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自作のアイデア環境に求めること/メルマガ原稿自動化作戦(3)/The PARA Method/自信がない/ある人

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2020/09/21 第519号

○「はじめに」

9月22日まで技術書典9が開催されております。

これまではいわゆる同人誌即売会として行われていましたが、今回はオンラインマーケットとして実施され、さまざまな(そしてニッチな)本が多数出展されています。私も何冊か買いました。

技術書は、プログラマが行う知的生産なわけですが、こうした動きが活発でいいなとよく感じます。本作りなら(プログラマではなく)文章書きの土俵だと思うのですが、そちら側の知的生産はさほど盛り上がっていません。不思議です。

まあ、プログラマはドキュメントを書くのも仕事の一部なので、文章書きよりも慣れている側面があるのかもしれません。

それはそれとして、ライターによる同人誌即売会(オンライン)があったら面白いだろうなと思います。

〜〜〜帰ってきたEvernote〜〜〜

嬉しいニュースがありました。Evernoteのアップデートです。

正直、ここ数年は本当に大丈夫なのだろうかと心配していましたが、今回打ち出されたアップデートを見て、おそらく大丈夫だろうと予感できました。Evernoteがどういう方向に向かって進んでいくのかはまだ見えてきませんが、どこかに向かって進んでくれることは間違いなさそうです。

そうであれば、フォローする人(後をついていく人)もきっと出てくるでしょう。すべての人に好かれるツールにはならなくても(そもそもそれは無理な話です)、一定のニーズを持つ人の期待に応えてくれるツールになるはずです。

ここから2〜3年が楽しみです。

〜〜〜高まる手帳熱〜〜〜

9月も終わりに近づくと、徐々に来年の手帳が書店に並び始めます。ここ数年、紙の手帳は使っていないので、おそらく今年も買わないでしょうが、それでも気になってついついチェックしてしまうのは、サガなのかもしれません。

しかし、紙のノートは(使用頻度は下がったものの)あいかわらず使っていますし、手帳だってもしかしたら使うことになるかもしれません。

というか、EvernoteとGoogleカレンダーとWorkFlowyで仕事が問題なく回る今だからこそ、まったく趣味的な(つまり、実用的な使い方をいっさいしない)手帳との付き合い方ができるかもしれません。なんなら、「見た目がカッコイイ」といった理由で手帳を選ぶことすら可能です。

別に使うわけではないけれども、なんとなく欲しくなる。手帳は、実に不思議なアイテムです。

〜〜〜正しさ迷子〜〜〜

いろいろなノウハウに触れていると、自分がやっていることが「これって本当に正しいのだろうか?」と気になるのかもしれません。なにせさまざまなノウハウは、言っていることが違っていて、ときに逆のことすら言っているからです。

というか、「正しさ」を求めてノウハウを探索してしまうと、そのような「正しさ迷子」に陥るのでしょう。初めから「正しさ」を求めていない人にとって、ノウハウの探索は、カタログをめくるのとかわりありません。しかし、「正しい方法」があり、自分はそれを使うことで成果が出せるのだ 、という気持ちでノウハウを探索してしまうと、出口のない迷宮に嵌まり込むことになります。

なんといっても、そういう「正しさ」は、結果的にしか、つまり事後的にしか判断できないのですから。

〜〜〜知的生産の敵〜〜〜

知的生産に敵があるとすれば、それは「権威性を帯び始めた知的生産」です。つまり、「これが本当の知的生産」とか「これが正しい知的生産」だと偉そうに言う人間が出てきたとき、その人間は知的生産の内側にいる、もっとも強力な敵になるでしょう。

知的生産は、「新しいこと」の産出がコアにあります。そして、新しいことは、既存の物差しでは測れません。つまり、「正しい」とか「本当の」とかは言えないはずなのです。むしろ、発生する「知的生産らしいこと」を常にアップデートしていく行為が、知的生産なのだと定義できるかもしれません。

とは言え、こういうのは微妙な問題で、知的生産の技術を伝えようとすると、どうしても「門下生」的なものが生まれて、その枠組みの中で「正しいこと・そうでないこと」が決定されてしまうようなところがあります。

そうしたものを極力避けながら、しかし技術を伝えていくことは行っていく。そういうバランス感覚が大切なのでしょう。

〜〜〜今週見つけた本〜〜〜

今週見つけた本を三冊紹介します。

『時間』(エヴァ・ホフマン)

「テクノロジーとAIの時代において、人間はどう時間と向け合えばよいか」。非常に大きなテーマです。なぜAIの時代と時間が関係してくるかと言えば、"人間にすべての意味を与えるのは時間である"からです。この観点は、最近再びフューチャーされている西田幾多郎の哲学とも重なるように思えます。

『言葉の守り人(新しいマヤの文学)』(ホルヘ・ミゲル・ココム・ペッチ)

「呪術的マヤ・ファンタジー」という聞きなれないジャンルですが、作者のホルヘ・ミゲル・ココム・ペッチは現代マヤ語文学を代表する作家ということで、こちらもあまり聞きなれません。ちなみに「新しいマヤの文学」はシリーズで本書を合わせて三冊の小説が発行されています。

『漢字の構造 古代中国の社会と文化』(落合淳思)

副題にあるように、古代中国の文化に漢字の成り立ちを求める研究です。こういってはなんですが、こうした研究が日本中・世界中で行われ、こうして本として成果が出版されていることは、単純にすごいと思います。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のウォーミングアップ代わりにでも考えてみてください。

Q. 来年の手帳はどうされる予定ですか?

では、メルマガ本編を始めましょう。

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○「自作のアイデア環境に求めること」 #知的生産の技術

前回までで、ノードメモはいったん管理下から手放し、何らかのタイミングで読み返す体制を整えることが大切であると確認しました。

梅棹の「カードをくる」はまさにそれを実装した方法ですし、考えてみると外山滋比古の「メタ・ノート」も同種の特徴を持つことに気がつきます。メタ・ノート法は、メモ帳からノートへ、ノートからメタ・ノートへと書き写すプロセスが発生するのですが、当然そこでは、「非目的的な情報との邂逅」が発生します。つまり、特定の情報を探しているわけではないにも関わらず、過去の情報に触れる機会が生じるのです。

ごく普通のノート術でも「書き終わったら、インデックスを作りましょう」と提案するものが少なくありませんが、それも「最低一回は過去の情報を読み返す」行為を担保するものだと言えるでしょう。その意味で、アナログの情報整理術は、なかなかツボを押さえています。

■デジタルでは?

一方で、デジタルノートはどうでしょうか。

たいていのデジタルノートの売りは「検索で情報を見つけ出せます」となっています。もちろんそれは嬉しいことです。情報が見つけられないことに比べれば、情報を見つけられる方が嬉しいのは間違いないでしょう。

しかし、「検索で情報を見つけ出せます」が担保される代わりに、「検索しないと情報は目に入りません」を呼び込んでしまっているのも、デジタルノートツールなのです。

Evernoteに5000のアイデアノートを保存してあっても、その大半、特にスクロール的に下部ないし中間にあるものは日常的に目に入ることがほとんどありません。目的のものは検索で見つけ出せるから、スクロール&目視で探す必要がないからです。

また、アナログノートのように記入量が上限に達したら代替わりをする、という「儀式」も発生しません。必然的に、そこで発生するはずの読み返しも生まれてはきません。インデックスだって、ツールが勝手に作ってくれるので、人間が関与する必要性は皆無です。

つまり、デジタルノートでは「保存する」→「その情報を利用するまで二度と目に触れない」が起こりやすいのです。

その特徴は、税務書類や過去のプロジェクトの資料を保存する場合ならなんら問題とならず、むしろ手間の削減というメリットとして立ち上がってきますが、ノードメモの扱いとしては十分とは言えません。

邂逅が発生しないので、いつまでも管理下におくか、あるいは一度手放したらもう二度と再会できないかの二択になってしまうのです。

■大量のアイデアは「操作」しにくい

さらに、デジタルノートでは気軽に情報を保存できるがゆえに、その量がたやすく膨大に膨れ上がってしまう点が、その特徴に拍車をかけます。

一度、アイデアメモの見返しをなんとか促進しようと、WorkFlowyに1,000個近くのアイデアを並べてみましたが、そのスクロール量の多さに辟易としてしまって、最終的にはその項目をまったく開かなくなりました。「管理しようとする→無理だと手放す」が起こったのです。

たとえば、1,000個のアイデアが並んでいるアウトラインの上から480番目に並んでいる項目を、上から20番目辺りに移動する場合、かなりの移動距離をドラッグしなければなりません。途中で操作ミスが発生したら一からやり直しです。

仮にドラッグがうまくいっても、今度はもともといた場所(480番目あたり)がどこだったのかを探さなければなりません。どう考えても、そういう操作に向いたUIとは言えないでしょう。

さらに言えば、WorkFlowyはまだダイナミックに順番を操作できますが、他のノートツールではそうした操作が一切できないものすらあります。そうなると、目に入らないものは操作されず、操作されないものは動かず、動かないものは目に入らない、となって構造が完全に固定してしまいます。

よって、ノードメモのように、ただひたすら増えていく要素を扱うためには別のアプローチが必要なのです。

■自作のツールで適切な環境を作る

以上のようなことを、思弁的ではなくむしろ経験的に悟った私は、一つの着想に至りました。自分でツールを自作するしかない、と。

一番最初にイメージしていたのは、「手帳のようなツール」です。といっても、ビジネス手帳の機能を想定していたわけではなく、以下のようなシチュエーションで「活躍」するツールを考えていました。

喫茶店に入る。店内は混雑していて、店員さんは慌ただしく動き回っている。僕は席に着いたが、オーダーを取りに来てくれるにはもうしばらく時間がかかるだろう。僕は胸ポケットから手帳を取り出して、パラパラとそれを読み返した。ペンを手に取る。

簡潔に言えば、「隙間時間でパラパラ閲覧するためのアイデアメモツール」です。そうしたものがあれば、日々大量に発生するアイデアメモとうまく邂逅できるのではないか。そんな風に考えました。

■どのようなUIで?

問題は実装です。そのツールはいかなる表現を持たせればいいのでしょうか。

アイデア一つをカード形式にし、それをずらっと縦一列に並べて、ドラッグで順番を入れ替えられるようにするツールは、二年前に実装し、見事に使わなくなりました。縦一列に並んでいると、結局スクロールが長くなって、使いづらくなるのです。

しかし、「アイデア一つをカード形式にする」UIは、なかなかイケていることがわかりました。それは大きな発見です。

Evernoteの場合、カード型で表示させたとしても、そこに書かれた文章全体は一覧表示では閲覧できません。中身がわからないのです。その点は、Scrapboxも同じです。

一方、WorkFlowyの場合は、見出し+本文が一覧表示できますが、カードのような「区切り」の表現がなく、またバレットという(私にとっての)余計なものがついてきます。自作のカードツールは、そうした問題を排除できました。アイデア一つひとつを一つのまとまりとして保存でき、全文を表示させられるのです。

よって、新しく作るツールも、表示に関してはカードスタイルを選択することにしました。ただし、「縦に一列に並べる」のとは違ったUIをなんとか見つける必要があります。

その模索については、次回続けましょう。

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