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日常的なアイデアの育て方 / 環読プロジェクトのお知らせ / iOSでの三位一体メモツール / RSP+mdファイルの生成

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2023/02/20 第645号

はじめに

ポッドキャスト、配信されております。

◇BC057『人を賢くする道具』とセカンドブレイン | by goryugo and 倉下忠憲@rashita2

今回は倉下のターンで、『人を賢くする道具』を紹介しながら「知的な作業をサポートする道具」についての話を少しだけしました。この話は今後の倉下のミドルテーマになっていくと思います。

また放送の中で言及している「一年間かけて一冊の本を読んでいく」プロジェクトについては、当メルマガでも記事を書いております。ご興味あればご覧ください。

〜〜〜なぜそれを身につけるのか?〜〜〜

すごく率直な疑問なのですが、「読むだけで身につく」と謳うものがあるとして、それを身につけて何が嬉しいのでしょうか。

だって、読むだけで身についちゃうわけですから、ビジネス戦略としての「差別化要因」にはなりえません。「私は警察への電話番号がわかります」と言っても、誰も褒めてくれないのと同じことです。

では差別化要因でないとしたら、身につけることの楽しさがあるのでしょうか。しかし、プロセスの楽しさはかける手間が関係してきます。手間がかからないなら楽しさを感じる余地もありません。この可能性も低いでしょう。

残されるのは「たとえ何であっても、スキルを身につければ、レベルアップするし、レベルが上がると何か良いことがあるかもしれない」という希望です。こうした希望を持っていれば、手当たり次第に「スキル」を収集することになるでしょうし、その収集のスタイルはできるだけ手間がかからない方が好ましいでしょう。RPGなどのゲームにおいて、キャラクターの所有スキル欄をいっぱいに埋めていくような、そんな感覚です。

ごく単純に考えて、そういう感覚が醸成されていれば、スキルを紹介するコンテンツは経営がやりやすくなるでしょう。それ以外のメリットは、私にはちょっと思いつきませんが。

〜〜〜人間とカオスマップ〜〜〜

最近Twitterで「カオスマップ」と呼ばれる画像が目に入るようになりました。もともとは「すごく複雑な業界の状況を頑張ってマップにしたけどもまとめきれていない(=カオスである)」という感じで使われていたのが、今では単なる"業界地図"(分野地図)として使われるようになったようです。つまり、ぜんぜんカオスではなく、整理されていても「カオスマップ」と呼ばれるのです。不思議ですね。

それはさておき、たとえば「倉下忠憲のカオスマップ」を描いたとしたら、それは言葉通りカオスになるでしょう。それだけでなく、多数の矛盾が含まれると思います。カオスとアマノリー。

これは別に「自分って特異なヤツなんだよ」と自慢したいわけではなく、単に私が書けるカオスマップがあるとしたらそれは「倉下忠憲のカオスマップ」だけであり、それ以外のマップについては言及できないだけです。きっと皆さんが自分のカオスマップを書いたら、やっぱりカオスとアノマリーが支配するものになるでしょう。だって、それが人間ですから。

むしろ自分で書いてみたらものすごく整合的なものが描けた、という場合はちょっと怖いかもしれせん。もちろん、恐ろしく整った人生を生きている人もいるでしょうが、そうでなければ自分が持つ渾沌や矛盾に気がついていない可能性があります。そうした不理解が、抑圧の結果であるとしたら、たぶんどこかにその余波が生まれてしまうでしょう。

小説、もっと言えば文学が素晴らしいのは──たまに目を背けたくなる──そうした渾沌と矛盾が生きる上で避けられないことを提示してくれる点です。心躍る体験ではないでしょうが、それでもある種の「調和」を心にもたらすためには必要なのでしょう。なかなか逆説的な話です。

〜〜〜ポイントを作る〜〜〜

2月に入ってから、週一回、原稿を送信するようにしています。商業出版の原稿を、担当編集者さんにメールで送るのです。

これまで週一回シゴタノ!の連載を書いていたので、その「時間枠」をその企画案にスライドした格好です。

完全完璧な完成稿を週一回、2000字ほどの分量で送信するのであればかなりタフな作業になるでしょうが、本の「土台」を確認するような原稿であればそこまで負荷は高くありません。とりあえず書くだけ書いてみて、後から「整える」というやり方は中長期的な運用においてほどよい負荷のバランスを作ってくれます。

で、そのようなやり方をしていて気がつきました。そうした週一回のメール送信はGitのコミットにすごくよく似ているな、と。

Gitではコミットするときにメッセージを作成する必要があります。「hogeのバグを修正した」とか「hogaの関数をリファクタリングした」とか何かしら「一言コメント」を残すわけです。それがコミットのログをさかのぼるときに役立つのですが、それだけでなく「自分はここまで作業をした」という区切りの感覚も与えてくれます。なかなかよい習慣なのです。

メールで原稿を送信していく場合も、原稿ファイルを送信するだけでなく「こういう原稿を書いた。今はこういう意図を持っている。次はこれをやろうと思う」という文章を添えるのですが、それを書くことで私自身の心が整理されていく感覚があります。

Gitの場合はツールがメッセージを要求してきますし、メールであれば「礼儀」や「節度」という社会的な感覚が文章の必要性を喚起します。どちらも自律的な動作とは言えないでしょう。他に促される、つまり他律的な動作です。

この点をとっても、「個人の自由を最大限尊重し、やりたいようにやらせれば何もかもうまくいく」というのが甘い考えだとわかります。確かに人のやる気を支える上で「主体感・コントロール感」(エージェンシー)は重要ですが、そこに他律感が合わさることで、全体がうまく調和するのでしょう。

皆さんも、長く続ける必要がある行為ほど、合間合間に「メッセージ」を残しておくことをやってみてはいかがでしょうか。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のストレッチ代わりにでも考えてみてください。

Q.あなたがテキストだけでやりとりしている人がいるとしましょう。その人がAIかどうかを見分ける必要が生じたら、どんなテキストを送りますか。

では、メルマガ本編をスタートしましょう。今回は4つの記事をお送りします。

日常的なアイデアの育て方

さて、アイデアを広げることだけでなく、狭めることの重要性も確認してきました。開かれた姿勢と閉じようとする姿勢。その両方が大切なわけです。

ただしそれは「閉じ or 開き」のような単純な二項対立にはなっていません。以前にも出てきた「レンズの絞り方」のような段階的なパラメータが存在しています。

たとえば、何の制約も持たず思いついたことをさまざまにメモしていく、というスタイルであっても、結局それは「自分の目に留まったもの」という制約を持っています。「自分」という枠組みに閉じているのです。書籍などのアイデアをまとめるときは、その閉じ方がより一層強まるだけに過ぎません。すべては程度の問題です。

そのことを確認した上で、日常的なアイデアの育て方、つまり特定のプロジェクトを完成に導くのではない状況でのやり方を考えていきましょう。

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