書猿によるScrapboxの運用の最大のポイントである。
言い換えれば、Scrapboxの中身を構造的に体系化しようという野望を「断念」するのが重要なのだ。
■構築は執筆が始まってから
もちろん、執筆活動においてDCSがまったく活躍しないわけではない。むしろ、「何を書くのか」を考える上でDCSは大きな活躍を見せるだろう。
しかし、以前にも述べた通りDCSでは可能な限り脱文脈的に文章を書くことになる。一方で、記事や原稿は文脈を構成することが大きな目的となる。この違いが重要だ。
脱文脈的に書かれた文章は、そのまま並べたところで文脈を形成しない。つなぎが弱いうどんのようにブチブチとちぎれる文章ができ上がるだろう。これは、読みやすさの観点からいって不満の残る結果である。
よって、記事や原稿にどんな内容を書くのかについてカードを参照することはあっても、カードをそのまま見出しとして扱い、そこからアウトラインを組み立てることはしない方がよい。
仮にそのような操作をしたとしても、それは叩き台として扱い、その後もう一度全体を再構築した方が良いだろう。でないと、ギクシャクした構成になってしまう。
そういう中途半端な産物を作るくらいなら、Scrapboxのリンクを示して、読者に勝手に読んでもらう方がはるかに効率的である。
■「自分の頭」を鍛えよう
DCSは、自己との対話を続けていくだけの装置である。自分の考えを文章で表し、そうして書かれた文章を読み返す。その知的活動をサポートしていくだけの装置なのだ。
この手の分野を扱う Personal Knowledge Management という分野では、最近「第二の脳」がキーワードとしてよく用いられている。Evernoteが登場したときにも一度話題になったキーワードだ。
非常にキャッチーな言葉なので、何度も用いられるのはよくわかるのだが、その中身については十分検討した方がいいだろう。
たとえば、第一の脳(つまり自分の脳)がそのままでも、第二の脳が拡張してけば、素晴らしい成果が得られる、といった言説は本当にそうなのだろうかと疑う必要がある。
知的生産とは自分の頭を働かせることである。その自分の頭の働きがまったく変わらないのに、情報整理ツールに情報がため込まれていたら、それで素晴らしい成果が生み出せる、ということがありえるだろうか。私は、その考え方は楽観的にすぎると思う。
たしかに、知的活動をサポートするツールは必要である。脳が覚えておける以上の情報を扱える保管庫も有用であろう。しかし、ナレッジワークにおいて価値ある成果を生み出したければ、必要なのは「第一の脳」のパワーアップだろう。
この観点を欠損してしまうと、いわゆるPKMも迷宮に足を踏み入れることになる。情報整理ツールに情報を貯え、それを整備することに成果をあげるものの、「自分の頭」を鍛えようとはまったくしない、ということが起こる。
もちろん、そうして整備された「第二の脳」は、可視化されている。ノートの数が増えたり、リンクが充実したりすれば、はっきりとそれとわかる。実感が得られる。一方で、「第一の脳」のパワーアップは目には見えない。その上、その活動は非常に疲れる。これではやりがいが得られないので、行為の継続は難しいだろう。
だからこそ気をつけた方がいい。私たち人間は、わかりやすいやりがいや実感に強い影響を受ける。逆に、そういうものから遠い活動をついつい遠慮してしまう。
結果的に、立派な情報ライブラリができあがっても、頭の使い方はほとんど変わっていない、という状態が訪れる。当然、自分の考えはまったく育っていない。
これは是非とも回避したい状態である。
■脳とシャドーブレイン
私たちが求めているのは、自分の考えを持ち、それを育んでいくことだ。であれば、重視すべきは「第二の脳」ではなく「第一の脳」である。これを、「Safety first」(安全第一)をもじって、「First brain first」(第一の脳第一)と呼ぼう。略してFBFだ。
このFBFを忘れてはいけない。華々しい「第二の脳」ばかり注目して肝心の第一の脳を置き去りにしては、本末転倒だろう。主役はいつだって、自前の脳なのだ。
その意味で、自己との対話を続けていく装置は、「セカンドブレイン」ではなく「シャドウブレイン」と呼んだ方がいいだろう。「シャドーキャビネット」(影の内閣)と同じだ。野党の立場において、与党を批判したり、代案を提示する存在。DCSも、そのような位置づけで捉えればいい。
その二つが合わさって仕事をするとき、より効果的な成果が得られるというわけだ。
■さいごに
基本的に、重要な話はこれだけだ。あとはいくつか補足の情報と、全体に対する考察を付け加えて結びとする。
(つづく)
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