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2021年の<びっくら本>10冊 #mybooks2021

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2021/12/20 第584号

○「はじめに」

増井俊之さんが開発された「空間」アプリが、とても面白いです。

◇「空間」アプリ - 増井俊之

使うための前提はいくつかあります。まず、MacOSを使っていること。そして、Scrapbox/Gyazo/Google Driveを利用していること。この前提がある上で利用できるアプリです。

やることは簡単で、手持ちのファイルをこの「空間」アプリにDrag & Dropするだけ。すると、まずそのファイルがGoogle Driveの「Space」というフォルダにアップロードされます。その後、そのファイルのサムネイル画像がGyazoにアップロードされ、最後にそれらの情報をまとめたScrapboxのページが新規作成されます。

つまり、ファイルそのものはGoogle Driveに保存され、その"インデックス"がScrapboxに登録されるわけです。

これの何がうれしいのかと言えば、第一にファイル以外の情報とファイルそのものを同じ場所で管理できるようになる点があり、第二にファイルを探すときにScrapboxの検索が使える点があります。

Scrapboxをお使いの方ならばご存知でしょうが、Scrapboxでの検索は実に快適です。インクリメントサーチだけでなく、1文字分のあいまいさを許容してくれるので、結構「なんとなく」で目的のものを探せてしまうのです。それがファイルにも適用できる、と。

階層構造で分類するのではなく、タイトルを主体に検索し、必要とあらばそのファイルについての「説明」をページに記述しておくことで、そこからも探せるようになる。実に素晴らしいですね。

もちろん、上記のような前提が必要なので誰でもが使えるアプリではありませんが、発想の切り口がとても面白いツールです。

〜〜〜曲げてはいけない鉄則〜〜〜

今年から採用しているバザール執筆法の鉄則の一つに、「途中で考え込んではいけない」があります。考え込んでいる時間があるならば、まず本文を書き下ろせ、という指針です。

この指針は、別段ストイックなものではなく、「書いてみないとわからないことがあるのだから、まず書こう。そこから考えよう」というプラグマズティックなアプローチに過ぎません。

一番避けたいのは、「書いてみないとわからないことについて、書く前に考え込みすぎてしまう」という状況です。これは答えのない(何が答えなのか判断できない)問いについて考えることを意味し、それはあっという間に泥沼にはまりこむ危険性があることも意味します。それを避けるための指針です。

ということを一応は理解していたのですが、結局今執筆している本で、現段階で考えても詮無いことを考えすぎてしまって、だいぶ脳の疲労を増やしてしまう、という失敗をやらかしました(ちょっと不調になったくらいです)。

執筆をコントロールしすぎようとしないこと。まずは書き下ろしてみること。

わかってはいるのですが、「良い本」を書こうと色気を出すと、ついつい「考え」を先走らせてしまいますね。今後も要注意です。

〜〜〜記事の書き方、カードの書き方〜〜〜

ひさびさに記事を書いたら、こんなツイートを頂きました。

「実に、atomicじゃない」という感想は、この手の話題にあまり触れていない人には感覚がわかりにくいかと思いますが、簡単に言えば「一記事一話題になっていない」くらいの意味合いです。ようするにいろいろな話題が混ざり合っている状態なわけです。

Scrapboxや情報カードでは、可能な限り「一枚一事」でまとめるのが推奨されます。原則というよりも、情報をうまく扱っていくことを意識すると必然的にそうなってくる、というある種の「定石」のようなものです。その定石を守っていると、情報のリンクや参照がやりやすくなるのですが、どうしてもそのコンテンツから「雑味」が減っていくのは否めません。雑多な面白さが削り取られてしまうのです。

もちろん、そういう「面白さ」は不要である、という意見もあるでしょうし、それはそれでまっとうな意見だとも思います。一方で、そういう雑味を楽しみたいという人もいます(すくなくとも私はそうです)。

なので、「読み物」を提供するR-styleでは「一記事一話題」のようなまとめ方はあえてしていません。むしろ積極的に雑多に書こうとしています。

ようするに、一口に「文章の書き方」といっても、媒体や媒体を使ってやりたいことによって最適解は変わってくるわけです。そして、面倒なようですが、知的生産を全体的に展開していこうと望むなら、それぞれの書き方について一定量は精通しておいた方がよさそうです。

〜〜〜適した媒体〜〜〜

何かを書き出そうとしたときに、真っ先に「手が求める媒体」があります。

たとえば、自分が考えていることをわっと書き出したい(いわゆるブレインダンプ)ときには、まずノートが思い浮かびます。それも小さいノートではなく、A5かB5くらいのノートです。そのノートを見開きで使い、ざっと殴り書きしていくのが、求めている感覚です。

一方で、はじめから対象を「整理」しようと思うときは、ノートではなく一件一枚で書き込むカードがしっくりきます。あるいは付箋でも構いません。どちらであっても、独立的に書き出していくのが感覚的に合っているのです。

これは「フローチャート」的にツールを選んでいるのではなく──脳内ではそういうプロセスが動いているのかもしれませんが──あくまで直感的なものです。そういう行為をしようと思う→あのツールがよい、と即座に思い浮かぶのです。

でもって、そういう直感に従っておくことは、基本的に良い結果をもたらします。あくまで経験則ですが。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので脳のウォーミングアップ代わりにでも考えてみてください。

Q. 仕事を進める上での「鉄則」を何かお持ちでしょうか。

では、メルマガ本編をはじめましょう。今週は今年の読書の総決算として、「びっくら本」10冊をご紹介します。

(今週は特別企画なので全文公開しております。epub版は以下からダウンロード可能です)


○「2021年の<びっくら本>10冊 #mybooks2021

2021年も面白い本にたくさん出会えました。

今回はR-styleの<びっくら本>企画に、WRMで乗ってみたいと思います。

今年読んで頭をガツンとやられた本を10冊紹介します。

■『闇の自己啓発』

『闇の自己啓発』(江永泉、木澤佐登志、ひでシス、役所暁)

少し変わった人たちによる、少し変わった読書会の内容を起こした一冊。

紹介されている本も興味深いものが多いですが、その本に対して著者らが多様な意見を交換しているその風景が実に「うれしい」感じがします。お互いに敬意を持ちながら、自分の意見を述べるその風景は、ああ自由とはこういうことなのだと改めて実感される次第です。

私もブックカタリストという本を紹介しているポッドキャストをやっているので、考えさせられることはたくさんあります。本を紹介してただベタ褒めするのはつまらないですが、けんか腰で批判するのはもっとつまらないでしょう。お互いに忖度して、考えていることをほとんど口にしないのも同じです。

本に対して敬意を持ち、相手に対して敬意を持ち、それでも「自分の考え」を述べること。

それがおそらく「面白さ」の源泉であり、過激になりつつあるテレビやネットの"番組"では失われつつある風景でもあるのでしょう。そうした風景が、当然の行為として肯定されているのを目にするのは実にうれしいものです。

それだけではありません。本書で本格的に論じられているわけではありませんが、読書会の名前であり本書のタイトルにもなっている「闇の自己啓発」という概念は今後重要になってくるでしょう。

"自己啓発セミナー"の危うさ、ということではなく、「自己を研鑽し、社会の中で役に立てる存在になり、自己肯定感を上げていこう」という試み──純自己啓発とでも呼べるような営み──に潜む危うさがあり、それに抗するために「闇」側の力を増幅させる自己啓発が必要だ、というお話です。これは拙著『すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術』で「不真面目」を強調している点とも強く呼応しています。

■『伝わる英語表現』

『伝わる英語表現』(長部三郎)

読書猿さんが紹介されていたので気になって手に取りました。

私はろくに英語が使えないので、英語学習に関する本は一時期たくさん読んでいたのですが、最近では半ばあきらめ状態でほとんどスルーしておりました。しかし、『How to Take Smart Notes』を原著で読むチャレンジをして──めちゃくちゃ苦労したので──、やっぱり英語はちゃんと読めないとな、と情熱が復活しかかっていたタイミングで手に取った一冊です。

とは言え、この本は購入前から散々「名著」だとタイムラインで持ち上げられていました。天の邪鬼の化身たる私としては、「ちょっと言い過ぎじゃねーの?」と疑っていたことはたしかです。で、購入して数ページを読んで確信しました。「ああ、たしかにこれは名著だ」と。

冒頭部分に指摘があります。学校の(受験を意識した)英語学習では、文法などの非常に難しい問題に取り組む。英語の理解を「テスト」するためには──つまり点に差をつけるためには──必要なことかもしれない。でも、英語というのはもっと簡潔な表現を使うこともできるし、その方が伝わりやすいことだってあるのだ、と。

きわめてクリアな指摘です。でもって、たしかにその通りだと感じます。たとえば、日本語話者である私でも、日本語文法の「高度」な問題はうまく正解できないでしょう。だからといって、日本語でコミュニケーションがとれないかというと、別にそうではありません。

そもそも、文法も語意も乏しい子どもだって、日常的にコミュニケーションは行っています。英語のテストで高得点をとれることは、一つの目標ではありますが、絶対的な目標ではありません。自分の思いを相手に適切に伝えられればそれで「言語」の役割は十分果たしているのです。

本書では、「日本語をそのまま英語に置き換えるような"翻訳"ではうまくいかない」と強調されています。単語レベルで適切な「置き換え」を行っても、機能する文章ができる保証はありません。提示された文が、「何を言いたいのか」を一旦考え、それをどう表現すればいいのかを改めて考えること。それが重要だと説くのです。
*だから本書は「伝わる英語表現」というタイトルです。

よくよく考えれば当たり前の話なのかもしれませんが、"英語の勉強"="英語試験の勉強"のような図式が頭の中にでき上がっていた私にとっては、強烈なインパクトがある本でした。

ちなみに、本書以降にもさまざまな英語学習の本を読んでいます。どれも違った切り口になっているので、楽しく読んでいけています。

・『英語独習法 (岩波新書 新赤版 1860)』
・『英語の読み方-ニュース、SNSから小説まで (中公新書 2637)』
・『英語の思考法 ――話すための文法・文化レッスン (ちくま新書)』
・『シンプルな英語 (講談社現代新書)』
・『 バッチリ身につく 英語の学び方 (ちくまプリマー新書)』

■『感じるオープンダイアローグ』

『感じるオープンダイアローグ』(森川すいめい)

「オープンダイアローグ」についての入門的な本ですが、かといってわかりやすい体裁のノウハウ書ではありません。むしろ著者が、いかにしてオープンダイアローグに出会い、惹かれていったのかを率直に語る一冊です。

新書なのでボリュームはそれほどありません。それでも、ふむ、と考えることの多かった本です。

まず、日本の精神医療は十分な体制が整っていない点が指摘されています。ろくに患者と「対話」することをせずに、薬を処方して終わりにするか、ときに暴力のような力を使って患者を従わせるかが主流になっている。それは個々の医者の意識の問題ではなく、大きな制度の中で必然的に生じてしまう問題である、という指摘は、その内実を正確に知らないものの、他の医療体制のことを想像してみると「おそらくはそうなのだろうな」と思わされる説得力があります。

そうした体制に疑問を感じていた著者は、さまざまな模索を経てオープンダイアローグと出会うわけですが、そのオープンダイアローグの姿勢が実に素晴らしいものです。

単に医者が患者の話に耳を傾けましょう、というだけではなく、隣に看護師も付き添い、患者の家族も一緒になって、「話し合う」ことを行う。そして一緒に解決のための道筋を考えていく。そういったアプローチです。

この本を読む以前から、私はオープンとクローズについて考えていました。インターネットによって「オープン」の重要性が語られる中で、クローズ(ド)の重要性が見過ごされているのではないかと懸念を持っていたのです。しかし、本書を読んで、そうした構図の捉え方がもう一段立体的になった感覚があります。

患者ひとりで悩んでいるのはクローズです。医者が一方的に診断を下すのもクローズです。それに比べれば、患者と医者が対話するのはオープンでしょう。しかし、「患者 対 医者」という役割の構図がある限りにおいて、どうしても会話が誘導的(ないしは演劇的)になってしまいます。

そこに家族が入り、家族の悩みにも目を向ける。あるいは看護師が入り、看護師の意見を医者が聞いてみる。そうしたことによって、そこにある「問題」そのものが開かれていくわけです。

にも、かかわらず。

そのようなやり取りは、「閉じた扉の中」で行われます。閉じた扉の中でしか行われません(SNSではまず不可能でしょう)。

オープンとクローズは、単純に対立しあう概念ではないのです。その内側にはたくさんの襞が畳み込まれており、それぞれにおいてオープンさとクローズさを持っているのです。

といったことを考えた一冊でした。

■『三体』シリーズ

『三体Ⅲ 死神永生』(劉慈欣)

超大ヒットSF。本作自体が上下巻ですが、実際は『三体』『三体Ⅱ 黒暗森林』とシリーズを連ねる最終巻でもあります。

ともかくまあ、スケールがでかい。

ともかくまあ、エンタメがうまい。

ともかくまあ、度肝を抜かれる。

そういう作品です。若干ハードSFな要素もありますが、それを差し引いても一般的に楽しめる内容になっています。

最終巻の「決着」については、おそらく読者の間で賛否が分かれるでしょう。でも、作品全体の「すごさ」が有無を言わさぬインパクトを持っています。

ともかくまあ、すごい作品です。

■『書くためのアウトライン・プロセッシング』

『書くためのアウトライン・プロセッシング: アウトライナーで発想を文章にする技術』(Tak.)

執筆を生業(なりわい)としている人間ですので、この本は取り上げざるを得ません。おそらく一番「率直」に書かれている文章読本です。

基本的には「アウトライナー」というツールを使って、いかに長文の執筆を進めていくのか、という話なのですが、そこにあるまなざしと構築される理論は、アウトライナーを使わなくても有用性を持ちます。言い換えれば、本書で提示される「いかに着想を文章に活かすのか」という話は汎用性があるのです。

<思ったように最初から書けることはないし、文章をうまく制御できることもない。少なくとも人間の「脳」だけではそのような行いは不可能に近い>

これは短い文章でも同じです。1,000字や2,000字は本一冊に比べて短い文字数ですが、かといってそれを「うまく制御」するのは簡単ではありません。単に書いているのが自分なので、粗があってもそれとは気がつかない、というだけです。

しかし、長文として書かれる成果物は──よほど奇特な人を除けば──基本的に他者に向けて書かれます。他者が読むために言葉が紡がれるのです。そうなると、粗が「粗」として顕現してきます。そうして「うまく書けない自分」にありありと直面することになるのです。

アウトライナーなどの「ツール」を使っても、その困難が融解することはありません。単に、その困難を乗り越えるための「杖」を手にできるだけです。

杖を手にしても、結局は自分の足で歩いていく必要があります。長文を書くのに「コツ」はありません。基本的にひーひー言いながら、文章を書いていくしかないのです。もっと言えば、書いて考え、考えて書くことを繰り返すしかありません。

その実際例が、恐ろしいほどにダイレクトに提示されているのが本書です。

■『ライティングの哲学』

『ライティングの哲学』(千葉雅也、山内朋樹、読書猿、瀬下翔太)

2021年は知的生産系の本も良書がたくさんありました。でも、一冊挙げるとしたらこの本になるでしょう。

とにかくまあ、「ずるい」です。テーマがずるいし、メンバーがずるいし、表紙がずるい。「こんなん買うに決まってるし、面白いに決まってるじゃん」みたいな素材の組み合わせです。

著者4人とも私が好きな人ですし、テーマはド直球の「書く」ことで、しかもアウトライナーの話題が冒頭にあります。なんだこれ、満漢全席か、と疑いたくなる一冊です。

でもって、編集&構成が実に良いです。この「素材」をそう調理するのか、と驚きがあります。

もちろん、知的生産の技術としても役立つ話が盛りだくさんです。読書猿さんの「諦め」の話は重要ですし、瀬下さんの「バカンス」は、上でも触れた「闇の自己啓発」の話とも関わってきます。挙げ始めればキリがありません。

でも、もっとも重要なのは次の二点です。

「すごく書いている人でも、別にすらすら書けているわけではない」

「ノウハウは人それぞれで違う(でも困っていることは案外似ている)」

これがわかるだけでも、他の知的生産技術の本よりもはるかに「役立つ」と思います。

でも、やっぱり紹介したいので他の本も名前だけ挙げておきます。

・『妄想する頭 思考する手 想像を超えるアイデアのつくり方』
・『メタファー思考』
・『ときほぐす手帳』
・『How to Take Smart Notes』
・『梅棹忠夫著作集11 知の技術』
・『ライフハック大全 プリンシプルズ』

■『心はどこへ消えた?』

『心はどこへ消えた?』(東畑開人)

大きな声で宣伝するのが難しく感じられるくらいに繊細な、しかし大きな声で宣伝したくなるくらい面白い本です。

まず圧倒的に文章がうまいです。軽妙な語り口で、しかしサラッと流し読むことが不可能な機微のある話が書かれています。

タイトルも象徴的です。「心はどこへ消えた?」。いったいどこに消えたのでしょうか。

私たちが忙しく過ごすとき、「心」は消え去ってしまう。現代はまさにそういう時代でもある。では「心」はなくなってもよいのだろうか。

臨床心理士である著者は、患者とのやりとりを回想しながら、さまざまなことを考えます。別段、快刀乱麻な答えがあるわけではありません。そもそも、そうした答えを求める傾向こそが、「心」を見えなくする主たる原因なわけです。

特に効能とか役立つとか、そういう話はまったく抜きにして、単純に面白い本です。読了後にじんわりと何かが残る一冊だと思います。

■『世界は贈与でできている』

『世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学』(近内悠太)

今年読んだ本で一番「面白かった」のがこの本です。

「NewsPicksパブリッシング」レーベルなので、おそらくビジネスパーソン向けに書かれているのでしょう。学術的に難しい話をせずに、しかしそこにある「面白さ」を読みやすい文章で伝えてくれています。

また、話題がさまざまな方面に延びているのも魅力的です。最近気がついたのですが、私はどうもそういう傾向の本が好きなようです。特定の専門分野の話に限定するのではなく、さまざまな分野を飛び地して、あるテーマについて語る、というタイプの本が。

本書はまさにそういうタイプの本です。読んでいて飽きがありません(私はすごく飽きっぽいのです)。

加えて言えば、目の前にある資本主義を否定して、そのオルタナティブを目指すのではなく、その機能を補完する別のものを導入しようとする手つきが好ましく感じられます。個人的に「革命」を叫ぶ人たちはあまり信用できません。目の前にある制度がもたらした良いものをまったく無視している可能性があるからです。

本書は、「贈与」という資本主義とは異なる理(ことわり)で動くものの性質を明らかにしつつ、それが資本主義の「すきま」を埋める可能性を示すのですが、面白いのは私たちがどっぷり資本主義に浸かっているからこそ、それとは異質な「贈与」に気がつきやすい、という指摘です。なかなかひねくれた理路ですが、たしかにそういう側面はあるかもしれません。今現在「利他」にことさら注目が集まっているのも同様の現象だと言えるでしょう。

ちなみに、まったく異なる側面ですが、諸隈元さんの『人生ミスっても自殺しないで、旅』を読んでいても、この世界が資本主義の理(ことわり)だけで回っているわけではないことが実感できます。でもって二つの本にウィトゲンシュタインという共通点がある点が、非常に興味深くあります。

■『Humankind 希望の歴史』

『Humankind 希望の歴史 上 人類が善き未来をつくるための18章』(ルトガー・ブレグマン)

今年読んだ本で一番インパクトがあったのが本書です。

「人間とは何か?」という問いについて、あるいは私たちがその問いとどう向き合ってきたのかという歴史について語っています。

タイトルからわかる通り、本書は「希望」を語る一冊です。はっきり言って、それなりに人文をかじったことがある人間ならば、そうした語りは非常に「幼稚」に思えるでしょう。人間の「醜悪さ」や「愚かさ」をまったく無視しているように感じるからです。

しかし、その「インテリ」なものの見方が、実は相当にバイアスがかかっているものだとしたらどうでしょうか。ことさらに「悪い」部分だけを抽出し、並べ、強調して「どうだ悪いだろう」と語ることは、はたして正当で公正なやり方でしょうか。

ニュースを考えてみましょう。日本で一億人いる人間のうち、「悪いことをした」人間がそこでは取り上げられます。仮にそこで100人取り上げられたとしても、人口比で見れば0.0001%にも満たない数字です。それを日本人の「代表」として扱い、その性質を論じるのは飛躍が過ぎるでしょう。

では、それを人文学全体に敷延すればどうなるでしょうか。ごく当たり前に、なんの問題も起こさず、平和に暮らしている人々は、あまりにも「当たり前」過ぎて論述されません。論述されるのは常にそうした人たちの「愚か」な側面に過ぎないのです。それを取り上げて、「これこそが人類の性質だ」と論じるのはまっとうなやり方でしょうか。

もちろん人間が愚かなことをしない(あるいは悪いことをしない)という話ではありません。単に、私たちの基本的で当たり前な性質が、あまりにも無視されている、ということなのです。

前述した『人生ミスっても自殺しないで、旅』でも、著者が部屋に閉じこもって頭の中で構築していた世界/社会像が、ヨーロッパ各地を旅する中で少しずつ変容していく様子が窺えます。脳内の思索だけでは見えないたくさんの事柄、人々がこの世界には存在しているのです。

「自分は本を読んで考えた。だから世界については十分に理解している」

というのは相当に狭い考え方でしょう。でも、現代はどんどんとそちら側の「理解」が重視されるようになっています。そして、ネットやニュースではことさらに刺激的な話題が提供されています。それは何も肌色(ようするにポルノコンテンツ)な話題だけではありません。私たちは基本的にネガティブな情報に惹かれる傾向があるので(*)、そうした話題の割合が増えているのです。
*なぜか「絶対に見ないほうがいいに決まっている」とわかっている情報を見に行きたくなりますね。

ネガティブな情報ばかりを仕入れて世界像を構築し、「ほら、世界はネガティブだ」と言ってきたのが現代ではなかったのか。だとしたら、バランスをとるために逆側からの情報を取り入れる必要があるのではないか。あるいはネガティブな情報をフィルターする必要があるのではないか。

本書が提示しようとしているのはそうしたメッセージです。そして、その「現代」の価値観を構成しているさまざまな言論について、一つひとつ反論していきます。

その姿勢が実に立派なものです。きちんと自分の言葉と考えで反論していて、「ほらこういう話があって、あいつって間違ってそうだよね」のようなうやむやな話になっていません。正直言って、リスクの伴う言説だと思います。それを成し遂げているという意味でも、インパクトのある一冊でした。

■『理不尽な進化』

『理不尽な進化 増補新版 ――遺伝子と運のあいだ』(吉川浩満)

今年読んだ本の中で、一番「すごかった」のがこの本です。

たしか、まず『人文的、あまりに人文的』を読み、へぇ〜面白い本だな著者らの別の本も読みたいなと思っていたタイミングで文庫版が発売されて、中身もよく確認せずに買ったのがきっかけでした。

で、少し分厚い本だったのですが、読み始めてみたら予想と違う感じで話が始まり、そのままどこに着地するのかわからないままにページが進んでいき、あれよあれよと読了した格好です。横綱相撲で気がついたら土俵から押し出されていた。そんな感覚がありました。

一つには、切り口の面白さがあります。進化のうち生き残ったほうではなく、むしろ「絶滅」に注目すること。進化論の「学問」と「市民の言葉遣い」の両方に注目すること。学説の論争で「負けたほう」に注目すること。

普通ならまず捨て去られるであろう場所に、あえて目を向けようとするまなざしに好感を覚えます。
*この記事でラインナップしている本の多くに通じる性質かもしれません。

また話題も広いものです。「進化論」の解説だけではなく、「進化」という言葉をめぐる私たちの態度も含めて幅広い論述が行われています。先ほども書きましたが、私は多領域的な本が好きで、永田希さんの 『書物と貨幣の五千年史』にも似た感覚を覚えます(*)。たぶん私が雑食の本読みだからでしょう。
*『情報の歴史21』も大好きです。

文章も難解さはなく、軽妙とまでは言えなくても、著者の視座の自由さがうかがえる楽しい文体になっています。私の経験からいって、この世界に「面白さ」を見いだせる人の文章はたいてい面白いものです(その逆も然りです)。

丁寧に論述が進められている分、当然文章量は多くなってしまうわけですが、おそらく退屈することはないでしょう。その点は、この本が「最終的にどこに向かうのかぜんぜんわからない」ままに話が進んでいく点も関係しています。

私も最初は「進化論」の解説が進んでいくだろうなと予想していました。でも、実際は違いました。いや、あるいはそれはまったく正しいのかもしれません。たしかにこの本は「進化論」について語っています。私たち人間が「進化論」とどう付き合ってきたのかを語っているからです。それは正しく「進化論」(決して鍵括弧を外せない)の解説ではあるでしょう。

と、この本について語り始めると長くなるので、詳しい話はブックカタリストの該当回に譲っておきましょう。

◇BC020『理不尽な進化』 | ブックカタリスト

■おまけ

以上で10冊の紹介は終わりました。どれもこれも面白い本ですが、もちろん興味の折り合いがあるので万人受けするかはわかりません。ただ、何かしら自分の関心に引っかかるなら一度チェックしてみる価値はある本たちだと思います。

で、一応『すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術』が出たのも今年なので、これも「番外編」としてラインナップしておきましょう。これまで倉下が書いた本の中では、一番面白い本になっていると思います。よければ読んでみてください。

『すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術』(倉下忠憲)

では、皆様もぜひ「今年の10冊」をご紹介ください。みんなで積ん読本を増やしていきましょう!(謎の号令)

○「おわりに」

お疲れ様でした。本編は以上です。

いよいよ年末も真っ盛りです(意味不明)。今年は残した記録が多くないので読書以外の振り返りはあまりできていませんが、まあそんな一年があってもよいでしょう。次回は恒例の「今年の仕事の振り返り」を行いたいと思います。

それでは、来週またお目にかかれるのを楽しみにしております。

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